第二話 仕込みは静かに、着実に
舞台裏の準備、抜かりなく進めますわ。
翌朝から、リゼットの一日は普段の何倍も慌ただしくなった。
「アンナ、王城の中庭の見取り図は?」
「こちらに。それと、お願いされていた方々のご都合も、大方確認が取れました」
侍女のアンナが差し出した紙束を、リゼットは丁寧に確認していく。証人として選んだのは、いずれも口が堅く、かつミアに好意的な貴族たち。彼らが「見た」と証言することで、後の話の信憑性が格段に上がる。
「アンナ、この方たちの人となりは?」
「クレイン子爵夫人は噂好きですが、根は誠実な方です。ベルダン伯爵は寡黙ですが、一度見たものは決して曲げて語りません。この二人が証人にいれば、噂は正しい形で社交界に広まるかと」
「――さすがですわね、アンナは。あなたがいてくれて助かりますわ」
アンナは少し照れたように目を伏せたが、その表情はどこか誇らしげでもあった。
(配役はほぼ固まりましたわね。あとは、当日の台詞と間合い……)
紙束を捲りながら、リゼットは何度も読み込んだ乙女ゲームの記憶を頼りに、ユリウスとミアの人物像をノートの端に書き出していく。
(ユリウス様:感情を出すのが苦手なだけ。本当は誠実。……ミア様:人の役に立ちたい気持ちが強すぎて、自分の本心を後回しにする癖あり)
書き出しながら、ふと苦笑が漏れた。まるで、脚本の人物覚書だ。前世の癖は、こんなところにまで顔を出す。
(この二人がすれ違ったまま婚約破棄イベントを迎えれば、きっと後味の悪い結末になりますわ。だったら――)
リゼットは、紙に書きつけた台詞を、何度も声に出して確認した。
「わたくし、殿下との婚約に、もう耐えられませんの……」
鏡の前で、わざとらしいほどの震え声を作ってみる。声の高さ、震わせる箇所、間の取り方――前世で数え切れないほど演出してきた「悲劇のヒロイン」の型を、丁寧になぞっていく。
「――なんて、大根役者にも程がありますわね」
思わず苦笑いが漏れた。だが、この程度の演技力があれば十分だ。大切なのは、感情の説得力ではなく、状況の説得力なのだから。
その日の午後、リゼットは図書室でミアと偶然を装って顔を合わせた。実際には、ミアの立ち寄り先をアンナに調べさせた上での「偶然」だった。
「あら、ミア様。こんなところで奇遇ですこと」
「り、リゼット様……!お、お邪魔でしたら――」
ミアは、慌てたように本を胸に抱え直した。表紙には、薬草学の分厚い専門書と書かれている。
「聖女の勉強ですのね。感心いたしますわ」
「いえ、そんな……まだまだ全然」
リゼットは、さりげなく隣の椅子に腰を下ろした。
「殿下とは、うまくやれておいでですか?」
「え……あ、はい。殿下にはいつも良くしていただいて。……あの、兄のように、慕っております」
その答えに、リゼットは内心で小さく頷いた。
(――兄、ですのね。やはり)
言葉の端々から滲む雰囲気に、恋の甘さは無い。あるのは、純粋な敬愛と、少しの遠慮だった。
「素敵なことですわ。大切な方がいるというのは」
リゼットがそう微笑むと、ミアは少し照れたように俯いた。何も知らないミアのその表情に、リゼットは一瞬だけ胸が痛んだ。だが、この芝居の先に、彼女自身の本当の幸せもきっとあるはずだと、自分に言い聞かせた。
(あの視線……恋というより、兄を案じるような目ですわね。やはり、ミア様の想いは恋愛感情ではありませんことよ)
その確信は、リゼットの脚本を、さらに強固なものにしていた。
「――何をしている?」
不意に背後から声を掛けられ、リゼットは反射的に紙を扇の下に滑り込ませた。庭園で台本の最終確認をしていたところを、まともに見られてしまったらしい。
「殿下。ごきげんよう」
振り返り、優雅に一礼する。
「随分と熱心に、何かを書いていたようだが」
「趣味の詩作ですわ。お恥ずかしいところをお見せしました」
その返答に、ユリウスはわずかに眉を寄せた。
「――君が、詩作?初耳だな」
「淑女には、いくつか秘密があるものですのよ」
リゼットは涼しい顔でそう返したが、内心では冷や汗をかいていた。
(勘の良い方ですこと。少し油断がすぎましたわ)
ユリウスは、しばらくリゼットの顔をじっと見つめていた。何かを探るような視線だった。
「――近頃の君は、少し変わったな」
「そうですか?」
「以前より、よく笑うようになった」
ユリウスは、そう言った後も、しばらくリゼットの顔から視線を外さなかった。値踏みするような、それでいてどこか居心地悪そうな、彼にしては珍しい間の長さだった。
その言葉に、リゼットは一瞬、言葉に詰まった。
(自覚がありませんでしたわ。舞台を作ることが、こんなにも楽しかったなんて)
「気のせいですわ」
リゼットは、扇で口元を隠しながら、そう答えるしかなかった。
「そうか」
ユリウスは、それ以上は追及せず、静かに立ち去っていった。その背中を見送りながら、リゼットは小さく息を吐く。
(あと数日。それまでに、全ての仕込みを終わらせなければ)
日が落ち、屋敷の窓に明かりが灯る頃。リゼットは自室で最後の確認作業に取り掛かっていた。証人の配置、当日の天候予測、ミアが会場に来る時間帯まで、細部に至るまで計算し尽くす。
「アンナ、明日の夜会の招待客名簿を、もう一度確認させてくださいませ」
「はい、こちらに。……お嬢様、随分と念入りですね。まるで本当の舞台の裏方のようですわ」
「――ふふ、言い得て妙ですこと」
リゼットは、思わず口元を緩めた。前世の自分が、まさかこんな形で「裏方」の仕事に戻ってくるとは思っていなかった。
「お嬢様。……もし、うまくいかなかったら、どうなさるおつもりですか」
アンナが、ふと真剣な顔で尋ねた。リゼットの計画のすべてを知る、数少ない味方の一人だった。
「うまくいかない場合、ですか」
リゼットは少し考えてから、静かに答えた。
「その時は、その時ですわ。舞台というのは、どれほど綿密に準備しても、本番で何が起こるか分からないもの。それでも幕を上げる勇気が、演出家には要りますの」
「――お嬢様らしいお答えですね」
アンナは、どこか安心したように微笑んだ。
「――これで、大方は揃いましたわね」
紙に書かれた「台本」を、リゼットは満足げに見つめた。
あとは、幕が上がるのを待つだけだ。
窓の外、明日の夜会に向けて、王都の灯りが静かに瞬いていた。遠くの教会の鐘が、夜の静けさの中に一つだけ、澄んだ音を落としていく。
第二話、いかがだったでしょうか。
準備を着々と進めるリゼットですが、ユリウスの鋭い観察眼に少しずつ気づかれ始めています。次話はいよいよ本番。婚約破棄劇の幕が上がります。
最後までお付き合いいただけると嬉しいです。




