屋根裏部屋の予備生
中学校を卒業したひかるは、学園の高等部へと進学した。
外の世界へ出るための「大検」という隠された希望を胸に秘めた、静かな第一歩だった。
しかし、正式な入学式を迎える前の2週間、高等部の「予備生」として過ごす期間が待っていた。
あてがわれた居場所は、宿舎の冷え冷えとした屋根裏部屋だった。
予備生の生活は、徹底した労働の日々だった。
だだっ広い屋根裏部屋に、50人ほどが生活を共にする。
朝は6時に起床し、すぐに「実学」と呼ばれる作業場へ向かう。
そこから午前10時近くまでは延々と畑作業だ。
冷たい朝もやの中、果てしなく続く畝でブロッコリーをカマで切り落として収穫する日もあれば、腰をかがめてニラを摘み取る日もあった。
また別の日は、野菜の出荷場でひたすら野菜の計量と袋詰めに追われた。
午前10時30分にようやく、この日最初の食事をとる。
カワギシの村の決まりにより、食事は「1日2食」と決められていた。
午後の実学は13時から始まり、17時まで延々と続く。作業を終えてお風呂に入り、18時に2回目の食事。
そして19時からは、毎日欠かさず「研鑽会」が開かれた。
車座になって座り、その日あったことや思ったことを一人ずつ出し合う。
さらにそれに対して他の者が思ったことを発言し合い、思想のすり合わせを行うのだ。
全てが終わって就寝するのは22時ごろだった。
ひかるはこの2週間、大検への想いを糧になんとか頑張ろうと自分を奮い立たせた。
けれど、中等部時代に深く傷つき、壊れてしまった体調と精神状態は、そう簡単に戻るものではなかった。
身体は鉛のように重く、結局、予備期間中も作業を休みがちになってしまった。
(せっかく高等部に来たのに、またみんなにサボっていると思われる……)
強い後ろめたさと焦りがひかるを苛んだ。
しかし、高等部の世話係たちの対応は冷ややかだった。
「あの子はあまり体が丈夫じゃないからね」
陰でそうささやき合うだけで、適切な医療機関に連れて行くわけでもなく、実家の両親に連絡するわけでもない。
ただ、腫れ物でも扱うように静かに放置されるだけだった。
その無関心さは、むしろひかるの孤立感を深めた。
やがて4月を迎え、高等部の入学式が執り行われた。
ひかるは屋根裏部屋をあとにし、正式に高等部宿舎へと移動した。
宿舎の部屋は6人部屋で、ダブルの布団で二人ずつ並んで寝る構造になっていた。
部屋には1年生から3年生が同居しており、常に誰かの視線が存在する空間だった。
4月以降の生活も、まるで予備生期間の延長のようだった。
1年生10名から20名ほどの集団にまとめられ、連日畑作業へと繰り出した。
ただ、2学期からは個別の「部門」に分かれて本格的な作業を行うことになるという。
そのため、同級生たちの間では「どこに行きたいか」という話題が持ちきりだった。
部門は多岐に渡っていた。畑、野菜出荷場、野菜加工場、調理、調理の下処理、乳牛、養豚、養鶏、そして洗濯部――。
2学期からは、午前中の作業は各自に振り分けられた専門の部門へ行くことになる。
そして午後の作業は、宿舎とは別の建物内にある案内板に自分のネームプレートが配置され、それを見て日替わりの作業場へ向かうシステムになっていた。
相変わらず身体は思うように動かず、休みがちではあったものの、高等部になって新しい仲間が増えた空気感には、どこか甘酸っぱい「新学期らしさ」のようなものが漂っていた。
そして5月――。
5月3日には、「ただのまつり」と呼ばれる学園の一大行事が控えていた。
かつて本部が置かれていた歴史ある実顕地(村)を会場にして行われるお祭りで、カワギシで作られた様々な食べ物や農産物が、村人だけでなく外の世界からやってくる一般の来場客にもすべて「タダ(無料)」で振る舞われるという、極めて特殊で賑やかなイベントだった。
その中で、高等部の女子生徒たちには大切な役割が与えられていた。
お祭りの中で振る舞う膨大な量のおにぎりを作り、提供する「おにぎり担当」だ。
「当日はどんな配置になるんだろうね?」
「何時から準備が始まるのかな、楽しみだね!」
日程や作業の割り振りはどうなるのか、同級生たちはお祭りの話題で持ちきりだった。
カワギシの「無所有」や「共有」の理念を象徴するような行事ではあったものの、日頃の過酷な実学や研鑽会から少し離れ、外の人々もやってくるお祭りの華やかな雰囲気に、子どもたちは純粋な高揚感を募らせていた。
自分の中にある体調の悪さや焦りを抱えつつも、ひかるもまた、周囲の楽しそうな声に包まれながら、少しだけ胸を躍らせてその日を待っていた。




