温かなぬくもり村人への選択
10日目を迎え、研鑽学校はいよいよ「村人とのマンツーマン体験」という新たな局面に入った。
ひかるの相手をしてくれることになったのは、40代半ばの柔和な雰囲気を持つ村人の女性だった。
彼女の担当仕事は養鶏で、ひかるは2泊3日の間、彼女の仕事や生活に同行することになった。
朝早くから始まった養鶏場での作業は、果てしなく広がる鶏舎の中での採卵だった。
各部屋に産卵箱があり、次々と生まれる温かい卵を手際よくカゴへと集めていく。
鶏たちの羽音と匂いに包まれながら、黙々と手を動かす時間は、互いの自我を容赦なく剥ぎ取り合った研鑽会場の冷酷な緊張感とはまったく異なっていた。
隣で働く女性の佇まいは終始穏やかで、ただ目の前の命と作業に静かに向き合っている姿が、殺伐としていたひかるの心を少しずつほぐしていった。
その日の夜、村の広々とした大きな浴槽に浸かったあと、2人は愛和館で夕飯を囲んだ。
テーブルに並べられた料理を目にして、ひかるは思わず息を呑んだ。
学園の日常の食事も十分に美味しかったが、村人としていただくメニューは格別で、どこか華やかだった。
メインはほどよく脂身が入った豚肉のしゃぶしゃぶで、脇には村の畑で採れたばかりのみずみずしい季節の野菜がどっさりと添えられている。
食後には、とろけるようなカスタードがたっぷり詰まった大きなシュークリームまで用意されていた。
温かい湯気に包まれながら美味しく料理を頬張るひかるに、女性が優しく微笑みかけながら尋ねた。
「ひかるちゃん、研鑽学校やってみてどうだった?」
突然の問いに、ひかるは箸を止めた。
研鑽会で他人に向けられた辛辣な言葉や、自分が泣き崩れてしまった瞬間の痛みが脳裏をよぎる。
しかし、この目の前にいる女性の温かな雰囲気に背中を押され、ひかるは絞り出すようにして自分の本音を口にした。
「……みんなとの間に、すごく深い溝があるように感じました。それに、自分のマイナスなところばかりが目について嫌になってしまって……。こんな自分は、学園でも、外の社会でも、どこへ行っても受け入れてもらえないんじゃないかって、すごく不安なんです」
堰を切ったように漏れ出たひかるの言葉を、女性は途中で遮ることも、説教することもなく、じっと静かに受け止めてくれた。
書籍や理念の押し付けではないその態度に救われながら、女性はシュークリームを包む紙をそっと整え、穏やかな声で語り始めた。
「そう……辛かったね。自由にしていいんだよ。私も時々『自分だけ変なんじゃないか』って思う時があるよ。完璧な人間なんてどこにもいないんだから」
女性はひかるの目をまっすぐに見つめた。
「だけど、この村にはね、何か言ってくれる仲間がいるの。自分が足りないところは、他の人が補ってくれる。だからね、一人で全部抱え込まなくていいんだよ。ここに、自分を委ねていいんだよ」
「委ねていいんだ」――その言葉が、ひかるの胸の奥深くにじわじわと染み渡っていった。
(全部自分で背負わなくていいんだ。誰かが補ってくれるなら、こんなダメな私でもここにいていいのかもしれない……)
過酷な批判に晒され、自分という自我を否定され続けて傷ついていたひかるにとって、その「委ねる」という響きは、甘美で優しい救済のように聞こえた。
ここで暮らしていくのも良いかもしれない。村の生活に身を委ねてしまえば、今まで自分を苦しめてきた不安や孤独感はすべて解消するのではないか――そんな強い期待が、ひかるの中に静かに芽生えていった。
2泊3日のマンツーマン体験が終わり、14日間に及んだ研鑽学校もすべての行程を終えた。
学園の宿舎へ帰ってきたひかるたちを待っていたのは、まもなくやってくる「卒業後の進路決定」という現実だった。
帰還して2、3日が過ぎた頃、学園の世話係による進路の最終確認が行われた。
生徒たちは個室へと1人ずつ呼び出され、今後の生き方について決断を迫られる。
部屋の外へ出た生徒たちのあちらこちらで、「なんて答えた?」「村に残る?」といったささやき声が不安げに飛び交っていた。
ひかるは、自分の順番が来る直前まで激しく迷い続けていた。
外の社会に出たところで、自分を受け入れてくれる場所なんてどこにもないという強い恐怖がある。
一方で、研鑽学校の最終日に味わったあの村人との穏やかな時間や、「村の暮らしが良いのでは」と感じてしまったあの温かな期待が、背中を押していた。
高等部を終えた生徒が村人(実顕地メンバー)になるためには、2つの道が用意されていた。
「大学部」に進んで2年間過ごして村人になるか、あるいは「研修生」として1年間過ごして村人になるか、である。その後は、全国の実顕地へと配属されることになる。
「ひかるさん、入ってください」
世話係の部屋は、静かな和室だった。
呼ばれたひかるは、緊張で引きつりそうな手でゆっくりと和室の引き戸を開けた。
静かな畳の部屋の中央で、世話係が腰を下ろして待っていた。
座布団の上に座り、受け止められる視線を感じながら、ひかるは深く息を吸い込んだ。
「……『研修生』になります」
それは、自分の弱さをすべて共同体に委ね、村の庇護のもとで生きていくことを選んだ、ひかるなりの苦肉の決断だった。




