500人分のおはぎと、「きしょー」の声
まだ眠気が残る体を動かしなから、ゴツゴツとしたジャガイモの芽とりをこなしていく。
ゴロゴロと芋洗い機の音が響く生産物加工所の作業場で、ひかるは朝のルーティンをこなしていた。
土の匂いと、水で濡れた軍手の感触。
実顕地での毎日は、こうして淡々とした作業から始まる。
あの息苦しかった実家や学校を離れ、カワギシ学園での本格的な生活が始まってからしばらくが経っていた。
村での暮らしは、決して楽なことばかりではなかったけれど、時には「ちょっと楽しい」と思える時間もあった。
その最たるものが、秋のお彼岸が近づいてきたある日曜日の出来事だった。
「今日はお彼岸のおはぎ作りだよ! 幼児部から大学部まで、学園のみんなの分を作るからね!」
世話係の女性の声がかかり、愛和館の広間に中等部の女子、高等部、そして大学部の女性たちがずらりと集まった。
その数、なんと約500人分。
想像もつかないような膨大な量のおはぎを、たった一日で作り上げなければならなかった。
広間には、蒸し上がったばかりのモチ米の甘い湯気と、たっぷりと炊かれたあんこの香りが充満していた。
「さあ、じゃんじゃん丸めていくよー!」
大きなタライに山盛りにされたモチ米とあんこを前に、作業が始まった。
適量を取って丸め、あんこで丁寧に包んでいく。
最初は手つきがぎこちなかったひかるも、隣の高等部のお姉さんたちの素早い動きを見よう見まねで真似しながら、ひたすら手を動かした。
何百個、何千個という果てしない数字に、最初は眩暈がしそうだった。
手はあんこでベタベタになり、立ちっぱなしの腰や背中が徐々に重く痛んでくる。
ふと、ひかるから少し離れた作業台のあたりから「クスクス」と抑えきれない小さな笑い声が漏れ聞こえてきた。
なんだろう、とひかるが手を動かしながら視線を向けると、中等部3年生の先輩を囲んで、数人の女子たちが肩を揺らして笑っている。
どうやらその先輩が、世話係の女性のモノマネをしているようだった。
「〇〇するよー」
「〇〇したらアカンよー」
「子供らしくなんでもやってみるよー」
声こそ周囲に響かないよう低く抑えられているものの、村独自の言葉の使い回し、独特な口癖や、少し大げさな手つきを再現しているのが遠目からでもよく分かった。
眉間にしわを寄せて「よく見て、よく聞くよー」と囁くような真似をしてみせると、周りの高等部の先輩たちも「似てる!」「ちょっと、怒られるよ」と言いながら、あんこのついた手で口元を覆って必死に笑いをこらえている。
普段は「無所有」や「調和」といった重たい理念に包まれている実顕地だけれど、大人たちの目が届かない女子だけの作業場では、こうして影で大人たちの真似をしてはしゃぐ、ごく普通の少女たちの空気が流れていた。
ひかるも手元でおはぎを丸めながら、思わずくすりと口元を緩めた。
学校にいた頃のように「こんなことで笑ったら変に思われるかも」とか「裏で何か言われているんじゃないか」と怯える必要はここにはなかった。
遠くから聞こえる他愛のない笑い声と、静かに共有される秘密のような空間が、ひかるの緊張をふっとほぐしてくれた。
日が傾き始める頃、バットに美しく並べられた2千人分のおはぎが、整然と調理場に積み上がった。
「ふう、やっと終わったー!」
誰かが小さく声を上げ、みんなで顔を見合わせてほっと息をついた。
肩や腰はパンパンに張り、全身はくたくただった。けれど、胸の奥には、これまで学校や家では一度も感じたことのなかった「みんなで一つの大きなことをやり切った」という清々しい充実感が、じんわりと広がっていた。
(頑張れば、私でもここでやっていけるかもしれない……)
甘いあんこの匂いに包まれながら、ひかるは自分の手が作った丸いおはぎを見つめ、静かに心の中でつぶやいた。
母の言っていた「本当の幸せ」が何なのかはまだ分からなかったけれど、この充実感だけは、今のひかるにとって確かな救いのように思えたのだった。
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その日の「第1食」——夕食の時間。
学園の愛和館の食堂には、普段のメニューに加え、午前中にみんなで手作りした色艶やかなおはぎが誇らしげに並べられていた。
「おはぎ、すごく美味しいね!」
中等部の生徒たちが集まるテーブルでは、およそ10人の男女が座り、口の周りにあんこをつけながら満足そうにおはぎを頬張っていた。
膨大な量をやり切った達成感も手伝って、女子たちの間には和やかな空気が流れている。
しかし、ひかるはそのテーブルの光景を眺めながら、胸のどこかに引っかかっていた小さな違和感を拭えずにいた。
(やっぱり、誰も男子と話してない……)
男女が目と鼻の先に座っているというのに、男子部と女子部の子が1対1で会話を交わす場面を、ひかるはここで一度も見たことがなかった。
学園に来たばかりの頃、食器を戻す場所が分からず近くにいた男子部の子に尋ねたことがあった。
その子は弾かれたように酷くびっくりし、場所こそ教えてくれたものの、あからさまに迷惑そうな顔を浮かべたのだった。
また別の日にも、醤油を足しに行く場所が分からず通りかかった男子に声をかけたが、やはり嫌そうな顔をされた。
どうやらこの村では「男子は男子、女子は女子とだけ会話する」という暗黙のルールが徹底されているらしかった。
恋愛禁止とは聞いていたけれど、ただの日常会話すら拒絶されるような空気に、ひかるは妙な異様さを感じていた。
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おはぎの余韻も冷めやらぬ週末、村にやってくる見学客をもてなすための「村参観」に向けた準備が始まった。
土曜の夜に催される集会で、中等部生は村のオリジナルソングを合唱することになっていた。
そのための練習として、夜、広い大部屋に中等部全員が集められた。
「さあ、元気に子供らしく! 学園生活の楽しさを歌いましょう!」
世話係の声がかかり、ピアノの伴奏が流れ始める。
女子たちが爽やかに声を張り上げる一方、ひかるの視線は並んでいる男子部たちの姿に引き寄せられた。
のびのびと楽しそうに歌う子がごく一部いる一方で、多くの男子の表情はどこか険しく、投げやりに見えた。
視線をずっと床に落としたまま口をほとんど動かさない子や、あからさまにつまらなさそうな顔をしている子。
男子たちの間には、女子の作業場にあったような無邪気な空気は感じられなかった。
その時だった。
歌の合間の小さな静寂をついて、男子部の列からボソッと低い呟きが聞こえた。
「……きしょー」
ひかるの耳に、その言葉がはっきりと届いた。
「気色悪い」「気持ち悪い」を略した、トゲのある陰湿な言葉。
それは明らかに、一生懸命に歌っている女子部、あるいはこの集団の空気そのものに向けて投げかけられた蔑みだった。
(……なんで?)
ひかるの胸の奥で、冷たい不快感とふつふつとした怒りが湧き上がった。
男女で会話をすることも許されず、ただ同じ場所にいるだけで「気色悪い」と嫌悪感を剥き出しにされる理不尽さ。
昼間に感じたおはぎ作りの充実感や「ここでならやっていけるかもしれない」という小さな希望に、冷や水が浴びせられた気がした。
人間関係の悩みや争いのない「楽園」のはずのこの場所にも、学校と同じような、いや、それ以上に歪で不穏な溝が確かに横たわっていた。




