世界の倉と、私が選んだ服
電車に揺られ、久しぶりに地元の風景を目にした時、胸の奥がすっと軽くなるのを感じた。
最寄り駅の改札を出ると、迎えに来てくれていた母親の姿があった。
「おかえり、ひかる」
久しぶりの我が家。自分だけの布団、使い慣れた部屋。
温かいお風呂に浸かり、家族で夕食を囲んだ後は、居間で久しぶりにテレビを観た。
最初は画面の明かりがやけに眩しく感じられたけれど、ぼんやりとバラエティ番組を眺めているうちに、その光にもすぐに慣れていった。
(ああ、帰ってきたんだ……)
ようやく一息つき、緊張がほぐれかけたその時、母親から「台所へ来なさい」と声がかかった。
立ち上がって台所へ向かうと、そこには母だけでなく、父親も神妙な面持ちで座っていた。
「今から『受け入れ研鑽会』をするからね」
我が家に戻ってきてまで、村と同じ「研鑽」という形式ばった話し合いをさせられる。
家の中でさえ自由にくつろげない息苦しさに嫌気が差し、少し気が重くなったが、長引かせるのも嫌で「……はい」とだけ短く答えた。
「今まで学園でやってみて、どうだった?」
父親が静かに尋ねてきた。
「朝の作業も夕方の作業も最初は大変だったけど……みんなやってるし、慣れてきたよ。なんとなく、楽しくやってる」
「具体的に、何がどう楽しいんだ?」
父の追及に、ひかるは詰まってしまった。
何が楽しいのかと聞かれても、明確な理由なんて思い浮かばない。
答えられないひかるを見て、母が続いて質問を重ねた。
「学校ではどうなの? 勉強はついていけてる?」
「勉強は、なんとかついていってると思う。でも……地域の子とは、全然喋らない」
「カワギシ学園でも、学校でも、何か楽しかった行事はあるか?」
「……楽しいのかどうかはよく分からないけど、ご飯が美味しい」
ひかるがそう呟くと、母がひかるの全身をまじまじと見つめ、「そういえば、ひかる、少し体重増えたんじゃない?」と言った。
一通りの問い詰めが終わると、父親が締めくくるように聞いた。
「じゃあ、この家庭研鑽は、どういうふうにやっていくんだ?」
「明日は、買い物に行きたい」
会話が噛み合っているか分からないが、ひかるはただ、それだけを答えた。
明日は買い物に出て、明後日には、すぐまた電車に乗ってカワギシ学園へ戻らなければならない。
せっかく3ヶ月間待ち焦がれた帰省なのに、ただ質問に追われ、慌ただしく過ぎ去っていく時間に、ひかるの心は再び冷たく冷えていくのだった。
夜、久しぶりに自分の部屋の布団に入った。
その瞬間、いつもと違う突き抜けたような開放感が、全身を包み込んだ。
(そうだ……! ダブルの布団じゃない……!)
学園の舎生活では、大きなダブルの布団に二人並んで寝るのが当たり前だった。
誰かの寝返りの気配や息遣いに気を遣うこともなく、今夜はたった一人で、この広い布団を独占できるのだ。
「やったー!」という心の叫びとともに、ひかるは羽毛布団をギュッと抱きしめた。
天井の模様を眺めていると、先ほどの「受け入れ研鑽会」の重苦しい余韻はあるものの、一人で眠れるというその一つの事実だけで胸がいっぱいになった。
けれど同時に、明後日にはもうここを出なければならないという現実も、頭の片隅で重くのしかかってくる。
(明日なんか、来なければいいのに……。もう少し、ここで一人でいたいな)
カレンダーを何十日も数え続けて手に入れたはずの時間は、驚くほどの速さで指の隙間からこぼれ落ちていく。
叶わない願いを胸の中で呟きながら、ひかるは一人きりの温もりに包まれて、静かに目を閉じた。
翌朝、家族で朝食を済ませると、母親と二人で街へ買い物に出かけた。
服のサイズが変わったこともあり、季節の洋服を数着買ってもらった。
久しぶりに自分の好きな色や形の服を選べる時間は、束の間の高揚感を与えてくれた。
買い物を終え、近くのファミレスで昼食をとっていると、母が思い出したように言った。
「買った洋服は、荷物になるから宅急便で学園に送るわね」
「あ、じゃあついでにお菓子も一緒に送って」
ひかるが頼むと、母は「適当に選んで送っておくわ」と短く頷いた。
午後の日差しが傾き始めた頃、自宅に戻った。
夕食は、ひかるの好きなエビフライだった。
3日目の朝、駅まで送ってもらい、再び一人で電車を乗り継いだ。
車窓の風景が少しずつ見慣れた街から実顕地の深い緑へと移り変わっていく。
本当に自分は実家に帰っていたのだろうか。
あまりにもあっという間すぎて、夢でも見ていたかのような不思議な感覚に囚われた。
夕方、カワギシ学園に戻ると、ちょうど入浴の時間だった。ひかるは急いで準備をし、浴場へと向かった。
(早くあの洋服、届かないかな……)
手元にはないけれど、自分が選んだ服が数日後には届く。
そのささやかな楽しみだけが、戻ってきてしまった現実の重みを少しだけ和らげてくれた。
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学園には、ひかるのように外の一般社会から来ている子だけでなく、親が村に住み始めたタイミングで来た子、生まれた時から家族全員で村に住んでいる「村の子」たちもいた。
3ヶ月に一度の家庭研鑽の日、村に家族がいる子は、両親が暮らしている各地の実顕地へと帰ることになる。
第1食を終えた夜の自由時間、村に親がいる同じ1年生の沙知が、どこか羨ましそうにひかるたちに話しかけてきた。
「うちも家庭研鑽で親のところ帰ったんだけどさ。お父さんもお母さんも乳牛部にいるから、ずっと牛のわらやりと掃除と搾乳を手伝わされて終わっちゃった。」
「次の日に親が少し休みを取ってくれて、外の街で映画観たり買い物したけど、全然時間が足りなかったな……。一般社会から来てる子は、家でゆっくりできていいよね」
その言葉を聞きながら、ひかるは実顕地特有の衣生活のシステムを思い出していた。
村の子たちが新しい洋服を欲しくなった時は、親ではなく世話係の大人に申請する決まりになっていた。
世話係は「世界の倉」と呼ばれる巨大な倉庫へ行き、リクエストに合う服を探して持ち帰ってくる。
「世界の倉」とは、大人が自分の全財産を投げ打って村に入る「参画」の際に、持ち込んだ全所有物が保管されている場所だった。
だが、そこに都合よく欲しい服があるとは限らない。ない場合は世話係が外の店へ買いに行ってくれるのだが、選ぶのはあくまで世話係のセンスだ。届いた服が、その子が本当に欲しかったものとは限らないのだった。
自分が欲しいものを親に買ってもらえる外の子と、与えられた選択肢の中から受け取るしかない村の子。
「いいよね、自分の好きな服買ってもらえて」
ぽつりと漏らされた言葉の裏に、かすかな羨望と諦めが見えた。
「無所有」と「平等」を掲げる楽園の裏側で、一般社会の家庭を持つ子と、村で生まれ育った子の間には、埋めようのない小さな溝と歪みが、静かに横たわっていた。




