第二十二話:仕組まれた陥穽、汚された栄光
竜の国と人間界の境界域。乾いた荒野。
ゼファー(26歳)は、岩陰に身を潜めていた。隣にはセフィラ(16歳)が伏せている。2人とも傭兵の汚れた外套を纏い、王族の気配は微塵もない。
「ゼファー。あれ、見て」
セフィラが顎で示した先、廃墟の街道を、帝国の武器商人の馬車が通過していく。週に1度の定期便。表向きは教団への武器供給ルート。だがゼファーは半年前から、この馬車がもう1つの荷を運んでいることに気づいていた。
魔導通信符。竜の国と教団の間を繋ぐ、違法な裏通信の中継媒体。
「来た。——符が光ってる。通信中だな」
ゼファーが風の魔力を極限まで細く伸ばした。空気の振動から、魔導通信の波動を拾い上げる。傭兵稼業で身につけた技術だった。依頼を受けるだけが仕事じゃない。土地を知り、人を知り、情報を盗む。
断片的な音声が、風に乗って届いた。
『——証拠の捏造は完了した。クレイヴの筆跡を模した書簡——』
『——輸送任務に配置させろ。襲撃は我が方で手配する——』
『——死兵を送る。精神汚染済みの竜だ。教団の人間には区別がつかん——』
途切れ途切れだった。だが、ゼファーの顔色が変わるには十分だった。
「セフィラお嬢。今の——」
「聞こえた。クレイヴ。ヒカル・クレイヴのことだよね」
セフィラの透き通った水色の瞳が、鋭く細まった。レヴィアが想いを寄せる人間の名前。念話で何度も聞いた名。
「筆跡を模した書簡。輸送任務。襲撃。死兵。——罠だ。あの人間を嵌めるための」
ゼファーは風の魔力を収束させ、傍受した内容を記憶に焼き付けた。すべての断片を繋ぎ合わせれば、絵が見える。教団の内部の誰かが、竜の国の古王と手を組んで、ヒカル・クレイヴを抹殺しようとしている。
「シエルに送る。今すぐ」
ゼファーが懐から小さな風の結晶を取り出した。念話ほどの魔力消費はないが、短い暗号文を風に乗せて飛ばせる、ゼファー独自の通信手段。
セフィラが暗号を口述し、ゼファーが結晶に刻む。2人の連携は6年で完璧に磨かれていた。
風の結晶が砕け、目に見えない風が北方へ駆けた。
人間界。
教団領、東方街道。
ヒカル・クレイヴ(18歳)は、軍機物資の輸送隊の先頭を歩いていた。
任務は単純だった。教団本部の重要物資を東方の前線基地まで護衛する。分隊20名。街道は安全圏。通常なら、特別軍師候補が指揮する任務ではない。
違和感は、最初からあった。
「——停止」
ヒカルが手を挙げた。輸送隊が止まる。
「クレイヴ分隊長?」
「街道の左右、200メートル先。気配がある」
次の瞬間、森の奥から咆哮が響いた。
竜の群れが街道に殺到した。5体。いずれも中型の戦闘竜。だがその目は——空虚だった。瞳孔が開ききり、涎を垂らし、痛みも恐怖も感じていない暴走状態。
(精神汚染——? なぜ、教団の安全圏に?)
ヒカルは即座に防御陣形を組み、部下を輸送車の陰に退避させた。竜の動きは乱暴だが、汚染されているぶん行動が読みやすい。ヒカルの指示は的確で、部下の損耗を0に抑えながら、竜の群れを街道の外へ誘導していく。
だが、それこそが罠だった。
背後から蹄の音がした。振り返ると、教団の憲兵隊が街道を塞いでいた。30名。完全武装。その先頭に——カインが立っていた。
「カイン教官——?」
「ヒカル・クレイヴ特別軍師候補」
カインの声は、かつての師のものではなかった。公式な、冷たい声。
「貴様には竜族への軍機漏洩、および内通の疑いがある。武装を解除し、拘束を受けろ!」
「何を——」
「証拠はある!!」
カインが書簡を掲げた。ヒカルの筆跡を完璧に模した、古王への密書。輸送ルートと物資の詳細が記されている。
「これは偽造だ。俺はこんなものを書いていない!!!」
「それを判断するのは軍法会議だ。——なお、部下のリード伍長とマーカス二等兵が、貴様が竜と会話しているのを目撃したと証言している」
ヒカルの目が見開かれた。リードとマーカス。自分の部下だ。振り返ると、2人は目を逸らしていた。怯えた顔。脅されたのだと、すぐに分かった。
だが、分かったところで、何も変わらなかった。
憲兵がヒカルの両腕を掴んだ。抵抗すれば、偽造書簡の信憑性が増すだけだ。ヒカルはそれを瞬時に計算し、抵抗をやめた。
カインが近づいてきた。憲兵に見えない角度で、ヒカルの耳元に囁いた。
「——お前は、最初から竜の側だったんだよ。自覚がなかっただけでな」
ヒカルは拘束されたまま連行されていく。教団の兵舎に戻ることはなかった。独房に放り込まれ、軍法会議の日程すら知らされない。
その夜のうちに、布告が出された。
「大逆罪人ヒカル・クレイヴ。竜族への内通および軍機漏洩の罪により、一切の地位を剥奪する。クレイヴ家の家督は没収、財産は教団に帰属するものとする」
18年間、人間のために尽くしてきた少年の人生が、1枚の偽造書簡で灰になった。
竜の国、南方。火山洞窟。
ゼファーの風の暗号がシエルを経由して届いた時、レヴィアは鍛錬の最中だった。
フレアが暗号を読み解き、伝えた。レヴィアの拳が止まった。
「——嵌められた? ヒカルが?」
「はい。教団内部の上官とどうやら古王が結託し、内通の証拠を捏造。輸送任務中に拘束されたと」
右腕の布が激しく脈打っている。とくん、とくん、とくん。速い。乱れている。——そして、急速に弱くなっていく。絶望の鼓動だった。
「もう始まっている。嵌められた後だ——」
レヴィアは踵を返した。洞窟の出口に向かって走り出す。
「レヴィア様!」
フレアが前に回り込んだ。両腕で姫の肩を掴む。
「お離しなさい、フレア!」
「お聞きください! 今動けば、6年間の——」
「6年間の沈黙が水泡に帰す。分かってる。1,600の仲間が危険に晒される。それも分かってる!」
レヴィアの金色の瞳が、フレアを真正面から射抜いた。
「でもね、フレア。あの人の鼓動が消えかけてる。絶望で、死のうとしてる。——今行かなければ、助ける相手がいなくなるのよ」
フレアの手が、一瞬だけ緩んだ。
その一瞬で十分だった。
レヴィアはフレアの腕をすり抜け、洞窟を飛び出した。紅蓮の炎が夜空に尾を引き、竜体に変じたレヴィアが人間界へ向かって翼を広げる。
「レヴィア様!!」
フレアは追おうとした。だが洞窟の外に出た時、レヴィアの炎はすでに遠く、火山の稜線の向こうに消えていた。
騎士は、暗い空を見上げたまま立ち尽くした。
追えなかった。
6年間、半歩後ろについてきた。6年間、この笑顔を守ると誓った。——それなのに、最後の最後で、姫は1人で飛んでいった。自分を置いて。あの人間の男のために。
フレアの拳が震えた。
(——あの男。あの人間のせいで、レヴィア様が無茶をする。6年間の計画を捨てて、たった1人で敵地に飛び込む。あの男がいなければ、こんなことには——)
怒りだった。嫉妬ではない。断じて。
レヴィア様を危険に晒す存在。それが、フレアにとってのヒカル・クレイヴだった。
◇◆◇◆◇
氷の隠れ里。
シエルがゼファーの暗号と、レヴィアが単独で飛び出したというフレアからの緊急通信を同時に受け取った時、すでにアクアは立ち上がっていた。
「アクア様。レヴィア様が単独で人間界へ——」
「聞こえた。——シエル、移動の準備をしなさい」
「どちらへ?」
「レヴィアがヒカルを連れて戻る先は、境界域の廃墟か、山岳の洞窟。どちらにしても、数日以内に我々と接触できる圏内よ」
アクアは銀色の髪を払い、氷壁の地図を見つめた。
「レヴィアは感情で動いた。だが、結果的にシエルの計画通りになっている。教団がヒカルを追放した瞬間に迎えに行く——89%の計画通りよ」
「……11%の方ではなかった、ということですね」
「ええ。レヴィアの愛は、計算より強かった。——それだけのこと」
アクアは外套を手に取った。
「ヒカルがレヴィアに連れられて竜の国に来る。その直後に、我々が合流する。彼に——王の資格があるかどうか、この目で確かめる」
シエルが眼鏡を押し上げた。
「合流のタイミングは?」
「レヴィアが彼をどこかに匿い、最初の戦闘を終えた直後。彼の実力が証明された瞬間に現れる。それが最も効果的よ」
「……さすがアクア様。計算高い」
「それは褒めているの?」
「いいえ、事実を述べています」
アクアは氷の隠れ里を出る支度を始めた。6年間、凍らせてきた感情の奥で、何かが微かに揺れていた。
(レヴィアが命を懸けるほどの人間。——見てみましょう、ヒカル・クレイヴ。あなたが本当に、妹の涙に値する男かどうか)
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