分岐する選択 氷河期の足音
冬休みが明け、ひかるは実家から専門学校の学生寮へと戻ってきた。
冬の間に挑んだWordとExcelの資格試験も、秋の資格試験に続いて無事に合格を果たすことができた。
パソコンの操作技術が着実に向上している手応えは、一人で静かに机に向かい続けてきたひかるにとって、小さくとも確固たる自信となっていた。
進級を控え、2年生からはそれぞれが専門的に学びたい分野へとコースが分かれることになっていた。
ひかるが選んだのは、ホームページのデザインや作成をメインに扱い、難度の高いプログラミングは比較的少なめなコースだった。
自分の適性や得意・不得意を見極めた上での選択だった。
春の足音が近づくにつれ、「就職」という現実的な二文字が重くのしかかり始めていた。
だが、学校で情報を集めるうちに、厳しい現実が次々と浮き彫りになっていった。
特に「女子」というだけで就職の門戸が狭いという噂を耳にした。
男性が多い職場は、基本的に男性を多く採用するらしい。
さらに世の中は、「就職氷河期」と呼ばれる過酷な不況の渦中にあった。
先輩たちの中には、30社以上に応募して面接を受けてもひとつも内定がもらえない人がざらにいたという。
希望する情報系の会社から内定を得られなかった卒業生は、派遣社員やアルバイトとして働いたり、まったく希望とは異なる職種に就いたりと、苦しい選択を余儀なくされていた。
全員が希望通りの職種に就ける保証など、どこにもなかった。
学校から配られた求人実績や就職先のリストをめくってみると、確かに情報関連の会社名も並んではいた。
けれど、その中には飲食店やブルーカラーと呼ばれる作業現場の求人も少なからず混ざっていた。
職種欄に踊る「エンジニア」「プログラマー」「IT技術者」といった言葉の横に、「接客業」「製造業」といった記載を見つけるたび、ひかるの胸には淡い不安が広がった。
専門学校で技術を身につけたからといって、必ずしもそれを活かせる場所に辿り着けるわけではないのだ。
厳しさを増していくのは就職事情だけではなかった。
日々のみっちりとした授業や課題の多さに追われる中で、学校を辞めていくクラスメイトが何人か現れ始めていた。
そして、ただでさえ人数の少なかった貴重な女子生徒のうち1人も、途中で学校を去ってしまった。
実家が飲食店を営んでおり、学校を辞めてその家業を手伝うことになったのだという。
ひとり、またひとりと姿を消していく教室。
自分の望む未来を手に入れるためには、世間の冷たい風と、氷河期という厳しい壁を乗り越えていかなければならない。
減ってしまったクラスの空席を眺めながら、ひかるは訪れる就職活動へのプレッシャーを1人静かに噛み締めていた。
就職活動の足音が日増しに大きくなる中、女子寮の共用リビングでは「息抜き」と称した突発的な飲み会が開かれていた。
きっかけは、同じWebコースのクラスメイトが「履歴書書いてたら頭がおかしくなりそう!」と買い込んできた、安売りスーパーの大袋スナックと数本の缶チューハイだった。
「ひかるちゃんも飲みなよ! 今日くらいは就職の『し』の字も禁止!」
声がかかり、女子寮のメンバーだけでなく、噂を聞きつけた男子寮のいつもの面々もぞろぞろと顔を出して、小さな共用スペースはあっという間に即席の宴会場へと早変わりした。
部屋の真ん中では、男子たちが持ち込んだ古いテレビゲームで対戦が始まり、「あー! 今の絶対ズルい!」「はい俺の勝ちー!」と大甲音の歓声と怒号が飛び交っている。
お酒の勢いも手伝って、いつもは真面目で大人しいクラスメイトが妙に熱弁を振るい始めたり、恋人に振られたばかりの男子がクッションを抱えてくだを巻いていたりと、カオスでいてどこか愛おしい空間が広がっていた。
ひかるは冷たいオレンジジュースのグラスを両手で包み込みながら、ソファの端っこにちょこんと腰を下ろしていた。
周りの女子たちは、就活が本格化する前の最後の悪あがきとばかりに、少し明るめの茶髪に髪を染めたり、お互いのネイルを塗り合ったりしてキャッキャと笑い合っている。
(みんな、すごく楽しそう……)
ひかるは自分から輪の中心に飛び込んでいくタイプではなかったけれど、少し離れたこの特等席からみんなの弾けた笑顔やくだらないやり取りを眺めているのが、心から好きだった。
「ひかるちゃん、ジュースおかわりある?」
買い出しに行ってくれた年上の男子生徒が、缶ジュースを差し出しながら声をかけてくれる。
「あ、ありがとうございます。大丈夫です」
「そ? 無理すんなよー。あ、そうだ、俺の車で今度さ、就活が本格化する前にみんなで海の近くのドライブインまで遠出しない? 美味しい海鮮丼食いに行こうぜ!」
「いいねそれ! 行きたい!」「絶対応募する!」と、周りの男女が一気に盛り上がる。
ひかるは「すごいですね、楽しそう」と小さく微笑みながら、その賑やかなやり取りを静かに見つめていた。
大勢で遠出するのは少し気後れしてしまうけれど、そうやって無邪気に未来の計画を立ててはしゃげる「普通」の学生らしさが、眩しくも愛おしかった。
かつていたカワギシの学園では、男子と話すと周りから変な目で見られ、目的のない雑談や集まりは禁止されていた。
集団の中でいつも息を潜め、他人の顔色を伺って身構えていたあの頃の自分が、嘘のように思える。
ふと隣を見ると、少しお酒が回った女子寮の友達が「ひかるちゃんって、いつも優しく話聞いてくれるから安心するんだよね」と肩に頭を預けてきた。
(男子と恋愛とか、そういうのは私にはまだよく分からないし、無理そうだけど……)
飲み会の中で飛び交う男子たちの「あの子と付き合ってみたい」「エッチしてみたい」という軽い本音と、女子たちの「居心地の良さ」を求める温度差に苦笑しつつも、ひかるの胸には温かい安らぎが広がっていた。
自分の意見を強く主張できなくてもいい。ただこうして、誰かの居場所の一部になれていること。
外の冷たい冬風を忘れるような部屋の熱気の中で、ひかるはグラスを口に運び、明日からの不安をひととき忘れるように、穏やかな夜の時間を噛み締めていた。
しばらく更新を休みます。




