さよならのない別れ 外されたネームプレート
3ヶ月に一度の帰省――3月の家庭研鑽の日がやってきた。2泊3日のわずかな自宅滞在。
ひかるはこの短い時間のあいだに、胸に溜め込んできた問いを両親に投げかける覚悟を決めていた。
夕食後は、「家庭研鑽の受け入れ研鑽会」をすると母が言ったので、その研鑽会の途中に思い切って切り出した。
「……私、学園の高等部じゃなくて、普通の高校に行きたいんだけど」
一瞬の静寂の後、お茶をすすっていた母親がゆっくりとひかるを見た。
感情を削ぎ落としたような、静かな声が返ってくる。
「高校へ行って、何かやりたいことがあるの? 目的をはっきりさせなさい」
目的――。そう問われて、ひかるは言葉に詰まった。
「目的って言われても……」
答えなんてすぐには出てこない。
ひかるにとって、高校へ行くことなんて「世の中の同世代の子たちなら、みんな普通に行くもの」という認識でしかなかったからだ。
地元の公立中学校に通ってはいるものの、学園での生活が中心の自分にとって、外の世界の同級生たちが当たり前のように受験をして高校へ進む姿は眩しく映っていた。
それなのに、ここでは「目的」という大層な理由を示せなければ、外の学校を選ぶことすら許されないのだろうか。
(私の考えって、そんなにおかしいのかな……?)
自分の感覚そのものを否定されたような心細さが押し寄せ、ひかるは必死に言葉を探した。
そしてふと浮かんだ疑問を、そのまま口に出してみた。
「じゃあ……お母さんとお父さんの時はどうだったの? 高校に行ったんでしょ?」
すると、それまで黙って話を聞いていた父親が、不機嫌そうに眉をひそめて割って入ってきた。
「そんなの、ひかると関係ないじゃないか。いま話しているのはひかるのことだ。本気で高校に行きたいなら、ちゃんと自分で考えて勉強をしなきゃいけないんだぞ」
父親の突き放すような言葉に、ひかるは完全に口をつぐむしかなかった。
昔の自分たちの選択は棚に上げて、「関係ない」の一言で切り捨てる。
それなのに、ひかるには「目的」や「自覚」を完璧に求める。その理不尽さに、胸の奥が冷たく冷えていくのが分かった。
しかし、一番の壁はそれだけではなかった。
地元の学校で受けている日々の授業だけでは、高校受験に向けた本格的な受験勉強にどう取り組めばいいのかさっぱり分からない。
塾に通うことも許されず、どんな参考書を買ってどう進めればいいのか、相談できる大人も学園にはいないのだ。
(自分で考えて勉強しろって言われても……ひかる一人じゃ、何をやったらいいのか全然分からないよ……)
自分の意思で外の世界へ出たいと望むことの無謀さと、圧倒的な孤立感。
2泊3日の短い家庭研鑽は、何の解決の糸口も見出せないまま、ただひかるの悩みと焦りだけを深く刻んで過ぎ去っていった。
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いつものように電車を乗り継ぎ、学園への帰路へ着く。
モヤモヤとした焦りを抱えたまま学園へ戻ってきた。
けれど、部屋に戻っても仲の良かった紬の姿がない。
いつもなら同じタイミングで戻ってくるはずなのに、何日経っても紬の荷物は置かれたままで、本人は一向に現れなかった。
新学期が始まる頃には、紬が使っていた棚のネームプレートを世話係があっさりと外していた。
そこに紬という少女が生きて、生活していた証拠が、まるで最初からなかったかのように綺麗に消されていく。
その素っ気ない手際に、ひかるは胸がすーっと冷えていくような感覚を覚えた。
世話係の大人たちに尋ねてみても、「……」と濁されるだけで、誰も明確な理由を教えてくれない。
(どうして、紬ちゃんは私や他の子に『学園辞める』って、何も言ってくれなかったんだろう? 一言だけでも教えてくれたらよかったのに……)
去り際の挨拶も言えないまま消えてしまった寂しさと、何も教えてもらえないことへの割り切れない思いが胸にくすぶっていた。
ある日、どうしても諦めきれなかったひかるは、思い切って世話係の女性スタッフに「紬ちゃんはどうしたんですか?」と直接尋ねてみた。
すると世話係は、感情の読めない平淡な声でこう答えた。
「紬ちゃんはね、これからは親元で暮らすことになったのよ」
詳しく聞けば、関東圏にあるご実家……つまり「一般社会」へ戻ることになったのだという。
ひかるは首をかしげた。
紬の家族は、紬が小学生の初等部の頃に学園へ預けられ、その後すぐに両親も村へ「参画」したはずだった。
だから紬は、生粋の「村の子」としてここで過ごしていたはずなのだ。
なぜ急に一般社会へ戻ることになったのか、同級生たちの間でも「どうしてだろうね」と不思議がる声が広がっていた。
その疑問が解けたのは、それからしばらく経ったある日のことだった。
同じ学年の子が、高等部にいる自分の兄から聞いてきたという裏事情をこっそり教えてくれた。
「紬ちゃんのご両親ね、離婚したんだって……。それで、お父さんだけが村を出て一般社会に戻ることになったから、紬ちゃんとお兄ちゃんたちも、そのお父さんについて行くことになったらしいよ」
その話を聞いた瞬間、ひかるの胸にストンと腑に落ちるものがあった。
村の強固な「無所有」や「一体化」の思想をもってしても、大人の事情や家族の破綻までを繋ぎ止めることはできなかったのだ。
あれほど強固に見えた「村人」という括りが、あっけなく解けていく現実。
何も言わずに去っていった寂しさは拭えなかったけれど、あの暗かった表情の裏で、紬がどれほどの葛藤と大人たちの事情を抱えていたのかを思うと、胸が締め付けられた。
名札を外された無機質な棚を見つめながら、言葉にできなかったのは言いたくても言えない状況だったからなのだろうと悟った。
(寂しいけど……、あっちで幸せに暮らしてくれればいいな)
大人の都合に振り回されながらも、学園という密閉された檻を抜け出し、外の世界へ戻っていった友達の未来を静かに祈った。
そしてひかるは、その影を追いかけるように、自分自身の手元に残された「進路」という漠然とした課題を、改めて重く受け止めていた。




