高等部1年秋、懐かしい再会
高等部1年生の2学期、ひかるの午前中の作業場は「野菜出荷場」に決定した。
そこにいる仲間たちは基本的には皆優しかったが、ひかるの体調は相変わらず不安定で、作業を休みがちな状態が続いていた。
出荷作業は時間と手際が命だ。
一人が休めば、その分だけ他の仲間の負担が増える。
優しかった仲間たちの視線も、日が経つにつれて少しずつ冷ややかになり、どこか疎まれるような空気が漂い始めた。
見かねた世話係は配慮のつもりか、ひかるを作業の「頭数」から外すという措置をとった。
最初からいないものとして業務を回す仕組みだ。
露骨に迷惑をかけることはなくなったものの、自分が集団にとって不要な存在なのだと突きつけられたようで、ひかるの胸には惨めさが残った。
そんな秋、村で「カワギシ博覧会」が開催された。
博覧会は毎年11月、約20日間にわたって大々的に行われる村の一大イベントだった。
「無所有」や「一体社会」といったカワギシの独自の理念や、農業・畜産・生活面にわたる具体的な活動内容を巨大なパネルにして展示し、全国からやってくる一般の参加者に向けて広報する場だ。
それだけでなく、村人がガイドとなって参加者を案内し、実際の農作業や出荷、調理といった現場の中身を包み隠さず見せるツアーも行われていた。
自分たちの「理想郷」を外部へ開示し、共鳴者を募るための重要な行事だったのだ。
その賑わいの中、思いがけない再会が待っていた。
あの日突然姿を消した元学園生の紬が、村の見学を兼ねて同級生たちに会いに来てくれたのだ。
久しぶりに見る紬は、どこかすっきりと洗練され、元気に笑顔を咲かせていた。
手紙のやり取りだけでは分からない生の表情に接し、ひかるは心から安堵した。
二人きりになれたわずかな時間、ひかるは以前から気になっていた「大検(大学入学資格検定)」について尋ねてみた。
紬は丁寧に、お兄さんから聞いたという話を教えてくれた。
「受験する教科は12個くらいあって大変そうだけど、どの教科も6割くらい点数が取れれば合格できるみたいだよ」
12教科という数字の大きさに一瞬圧倒されかけたが、「6割で合格」という基準を聞いて、ひかるの心に少しだけ現実味が宿った。
決して不可能な壁ではない。頑張って勉強を積み重ねていけば、自分にも何とかなるかもしれない――。
真っ暗な将来に、確かな灯火が灯った気がした。
紬は自分の近況についても話してくれた。
高校生になってから自分もアルバイトを始めたこと。
家計は決して裕福ではないけれど、家族全員で力を合わせて暮らしていること。
2人のお兄さんは引越しのバイトやコンビニの夜勤で汗を流し、父親は昔の友人のツテを頼って不動産営業の仕事に就いたこと。
(みんな、自分の足で必死に外の世界を生きているんだ……)
カワギシの「無所有・共用・共活の理想郷」とは全く違う、泥臭くも温かい現実の営み。
家族が肩を寄せ合って生きる紬の言葉は、ひかるの胸に強く響いた。
博覧会では、高等部生による劇の出し物が恒例となっていた。
ひかるは劇中の合唱隊に配置され、日中の作業が終わったあとの夜の時間を使って、仲間たちと練習に励んだ。
季節は巡り、冬がやってきた。
年末には大量の餅つきやお正月の準備に追われ、新しい年を迎えると、女の子たちは色鮮やかな着物に身を包んでお茶会に参加した。
行事の華やかさとは裏腹に、出荷場の作業は厳しさを増した。
冬場はハウスや畑で採れたほうれん草やブロッコリーの出荷が最盛期を迎え、凍えるような寒さの中で冷たい野菜を扱い続けた。
春になると、今度はニラやハウストマトの出荷に追われる毎日となった。
そんなある日、ひかるを激しい腹痛が襲った。
何日経っても一向にお腹の痛みが引かず、起き上がることもできなくなったひかるは、意を決して世話係に頼み込んだ。
「……お腹が痛くて治らないんです。診療所へ連れて行ってください」
村の中には、簡単な診察ができる「診療所」が存在していた(歯医者も村内に整備されていた)。
村の診療所で手に負えないと判断された場合のみ、一般社会の病院へ連れて行かれるという仕組みだ。
診療所で受診した結果、医師からは「急性腸炎だろう」と診断された。
「一応この薬を3日間飲んでみてください。それで治らなかったら、外の一般病院に行きましょう」
処方された薬を飲むと、幸いにも数日で痛みは引き、体調も持ち直した。
しかし、満足に食事ができなかったこともあり、体重は一気に3キロも落ちてしまった。
元々細かった身体はさらに削げ落ち、体力の低下に拍車がかかった。
そうして、身体の不調と小さな希望の狭間を揺れ動きながら、高等部2年生の1年間も淡々と過ぎ去っていった。
外の世界へ飛び出すための大検という秘めた決意と、相変わらず思うように動かない冷たい身体。
様々な思いを抱えたまま、ひかるはいよいよ、学園生活の最後となる「高等部3年生」の春を迎えようとしていた。




