灯り始めた道標
大検を受けようと決意したものの、具体的に何から始め、どう手続きを進めればいいのか、ひかるには一切の知識がなかった。
ある日、暇を潰すために通っていた図書館の案内コーナーで、学校関係の紙のチラシが目に留まった。
そこには市の教育委員会の電話番号が記載されていた。
縋るような思いでその番号へ電話をかけ、「大検の受験を考えているのですが、制度の概要や受験案内、申し込み方法などを教えてもらえる場所はどこでしょうか」と尋ねてみた。
応対した職員は親切に耳を傾けてくれたが、市の教育委員会では大検の案内は直接取り扱っておらず、県の教育委員会が担当窓口になっていると教えてくれた。
案内された県の担当部署へすぐに連絡を入れると、無事に「受験案内」一式を自宅へ郵送してもらえることになった。
闇雲だった暗闇の中に、小さな道標がひとつ灯った瞬間だった。
その日の夜、いつもなら仕事で9時過ぎにしか帰宅しない父親が、珍しく早い時間に帰ってきた。
ひかるはリビングで意を決し、正面から父親に向き合った。
「お母さんにも話したんだけど……私、大検を受けたいの。そのための受験費用を出してほしいの」
父親は少し驚いたようにひかるを見つめ、静かな声で尋ねてきた。
「……村に戻る気は、もうないのか?」
その問いには、娘が再び共同体の暮らしへ帰ってくるのではないかという、かすかな未練が滲んでいた。
しかし、ひかるの心はもう決まっていた。
和室でのあの日々や、研鑽学校の仕組まれた優しさ、そして何より研修生として感じた限界を思い出し、まっすぐに答えた。
「村には、もう戻りません」
きっぱりとしたひかるの返答を聞くと、父親はそれ以上追求することなく、「わかった。費用は出すよ」と静かに承諾してくれた。
自分の意志で選んだ道に対して、初めて家族からの具体的な後押しを得られた気がした。
親に大検の費用を出してもらえるなんて、自分はなんて運が良い方なのだろう――そう思うと、胸の奥にじんわりとした感謝と申し訳なさが湧き上がってきた。
ふと、昔の仲間である紬のことが脳裏をよぎった。
(紬は、今どうしているんだろう……)
村で開催された博覧会で会ったきり、連絡は途絶えていた。
彼女はあの時、高校に通いながらアルバイトもしていると言っていた。
学業と仕事という2つの重荷を一人で背負って努力していた彼女の姿を思い返すと、「本当に偉いなぁ」と心から尊敬の念が込み上げてくる。
紬は無事に大学に通えているのだろうか。それに引き換え、自分はこうして親に費用を支援してもらっている。
恵まれた環境に感謝しながらも、だからこそ絶対に無駄にはできないという思いが、ひかるの背筋を伸ばさせた。
また別の日、母親が宣言通り、近所の人から使わなくなった高校の教科書を何冊か引き取ってきてくれた。
「近所の〇〇さんのところで、使わなくなったのが残ってたからもらってきたわよ」
母親から手渡された分厚い教科書をめくりながら、ひかるはささやかな感謝を覚えつつ、近所の本屋へと足を運び、自分に必要な科目と思われる市販の参考書も数冊買い揃えた。
大検の試験本番は8月に予定されていた。
暦はすでに4月。「今から勉強を始めて、果たして8月に間に合うのだろうか」という強い不安が頭をよぎった。
しかし、買い集めた高校の教科書や参考書を開いてみると、そこにはどこか見覚えのある内容が並んでいた。
中学校で習った基礎知識が少し詳しく、深くなったような構成になっており、「これなら、今から集中して取り組めば自分でも理解できるかもしれない」というささやかな手応えと安堵感が胸に湧いた。
さらに、あの元学園生の友達から教えてもらった「模擬試験」を活用しようと考えた。
いくつかの予備校へ電話をかけて「大検向けの模擬試験だけを受けることはできますか」と問い合わせてみた。
予備校に直接通学しなくても、単発で模擬試験の解答用紙を郵送でやり取りできるサービスを行っているところが見つかったため、迷わずそれを申し込むことにした。
自分の実力を客観的に測りながら勉強を進められる環境が、少しずつ整っていった。
勉強の環境が固まりつつある中で、ひかるは生活費や参考書代の足しにするため、再びアルバイトを探し始めた。
条件に合うものを探すと、家からバスで15分ほどの場所にある売店で、週に2日だけのアルバアルバイト募集を見つけた。
面接へ向かうと、前回のスーパーでの経験や対策が功を奏したのか、運よくその場で合格が決まった。
こうしてひかるの毎日は、少しずつ着実なリズムを取り戻していった。
家で机に向かって黙々と教科書を読み込む日もあれば、気分転換を兼ねて図書館へ向かい、静かな閲覧室で参考書のページをめくる日もあった。週に2日はバスに乗って売店へ通い、世間との適度な距離感を保ちながら真面目に働いた。
誰かに自我を挫かれることもなく、無理な理念を押し付けられることもない。
自分の手でたぐり寄せた勉強と仕事の日々の中で、ひかるは静かに、けれど確かに外の世界での一歩を踏み出し始めていたのだった。




