温かい食卓と、仕組みの中の日常
管理と矯正の空気が漂う閉塞した生活の中でも、学園には子どもたちの心をわずかに和ませる日常の風景が存在していた。
学園がある「カワギシ」は、緑に囲まれたのどかな田舎に位置していた。
敷地から15分ほど歩いたところには小さな小学校と郵便局があり、その静かな景観は一見するとどこにでもある長閑な農村のようだった。
学園生たちが生活する宿舎から食事をとる「愛和館」までは、歩いて10分ほどの距離があった。
毎朝毎晩、学園生たちはこの道を並んで行き来する。そして、畑の作業に向かう畑までは、自転車を20分ほどこぎ進めた場所にあった。
その畑へ向かう道のりは、決して易しいものではなかった。
坂道を登り、新しく開発されたきれいな新興住宅地を通り抜けていかなければならなかった。
その住宅地を抜けた先に広がる村の畑は、東京ドームがいくつ入るのだろうと思えるほど広大で、見渡す限り一面に緑の作物が並んでいた。
季節の移り変わりは、坂道を行き来する身体にダイレクトにこたえた。
夏の暑い時期には坂を登るだけで全身から汗が噴き出し、冬には遮るもののない冷たい風が容赦なく吹き抜けて肌を刺した。
そして、夕暮れ時の帰り道には独特の切なさが漂っていた。
作業を終え、暗くなりかけた住宅街の間を自転車で駆け下りていくとき、それぞれの家々から漂ってくる夕飯の匂いや、窓から漏れるあたたかな灯りが目に入る。
家族が揃って食卓を囲んでいる気配を感じるたび、ひかるの胸には実家への切ない思いと、どこにも行き場のない寂しさがじんわりとこみ上げてくるのだった。
そんな帰路を経て辿り着く学園の拠点、学園の「愛和館」の2階には、広々としたロビーが用意されていた。
ここには何種類かのお菓子パンと、世の中の動きを知るための数刷の新聞が置かれており、昼夕の食事を終えた学園生たちが足を伸ばしてくつろげる共有スペースとなっていた。
このロビーに並ぶお菓子パンには、カワギシならではの合理的な仕組みがあった。
メーカーから特別に安く買い付けたもので、賞味期限が間近に迫ったパンたちだった。
賞味期限内のものは人間のおやつとして消費され、万が一期限が切れてしまったパンは、無駄にされることなく「養豚部」へ運ばれて豚たちの飼料になる。
人間と家畜が同じ食の循環の中で繋がっているのは、農業と畜産を基盤とする村らしいシステムだった。
クリスマスシーズンになると、外の社会で売れ残ったと思われるデコレーションケーキが大量に運ばれてくることもあった。
普段は決まったものしか口にできない子どもたちにとって、それは特別なごちそうだった。
みんなでテーブルを囲み、甘いケーキを心ゆくまで美味しそうに頬張った時間は、数少ない華やかな思い出だった。
また、毎日の食事自体も基本的にはとても美味しかった。
食事は愛和館の厨房で調理され、出来立ての温かい状態ですぐに食堂へと運ばれてきた。
普段から会話もしない男子部の人たちが心底苦手で、食事の場でも関わりたくないという強い拒否感を抱いていたひかるだったが、目の前に運ばれてくる温かい料理の存在だけはありがたかった。
主食はご飯が中心だったが、時には変化を加えてラーメンやうどん、おそば、パスタ、さらにはホットケーキなどが振る舞われる日もあった。
新鮮なお魚料理が並ぶことも少なくない。
中でも、ひかるが一番好きだったメニューは「クリームシチュー」だった。
大きな業務用回転鍋を使ってじっくりと煮込まれたクリームシチューは、野菜の旨味と濃厚なミルクのコクが溶け込んでいて、とても美味しかった。
肌寒い日に温かいシチューを口に運ぶと、強張っていた胃と心がゆっくりと解けていく気がした。
毎食というわけではなかったものの、カワギシの豊かな生産物でもある食後のデザートや季節の味覚も充実していた。
夏になれば甘いブドウや大きなスイカ、メロン、みずみずしい桃や梨。
冬になればシャキシャキとしたリンゴといった旬の果物が並んだ。
時にはシュークリームやカステラ、プリン、パンやジャムが振る舞われることもあり、甘いものは子どもたちの疲れた体を癒やした。
さらに夏場ともなれば、ロビーで週に1回から2回ほど冷たいソフトクリームが提供され、みんなで並んで食べるひとときは学園生活の中の小さな楽しみだった。
生活面でのシステムも、大人数での暮らしに最適化されていた。
たとえば毎日の洗濯は、各自が手洗いするのではなく、学園生の分をまとめて専門の洗濯場で処理する仕組みになっていた。
学園生用の洗濯場には大型の業務用洗濯機や巨大な乾燥機が何台もずらりと並び、その上の階には広大な洗濯干し場が備わっていた。
学園では生徒たちが部門ごとに分かれて作業を行っていたため、「洗濯部」に配置された生徒たちが毎日全員分の衣類をまとめて洗い、乾かし、丁寧に畳んで各宿舎まで届けてくれたのだ。
実顕地で暮らす大人(村人)たちの仕事も多岐にわたっていた。
乳牛の世話をする酪農部門、肉牛や養豚、膨大な数のニワトリを飼育する養鶏、毎日生まれる新鮮な卵を全国へ送り出す卵出荷、そして見渡す限りの広大な畑での野菜作り――。
基本的に農業と畜産に関わる領域が中心だったが、それぞれが専門の部門に分かれ、巨大なひとつの共同体として機能していた。
そんな中、ひかるは歯の治療のために村内の歯医者へ通う機会があった。
その時、学園生の管理されたエリアとは異なる「村」の施設を間近で目にして、驚かされた。
診療所の近くにあった村のトイレはすみずみまで清掃されていてとても綺麗だったし、外からの客を迎えるための来賓館用の宿舎も、手入れが行き届いて清潔そうだった。
敷地内を見渡せば、植木は美しく剪定され、道路も綺麗に整えられている。
さらに聞くところによると、大人(村人)たちの暮らしは学園生よりもずっと自由度が高いようだった。
村のお風呂は掃除の時間帯以外であれば好きな時間に入ることができ、食事も担当する仕事の都合に合わせて自分のタイミングでとることができるのだという。
こうして全体を見渡せば、村の暮らしは大人数で集団生活を営む上であきれるほど合理的によく考えられていた。
厳格な時間割と集団行動に縛られた学園生活に比べれば、村人になった方が自由が増え、環境の面でもずっと暮らしやすそうに見えた。
けれど、どれほどシステムが合理的で施設が綺麗であっても、根底にある「村の理念」にひかるが心から共感できるかといえば、決してそうではなかった。
本音を押し殺し、型にはまることを求められるこの世界で、もし自分が馴染めなかったら、あるいは本心を悟られてしまったら、容赦なく「異物」として排除されてしまうのではないか――。
男子部への苦手意識や人付き合いの息苦しさ、労働の過酷さに苛まれる日々。
温かい食事の味や垣間見える「大人たちの自由」に束の間の安らぎを感じながらも、その裏側に潜む拒絶への不安は、ひかるの胸から消え去ることはなかった。




