外から届いた風
震える指先で封を切り、折りたたまれた便箋をゆっくりと開く。
そこに書かれていたのは、あの日突然姿を消した紬の、紛れもない手筆だった。
『ひかるちゃん、元気にしてる?
急にいなくなってしまって、ちゃんとお別れも言えなくて本当にごめんね。
最初は新しい生活に慣れるのがすごく大変だったけれど、いまはお父さんのお母さん……おばあちゃんが色々と手伝ってくれて、なんとか落ち着いて暮らしています。
私は近くの公立中学校に通っていて、この春からは無事に高校にも通えそうだよ。
家に部屋はあまりなくて狭いけれど、家族みんなで何とか工夫して過ごしています。
お兄ちゃん2人も、昼間はアルバイトをしながら「大学検定」っていうのを受けるために勉強するかもしれないみたい。
また生活がもっと落ち着いたら、カワギシ博覧会の時にでもみんなに会いに行けたらいいなと思っています。
ひかるちゃんも、どうか体には気をつけて、元気に過ごしてね』
手紙を読み終えたひかるの胸に、ぬくもりと同時に大きな波紋が広がった。
村の大人たちが「逃げ出した」「あそこに行っても不幸になるだけだ」と蔑んでいた外の世界で、紬はしっかりと自分の足で立ち、未来に向かって歩き出していた。
おばあちゃんの助けを借りながら家族で寄り添い、高校進学という希望を掴み取っている。
村での「共有」や「所有のない幸せ」という言葉がいかに脆く不気味なものであったかを、紬の簡潔で温かい近況が証明しているようだった。
(みんな、外の世界でちゃんと生きてるんだ……)
そして、ひかるの心の中にひとつの言葉が強く残った。
『大学検定』――。
お兄さんたちがアルバイトをしながら受けるというその言葉の意味が、ひかるにはどうしても分からなかった。
高校へ行くわけでもないのに、大学の検定とは一体何なのだろう。
数日後、奇跡的に体が少し軽く、朝から公立中学校へ登校できた日があった。
欠席が増え、クラスの輪からもすっかり浮いてしまっていたひかるだったが、どうしてもその言葉の意味を知りたくて、意を決して放課後に担任の先生のもとへ向かった。
教職員室のドアを叩き、静かに担任の先生に声をかける。
「先生……ちょっと聞いていいですか?」
「どうしたの、ひかるさん? 体調は大丈夫?」
先生は驚きつつも、優しく椅子を勧めてくれた。
ひかるは手紙のことは伏せつつ、胸の中で温めていた疑問を小さく口にした。
「……『大学検定試験』って、どういうものなんですか?」
先生は一瞬目を見張り、それからなるほどと頷いて、ひかるにも分かりやすいように丁寧に説明してくれた。
「ああ、大検(大学入学資格検定)のことだね。
それはね、何らかの理由で普通の高校に通えなかった人や、高校を途中でやめてしまった人たちが受ける国の試験なんだよ。
その試験に合格すれば、高校を卒業していなくても『高校を卒業した人と同じ学力がある』って認定してもらえるんだ。
だから、合格すれば大学や専門学校の受験資格ももらえるし、社会に出てからも高卒と同じように扱ってもらえるんだよ」
先生の言葉が、ひかるの頭の中で光となって弾けた。
高校を卒業したことと同じになる。
つまり、外の公立高校や私立高校を受験して合格し、毎日休まず通うという道を選べなくても、別の方法で「高卒」の資格を手に入れることができるのだ。
塾にも通えず、参考書も買えず、中学の出席日数も足りなくなって絶望していたひかるにとって、それは真っ暗なトンネルの途中で見つけた、唯一の抜け道のように思えた。
(それなら……私にもできるかもしれない)
ひかるの頭の中で、バラバラだったピースが一気に組み合わさっていく。
両親からは「学園の高等部に行きなさい」と強く圧力をかけられていた。
外の高校へ行くための勉強の遅れや欠席日数の多さを考えれば、いま親に反抗して外の高校へ出ようとしても絶対に失敗する。
けれど、一度学園の高等部へ進学し、そこで静かに耐えながら独学で勉強を重ね、「大検」を受ければどうだろう。
高等部にいる間に知識を蓄え、大検を取って高卒の資格を手に入れれば、そこから外の社会へ飛び出すことができる。
大学や専門学校へ行くことだって、自分で仕事を見つけることだってできるかもしれない。
「ひかるさん? どうしたの?」
深く考え込んでしまったひかるを心配して、先生が覗き込んできた。
「あ……ううん、なんでもないです。先生、教えてくれてありがとうございました」
ひかるは頭を下げて教職員室を後にした。
校舎を出て、学園へと続く道を歩くひかるの足取りは、いつになく確かだった。
『腹が立つ』という感情も『嫌い』という感覚も全て嘘なのだと教え込まれたあの特別講習研鑽会。
実家から「ここはもうあなたの家ではない」と突き放された冷たさ。
朝起き上がれず、愛和館にも行けずに布団の中でじっと耐えていた孤立の日々。
それら全ての闇の中に、小さな、けれど消えない灯火が点った。
高等部へ行くことは、決してカワギシの思想に屈することでも、諦めることでもない。
それは外の世界へ脱出するための「準備期間」なのだ。
紬が届けてくれた一通の手紙と、大検という存在。
何をどうすればいいのか分からず、ただ恐怖と無力感に押し潰されていた15歳のひかるの中に、初めて「自分で選ぶ未来」という明確な希望が芽生えた瞬間だった。




