親が特別講習会に行った後は、大変!
――小5のあの頃、お母さんはカワギシの特別講習会に行った。
ひどく高揚した様子で家に帰ってきた。
お母さんの口からは「出し合う」「素直な子供らしさ」「思ったことをそのまま言う」という言葉が何度も飛び出していた。
「ひかるはいつも、頭で考えてから喋る癖があるでしょ。もっと子供らしく、思ったことをそのまま言わなきゃダメよ」
「この前の授業参観でも、全然手をあげていなかったよね。ひかる、答え分かってたでしょ? なんで手をあげないの?」
「……ちょっと、考えてたから」
「お母さんが買ってきた洋服も着ていないでしょ? どうして?」
それは、大きなフリルと鮮やかな赤が目を引く、いかにも「明るく活発な女の子」が好みそうな洋服だった。
ひかるの好みとは正反対だった。普段のひかるは、目立たない紺やグレー、習い事の書道で墨がついても目立たないような落ち着いた色合いの服ばかりを選んで着ている。
(こんな派手な服、あまり好きじゃない)
そう思い、その服はクローゼットの奥へと押し込んであったのだ。
「ひかる、なんであのお洋服着ないの?」
「……えっと、いつも体育があるから動きやすい服がよくて」
「嘘言いなさい。一週間ずっと着てないじゃない!」
「そうかなぁ……」
「またそれ! あなたはいつもそうやって、頭でグルグル考えてからじゃないと喋れないでしょう?」
「嫌なら嫌って、ハッキリ思ったことをそのまま言っていいのよ。その方が子供らしいわ」
お母さんの言葉が、胸にぐサリと刺さる。
手を挙げようかな……でも、間違っていたらどうしよう。
間違って恥ずかしいと思うのは、子供らしくないのだろうか?
嫌って言って、聞く人が嫌な気持ちになったらどうしたらいいんだろう?
でも――お母さんの理想の「子供らしい娘」になりたいという強い思いがあった。
「思ったことをそのまま言う、かぁ」
消極的で内弁慶なひかるなりに、懸命にその言葉を噛みしめた。
だから、学校でクラスの女の子に話しかけられたとき、お母さんの教えをそのまま実行してしまったのだ。
「あんまりあなたのこと好きじゃない。顔が嫌い」
言った瞬間、相手の顔が固まった。
悪気はなかった。ただ「思ったことを隠さず出し合うのが正しい」と信じていただけだった。
けれど、現実は甘くなかった。
次の日から、その子を中心としたクラスの数名から、ぴたりと口を聞いてもらえなくなった。
露骨にいじめられるわけではない。けれど、そこに存在しないかのように扱われる、静かで冷たい罰。
どうしていいか分からなかった。
お母さんに言われた通りにしたのに、どうしてこんなことになってしまったんだろう。
もともと目立たず「問題のない子」で通っていたひかるの異変に、大人は誰も気づかない。
お母さんにも、先生にも、誰にも相談できないまま、ひかるはたった一人で教室の隅で心を痛め続けた。
習い事の書道教室で、ひとり静かに墨をすり、半紙に真っ直ぐな線を引いている時間だけが、痛む心を鎮めてくれた。
ある日、自宅の玄関を開けると、見知らぬ大人の靴が並んでいた。
台所からは母親と「カワギシ」の女性メンバーの楽しげな話し声が聞こえてくる。
「やっぱり、固定観念を捨てて素直に思ったことを出し合うことが一番大切なんですね」
ランドセルを背負ったまま立ち尽くすひかるに、母親の横にいたその女性は、すべてを温かく包み込むような穏やかな笑みを向けた。
「おかえりなさい」
実の母親よりも先に、まるで家族のように優しく投げかけられたその言葉。
ひかるは思わず息を呑み、小さく頭を下げることしかできなかった。母親は誇らしげにその様子を見つめ、「あ、ひかる、おかえり」と追うように声をかける。
(最近、学校で誰も話しかけてくれなくなったの。お母さんに言われた通りに言ったら、みんなに嫌われちゃった)
喉のすぐそこまで出かかった言葉は、台所に広げられたカワギシのパンフレットと、初対面の女性の優しすぎる「おかえりなさい」の違和感に押し戻された。
ひかるは出されたお茶を一口だけ飲むと、「宿題があるから」と早々に自室へ逃げ込んだ。
そんな日が何日も続いた。
静かな部屋で宿題のノートを開きながら、ひかるの心は暗い渦の中へ飲み込まれていった。
母親はカワギシの教えに夢中で、自分のSOSに気づいてくれない。
――お母さんの言う通りにできない私が、おかしいんだ。
――こんなことで悩んでいる私が、ダメな子なんだ。
今になれば分かる。
あのとき、素直に「嫌なことを言ってごめんなさい」と謝れていれば、こんなことにはならなかったかもしれない。
頭で考えすぎてしまう性格だからこそ、当時のひかるには、傷つけた相手に頭を下げるというシンプルな答えにたどり着くことができなかったのだ。
解決方法を探すでもなく、クラスメイトに謝るという選択肢に思い至るでもなく、ひかるはひたすら自分自身を責め続けた。
そうして誰にも救いを求められないまま、心の傷を抱えたひかるは、母親から勧められた小5の夏休みの体験行事「楽園村」へと向かうことになる。
それが、ひかるが初めて足を踏み入れたカワギシの世界だった――。




