高等部のそのあとは
高等部3年生への進級を前に、宿舎では卒業後の進路についての会話が頻繁に交わされるようになっていた。
「ひかるちゃんは卒業したらどうするの? 村に残って村人になる?」
同級生たちからそう尋ねられるたび、ひかるは視線を泳がせながら小さく首を振った。
「うーん……まだ決めてないんだ」
「外の社会へ出る」という本心を悟られるわけにはいかなかった。
下手に口にすれば、大人たちの標的にされかねない。
幸いにも世話係の大人たちは、体調を崩しがちなひかるに対して特に進路を強く問い詰めてくることもなく、不自然なほど静かに放置してくれていた。
進路の重圧が直接押し寄せてきたのは、定期的に開かれる「家庭研鑽」の場だった。
実家に帰って両親と向き合う時間。
ひかるの将来について話が及ぶと、父親は眉をひそめ、厳しい口調で言い放った。
「村で何年も暮らしてきた子が、外に出ても苦労するだけだぞ。村に入って、ここで生きるのが一番なんだ」
外での差別を警戒してのことか?
それとも村の価値観を絶対視する発言か。
一方で、隣に座る母親は何も言わなかった。
ただ黙ってひかるを見つめ、「自分で決めなさい」とだけ静かに言った。
2年生の終わりに腸炎を患い、体重が3キロも落ちて痩せこけたひかるの姿を見て、多少なりとも心が揺らいで心配していたのかもしれたい。
だが、その態度はあまりにも曖昧で、余計にひかるの心を惑わせた。
そんな家庭研鑽があったある日のこと、ひかるは母親から頼まれて、実家の近所にある惣菜屋さんへ買い出しに行くことになった。
店に入り、頼まれた品物を注文して待っていると、馴染みの店主のおばさんがひかるの顔をじっと見つめ、突然思いつめたようなトーンで話しかけてきた。
「ひかるちゃん……あんたのせいで、あんたの家族はバラバラになったんだよ。これ以上、親を困らせちゃいけないよ」
あまりにも唐突で、刃のように突き刺さる言葉。
ひかるは一瞬、頭が真っ白になった。
何が起きているのか、なぜ自分がそんなことを言われなければならないのか、全く意味が分からなかった。
激しい動揺と恐怖に襲われながらも、どう反応していいか分からず、ひかるはただ顔を引きつらせて引きつった愛想笑いを浮かべ、「……はい」と小さく答えることしかできなかった。
重い足取りで店を出たあと、じわじわとショックと悔しさが込み上げてきた。
ひかるには少し離れた妹がいた。
妹は現在、小学生が通う「初等部」に入っていたが、決して自分から望んで行ったわけではなく、泣く泣く嫌がりながら通わされていた。
しかし、母親は外の近所の人々や親戚に対して、こう説明していたのだという。
「うちのひかるがね、自分から進んでどうしてもカワギシ学園に行きたいって言うから、送ってあげているのよ」
母親は、自分が新興の思想に傾倒して子どもを差し出したという世間体を取り繕うため、すべての責任を幼いひかるに押し付けていたのだ。
近所の人々はそれをそのまま信じ、「ひかるというワガママな娘が親に無理を言って怪しい施設に行き、家族を狂わせている」と見なしていた。
(そんなの……あんまりだ……)
親が勝手に変な思想に共感して自分たちを送り込んだのに、外の世界では「自分が親を困らせている悪者」として見られていたという事実。
その歪んだ事実に、ひかるは吐き気をもよおすほどの恐怖と強い拒絶感を抱いた。
もし高等部を卒業して実家に帰ったとしても、待っているのは冷たい世間の目だ。
近所の人々からは「変な思想に染まって戻ってきた子」として好奇と偏見の目で見られるかもしれない。
本当の家族の温もりなど、あの家にはもう存在しなかった。
(家に帰れば、本当に全部が良くなるのかな……?)
戻ったところで、母親が自分を温かく受け入れてくれる保障などどこにもない。
むしろ、帰ってきたことすら喜ばれないのではないか。
どこへ行っても自分の居場所がないという底なしの不安が、ひかるの胸を重く押し潰した。
逃げ場のない自責と葛藤の中で、思い悩む日々が続いた。
そしてある夜、冷たい暗闇の中で天井を見つめていたひかるの頭に、ひとつの逆転の発想が浮かんだ。
(……じゃあ、逆に……)
高等部を卒業したあと、一度この村の「村人」としてそのまま残り、村で生活を続けてみてはどうだろう。
村に所属したまま勉強を重ね、大検を受けて合格する。
そして大検を取ったあとは、専門学校や大学に通うためにさらに受験勉強をし、そのまま村から学校へと通えばいいのではないか。
村人になった者が本当に専門学校や大学に通わせてもらえるのかどうかは、正直わからない。
けれど、ダメ元で大人たちにそう提案してみるのは自由なはずだ。
噂ではひかるのように学園生を卒業した子が、大検をとり学校に通わせてもらっている例も多くはないが、あると聞いたことがある。
しかし、もしその提案が通らなければ、その時にまた別の方法を考えればいいだけの話なのだから。
そうすれば、あの冷たい実家に帰る必要もなければ、親元で暮らす必要もない。
実家の重圧や世間の冷ややかな目から逃れつつ、村の生活を安全な「仮の拠点」として利用しながら、確実に外の世界へ足がかりを作ることができる。
実家という地獄か、村という籠の中か。
二つの暗闇を天秤にかけながら、17歳のひかるは、親に頼らず自分の未来を切り開くための泥臭くも現実的な生存戦略を描き始めていた。
季節は巡り、高等部3年の冬。
実家で開かれた家庭研鑽の日、ひかるはどこか冷めた静けさを胸に宿しながら、向かい合う両親の目をまっすぐ見つめた。
「……私、卒業したら村に残りたい」
それが、ひかるが自分の足で生き抜くために打ち出した、最初の偽りのカードだった。




