第二十一話:紅蓮の研鑽と、嫉妬の火種
南方、火山地帯。溶岩洞窟群。
赤い閃光が、洞窟の壁を焦がした。
レヴィアの拳がフレアの剣に弾かれ、体勢が崩れる。間髪入れず、フレアの右脚が腹を捉えた。
「——っ!」
レヴィアが吹き飛び、岩壁に叩きつけられた。背中から溶岩の縁に落ち、灼熱の飛沫が肌を焼く。
「レヴィア様。立ってください。——まだ終わっていません」
フレアの声は丁寧だった。だが右腕1本で構えた炎の剣に、慈悲はなかった。
レヴィアの魔力は、数値にすればフレアを遥かに凌駕している。純粋な破壊力なら、この洞窟ごと消し飛ばせる。だがそれは戦場では意味がない。圧倒的な魔力を持ちながら、近接戦闘で的確に力を使えなければ、守りたいものも守れない。フレアとの訓練は、まさにそこを鍛えるためにあった。
剣技と実戦経験ではフレアが上。魔力で押し切れない相手にどう戦うか。6年間、毎日それを叩き込まれてきた。
「……まだ、よ」
レヴィアは地面に手をつき、立ち上がった。膝が震えている。今日だけで37回倒された。全身に痣と火傷。それでも立つ。
「お言葉ですが、レヴィア様」
フレアが剣を構えたまま、静かに言った。
「今の踏み込みで、無意識でしょうが、右腕を庇いました。あの布を気にした瞬間に、軸がずれています。実戦であれば——命を落とします」
右腕の赤い布。ヒカルの鼓動が伝わる、唯一の繋がり。戦闘中でも無意識にそれを庇ってしまう。フレアはそこを容赦なく突いてくる。
「レヴィア様の炎は、このままでは守る力になりません。大切なものを想うあまり、炎が縮こまっている。情に流された炎は——ただの灯火です」
厳しい言葉だった。だがその目は、手のかかる妹を見守る兄のような色をしていた。フレアはいつもそうだ。言葉では突き放しても、視線だけは姫を見捨てない。
レヴィアは唇を噛んだ。
右腕の布が、とくん、と脈打った。
遠い人間界で、ヒカルが生きている。その鼓動が、折れかけた膝を支える。
「……もう1回、お願い。フレア」
「何度でも。レヴィア様が『守る炎』を掴むまで、俺の剣は止まりません」
フレアが剣を構え直した。
レヴィアは拳を握った。今度は布を庇わなかった。庇うのではなく、布ごと拳に炎を纏わせた。ヒカルの鼓動を——武器に変えた。
踏み込む。フレアの剣が迎撃に動く。これまでの37回なら、ここで弾かれて終わる。だが38回目のレヴィアの炎は、それまでとは質が違っていた。破壊のための炎ではない。奪われたくないという執念が、純粋な熱量に変わっている。
拳がフレアの剣に触れた瞬間、轟音が洞窟を揺らした。
フレアの剣が弾かれた。
フレアは数歩後退し、痺れた右手を振った。レヴィアの魔力が本気で剣技と噛み合った時、自分では受けきれない——それを身をもって確認した。フレアは口元をわずかに緩めた。
「……それです、レヴィア様」
レヴィアは肩で息をしていた。拳から炎が揺らめいている。赤ではなく、紅。血の色に近い、深い紅蓮。
執念の焔。それがレヴィアの炎の正体だった。
一方、人間界。
グランテェリア帝国の辺境にある教団領、南方戦線。
18歳のヒカル・クレイヴは、焼け落ちた村の中央に立っていた。
作戦は終わった。竜の襲撃から村を守り、住民の避難を完了させ、竜の群れを戦闘なしで撤退に追い込んだ。味方の死者0。住民の死者0。竜の死者——0。
完璧な勝利。誰も死なない勝利。
「クレイヴ分隊長! 村の長老が礼を言いたいと——」
「不要だ。撤収する」
ヒカルは振り返らずに歩き出した。背後で村人たちが頭を下げている。子供が母親に訊いている。「あの人が、竜殺さずの英雄?」
英雄。その呼び名が、最近になって民衆の間で広まり始めていた。竜を殺さずに村を守る若き軍師。犠牲を出さない指揮官。人々はそれを称え、噂はやがて教団本部にまで届いた。
だが教団の上層部にとって、「竜を殺さない英雄」は称号ではなく、問題だった。
帰還した兵舎で、ヒカルは報告書を書いていた。簡潔に事実だけを記す。感想はない。感情を記す欄は、ヒカルの報告書にはいつも空白だった。
「また0か」
声がした。ヒカルが顔を上げると、カインが扉にもたれていた。
「カイン教官」
「教官はやめろ。今は同じ指揮官だ」
カインが部屋に入り、ヒカルの報告書を覗き込んだ。
「竜の死者0。これで14回連続だな。上は苛立っている。『クレイヴは竜族のスパイではないか』と真剣に議論している幹部もいる」
「竜を殺す必要がない作戦を立てているだけです」
「分かっている。だからこそ厄介なんだ」
カインが椅子に腰を下ろした。柔和な笑み。師として弟子を案じる表情。だがその目の奥に、別の光が宿っていることを、ヒカルは気づいていなかった。
「お前の才能は本物だ、ヒカル。俺が保証する。だが才能だけでは組織の中で生き残れない。——少しだけ、妥協することを覚えろ。次の作戦で、竜を1体でも仕留めれば、上の風向きは変わる」
「妥協するつもりはありません」
「……そうか」
カインが立ち上がった。笑みは消えていなかった。
部屋を出て、廊下を歩きながら、カインの表情が変わった。柔和さが剥がれ落ち、その下から冷たい鉄の目が現れる。
(——教え子が私を越えるなど、あってはならないのだ)
カインはかつて教団で「天才」と呼ばれた男だった。最年少で分隊長になり、数々の作戦を成功させた。だがヒカルはその記録をすべて塗り替えた。最年少の特別軍師候補。損耗率0の伝説。民衆が「英雄」と呼ぶのは、もはやカインではなくヒカルだった。
嫉妬。
それを認めるほど、カインは素直ではなかった。だからそれを「危機感」と呼び替えた。教団のために。組織の秩序のために。竜に甘い軍師を放置すれば、教団の根幹が揺らぐ。——そう自分に言い聞かせた。
嘘だった。ただ、耐えられなかっただけだ。自分の全盛期を、18歳の少年に超えられたことが。
教団本部、カインの私室。
深夜、カインは机の引き出しから、1枚の名刺を取り出した。
それは、帝国の武器商人から渡されたものだ。表向きは商取引の連絡先。だが裏面に刻まれた魔導紋様は、竜の国との裏通信を可能にする違法な代物だった。
帝国は教団と竜の国の間に立ち、双方に武器と情報を売っている。教団の兵士がこの裏ルートを使っていることが発覚すれば、即座に反逆罪で処刑される。
もはやカインは迷わなかった。
魔導紋様に魔力を注ぎ、帝国の仲介者を経由して暗号を送る。
『取引を提案する。教団内部の情報を提供する用意がある。見返りとして、ある人物を教団から排除するための協力を求める』
返答は、帝国の仲介者を経由して翌日の夜に届いた。竜の国側——古王の側近からのものだった。
『教団内部の情報とは具体的に何か。我々が求めているのは、竜の国に潜伏する王女たちの所在だ。それに資する情報であれば、協力を検討する』
王女。カインにとっては縁のない話だった。だが古王が何かを強く欲しているという事実——それだけで交渉の材料になる。
『教団の情報網を使って調査する。竜の国の潜伏者に関する教団の偵察記録を提供できる。——見返りとして、ヒカル・クレイヴという軍師候補が竜族と内通しているという証拠の捏造に、貴殿らの魔導技術を求める』
長い沈黙。そして返信。
『人間の軍師1人を消す手伝い程度で教団の偵察記録が手に入るなら、安い取引だ。——承諾する。詳細は追って仲介者を通じて伝える』
カインは密書を焼却し、灰を窓から捨てた。夜風が灰を攫い、闇に溶かしていく。
教団の訓練場を見下ろす。月明かりの下、誰もいない訓練場の隅に、1つだけ灯りが点いている。ヒカルの部屋だ。18歳の少年は、今夜も眠らずに次の作戦を練っているのだろう。
(——潰す。お前が英雄になる前に)
カインの嫉妬。古王の執念。2つの悪意が、帝国の闇商人という細い糸で結ばれた。
ヒカルはそのどちらにも気づいていない。
窓の外で、灰色の空に薄い月が浮かんでいた。赤みを帯びた月だった。
ヒカルはふと窓の外を見上げ、その月の色に——また、あの残像を見た。
赤。燃えるような、赤。
10年間、消えない色。
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