手放すための14日間と溶け込めぬ思想
学園へ戻されたひかるは、他の学園生とゆっくり言葉を交わす時間さえ与えられないまま、実顕地で開催される「研鑽学校」へと送り込まれた。
会場となったその実顕地は、人里離れたのどかな田舎にあった。
近くに電車の駅はなく、コンビニや商店といったお店も一切見当たらない。
舗装された細い一本道を車で入っていくしかないような、世間から孤立した場所だった。
敷地の周囲には青々とした緑がどこまでも広がり、すぐそばにはうっそうとした林がそびえている。
その林は、広大な畑や整然と並ぶ鶏舎を強い風から守る防風林の役割を果たしていた。
そこに立つ宿舎は、決して新しい建物ではなかったが、すみずみまで磨き上げられていて清潔感が漂っていた。
大人数での集団生活に特化した独特の造りになっており、玄関には無数の靴箱がずらりと並び、洗面所には一度に10人近くが並んで歯磨きができるほどの広い洗面台が備えつけられている。
部屋の窓に目をやれば、そこには見渡す限りの畑と緑の木々、穏やかな田舎の風景だけが広がっていた。
この静かな隔離空間で、14日間にわたるプログラムが始まった。
日常の過酷な農作業や生活の負荷を最低限に抑え、ただひたすらに自分自身の心と向き合い、内省を深めさせるための環境だった。
研鑽学校での一日は、規則正しく、そしてどこか独特の緩やかなリズムで刻まれていく。
朝はまだ空が白む前の6時ごろに起き出し、養鶏や畑といった現場で2時間ほどの作業を行う。
身体を軽く動かしたあと、朝食をとる前に1時間強の研鑽会が組み込まれていた。
そして午前10時ごろ、ようやく1回目の食事(朝昼兼用の食事)をとる。
食後は宿舎の掃除を丁寧に行い、その後は全員で静かに「お昼寝」の時間に入る。
体を休めた後の午後は、日によって過ごし方が異なった。
再び研鑽会で車座になって話し込む日もあれば、敷地の周辺などを静かに散歩して思考を巡らせる日もあった。
夕方、村の大きなお風呂に入って汗を流すと、午後6時ごろに2回目の食事をとる。
夜は少しの休憩を挟み、再び研鑽会が始まる。
部屋の明かりの下でじっくりと意見を出し合い、夜10時の消灯とともに就寝する――毎日がその繰り返しのルーティンだった。
そして、その研鑽会で参加者に突きつけられたテーマは、極めて内省的なものだった。
「あなたが手放したいと思うことは何ですか?」
「どうしたら、それを手放すことができますか?」
研鑽学校に集められた者たちは、最初の5日間ほどを費やして、この2つの問いをひたすら深く考え続けることになっていた。
カワギシズム、いわゆるカワギシの思想とは、私有財産を一切持たず、個人の欲望や自我(「自分」という固執した考え)を捨て去り、すべての人間がひとつの有機体のように調和して生きる「無所有・共社会」を理想とするものだ。
「研鑽」とは、何が本当の真実であり、何が幸福であるかをみんなで話し合い、争いのない平和な社会を築くための探求の手法とされていた。
そこでは「自分だけの都合」や「自分の意見への執着」、そして「固定観念」こそが人間を不自由にさせ、対立を生む元凶であり、それらを脱ぎ捨てる(=手放す)ことによって初めて「全人一体」の真の自由と幸せが得られるとされる。
研鑽会が始まり、車座になった参加者たちが、次々と自らの内面を切り開いて発言していった。
「私は、下級生に対して『もっとしっかりした自分でいなければいけない』という気負いと固定観念を手放したい」
「村でやっていくために、大人や世話係から何か言われた時、理由を考えずに素直に『はい!』と返事をしてすぐに行動できない自分を手放したい」
「親の言うことや、世話係の言うことに対して、心のどこかで反抗してしまう自分を手放したい。素直に受け入れられない我を捨てたい」
参加者たちの口から語られるのは、どれも村の理念を深く理解し、共同体の一員としてより調和し、より純粋にあろうとする高い意識からの言葉だった。
自らの「我」を恥じ、素直になれない自分を省みながら、共同体へ融和しようと努力する姿がそこにはあった。
そうした周囲の発言に耳を傾けるたび、ひかるの胸には冷たい焦りと、深い戸惑いが広まっていった。
(みんな、なんてすごいことを考えているんだろう……)
(しっかり学園生活を送っていた人たちは違う、自分は休んでばかりだったから)
ひかるが自分の内面を探った時に出てくるのは、もっと切実で、泥臭く、個人的な葛藤ばかりだった。
本当は、内気で上手く話せない自分と決別したい。
親の言いなりになって自分の人生を振り回されるのはもう嫌だ。
もっと明るく、誰とでも笑って話せる自分になりたい。
作業だって、体調を崩して休んだりせず、みんなと同じように休まず出られる強い体と精神が欲しい――。
けれど、そうした自分の切実な願いや悩みは、村の「自己放棄」の理想から見ればあまりにも幼く、自己中心的で、次元が違いすぎるように思えてならなかった。
本当のことが言えなかったというよりは、あまりに自分の悩むことで精一杯すぎて、周囲がどのような思考の境地に達してそんな高尚な発言をしているのか、その構造すら理解できなかった。
「自分だけ、みんなと根底から大きくズレているんじゃないか」
圧倒的な孤独感と浮遊感が、ひかるの胸を締め付ける。
村の掲げる理想の姿に順応し、歩調を合わせている周囲と、自分の幼さ・小ささとの間にある絶望的なギャップ。
もしこの本音を見透かされれば、それこそ「思想になじめない異物」として追放されるか、永遠に再教育を受けさせられるかもしれない。
周囲から浮いてしまわないよう、そしてこれ以上自分の心を壊さないために、ひかるは必死で「村の大人たちが納得し、かつ自分の防衛にもなるギリギリの言葉」を探し求めた。
そうして、車座の中で自分の順番が巡ってきた時、絞り出すように辿り着いた答えを口にした。
「私は……何でもできないといけない、という思い込みを手放したいです」
それは一見すると、村の理念に沿った「固定観念の手放し」のように聞こえるスローガンだった。
しかしひかるにとっての本当の意味は、何でも完璧にこなす優等生になれない自分を許すための言い訳であり、これ以上村や親からの過剰な期待に応えられない自分を守るための、精一杯の防衛策だった。
自分と深く向き合うと言うよりはいつも通り一人悩み、ひかるは心の中で周りとの致命的なズレに怯え、静かに息をひそめた。
自分を無にして共同体と一体化することを求めるカワギシの思想と、どこまでも「自分自身」を取り戻したがっている自分の本心。
窓の外に広がるのどかな田舎風景とは裏腹に、思考を研ぎ澄ませるはずの研鑽学校の静寂の中で、ひかるは「自分だけが決定的に違う」という歪みな不安を胸に抱えたまま、ただ過ぎ去っていく14日間をやり過ごそうとしていた。




