67.過去回想 〜破滅の悪魔⑤〜
倒れた衛兵とジェイが発見され、顧客であるヘレンゲルとアシェル、さらに生体移植用の奴隷まで消えた屋敷ではチェイスが怒り狂っていた。
その怒りの矛先は消えた二人であると同時に、推薦状を書いた依頼人に向けられる。
「があああああ!クソがッ!あの野郎、スパイを送り込んで来やがった!だが、まだ臓器移植の確証までは掴んでねえはずだ!」
そうは言ったものの、奴隷まで連れて行かれたのはかなり手痛い。何とか冷静さを保とうとするが、まんまと自分をハメた相手に怒りが収まらない。手当たり次第、邸宅に残っていた衛兵に命令を下す。
「お前ら、あのジジイとガキを見つけ出して殺せ!それほど遠くまで行っちゃいないはずだ!急げ!」
一方その頃、へレンゲルはといえば鉄の馬――またの名をバイクにアイビーを乗せて颯爽と邸宅を離れていた。もはや衛兵が彼らを見つけられるわけもなく。エンジンを唸らせながら悠々と山道を駆ける。
再び屋敷ではジェイが目を覚まし、状況を聞かされたことで己の立場の危うさを自覚した。御者を急かして馬車を準備させ、慌ててチェイス邸を飛び出した。
「あの若造めが!とんだ釣り糸を掴まされおって!もうこの国はダメだ。また次の地を探さんと!」
馬車は山の奥にある洋館に辿り着いた。七年前、それ以前より付き合いがあったチェイスが領主になったことで充てがわれた最高の場所だった。隠れ家としても、奴隷を管理する場所としても優秀だったのだが。
「これほどの場所を捨てるのは惜しいわい。」
だが、そうも言っていられない。もし自分の存在が国にバレ、地域一帯に調査団が派遣されれば逃げ切る事はできない。捜索の手が及ぶ前に、ジェイは国を離れる事に決めた。
この臆病過ぎるほどの決断の早さが、あらゆる追跡から彼を逃れさせてきたのである。
地下では少女がアイビーの帰りを待っていた。『最後になる』と言われて連れて行かれた彼女が帰ってくるなどありえないと分かっていたのに。
ルインは憎しみに歪んだアビーの顔が忘れられなかった。彼女の人生でただ二人味方になってくれた院長とアイビー。二人の不幸な最期を想って己を恨む。
「私が生まれたから……。」
はじめからそうだった。顔を見る前に亡くなった母。狂って破滅した父とその犠牲になった領民。巻き込まれた院長や子どもたち。そしてアイビー。
全ての不幸は自分が生まれたことから始まった。そして今なおそれは周囲の人間に伝播するように破滅していく。その全ての人がルインに向かって『お前のせいだ』と指をさす。
アイビーが連れ出されていくらか経ったころ、階段を降りてくる足音が一つ。コツコツと鳴る音は老爺のものであったがそのペースはかなり早い。焦っているときのそれだった。
キィと開いたドアから老爺が一人で入ってくる。『やっぱりアイビーは』と失望したルインだったが、老爺の様子がいつもと違うことに気づいた。何かの問題が発生したようで、ぶつぶつと暴言を吐きながら奴隷の選別を始めていた。
聞いているとどうやら追手がかかるかもしれないらしく、この地から逃げる支度をしているようだった。
だが、ルインの目にはもう一つ、いつもと異なる姿が映っていた。老爺が入ってきた扉に一人、真黒な服に身を包んだ少年――アシェルが影のように立っていたのだ。ルインと目が合うと、人差し指を口の前に立てる。
影には音もなく、空気の揺らぎすらない。アシェルの動きはまさにそれだった。まるで接近を悟らせずにジェイの背後に周ると、突っ張っていた膝裏に自身の膝で衝撃を与える――通称『膝カックン』、またの名を『膝崩し』。
ジェイが態勢を崩し、頭の位置が下がったところにチョークスリーパー。約七秒間の頸動脈の圧迫によりジェイの意識はまたもや消失した。
アシェルは力の抜けたジェイに拘束具を嵌め、支柱に括り付ける。その足で洋館の中を隈無く探すと、ようやくお目当てのものが見つかった。奴隷商として管理している顧客リストと商品情報、そして帳簿だ。
アシェルはパラパラとページをめくり、中身に目を通すと確信した。これだけの材料が揃えば、過去の治療に対するジェイの関与は確実に証明できる、と。
アシェルは地下へ下り、再び奴隷が収容されている檻の前に立つと至って冷静に問いかける。
「これから皆さんに三つ、選択肢を提示します。」
何が起こっているか分からない奴隷たちはアシェルに目を向ける。これから何が起こるのかと恐怖すら抱いて。
「一つ目。貴方がたを国に引き渡します。当然、この先も奴隷として生きることにはなりますが今よりは遥かにマシな待遇を受けられるはずです。」
奴隷たちは黙ったまま聞く姿勢を保つ。
「二つ目。我々が責任をもって貴方がたを保護します。居住区の制限や多少の労働は伴いますが、決して苦しい思いはさせません。」
奴隷たちは顔を見合わせて、アシェルの話を信じていいものか迷う。聞こえはいいが奴隷の身からすれば、結局主人が変わるだけに思えてならないのだ。
「そして三つ目。貴方がたの拘束を解きます。その先は自由にしてもらって構いませんが、できればここで見たことは忘れてください。」
そこでアシェルの言葉が終わると『え、それだけ?』と奴隷たちは呆気にとられた。皆が混乱の中ざわめく。
奴隷になって希望を失ったところに降って湧いた自由。そして、不確定な未来への不安。様々な想いが交錯して、迷い、考え、それぞれの道を決める。その中で一人の男が声を上げた。
「ここから出してくれ。自由になりたい。」
その一声を待っていたとばかりに『僕も』『私も』と次々に名乗りを上げる。囚われて失いかけていた自主性が蘇っていく。
アシェルが順に解放すると皆お礼を言って地下を駆け上がっていく。奴隷であった人たちは前に倣えと次々に解放を訴え、アシェルは約束通り全てに応えたのだった。
全ての人を解放し終えたと思ったアシェルだったが、ただ一人、檻に残る少女の姿があった。将来、絶世の美女になることが約束されたような整った顔立ち。他の人たちと比べて衰弱した様子はないが、彼女の目はただ虚ろだった。
檻には『ルイン』の文字が記載されたタグが。アシェルが記憶した商品情報の中にも一致した名前はある。
チェイス男爵の前任の領主、グレアムの娘。そして、穢魔だ。
奴隷となって以来、一度も臓器移植の履歴がないことから、ジェイがその美しさに目をつけていたことが分かる。完全な状態で売れば、相当な高値がついたはずだ。
「貴女は出ないのですか?」
アシェルが訪ねるとルインはコクリと一度頷く。もう生きていく希望を持っていない目だとアシェルは感じた。
ふと屋敷で助けた少女のことを思い出す。ちょうど同じくらいの歳だった。もしかしたら名前や顔くらいなら知っているかと思い、それとなく少女の名前を出してみる。
「そういえばアイビーという少女を――」
ルインの顔が勢いよく上がる。その目にはわずかばかりに希望の火が灯っていた。
「お知り合いでしたか。」
「はい、私の……いえ、私が不幸にしてしまった方です。」
アシェルは驚いた。その可愛らしい声にではなく、ルインがアビーと全く同じ反応をしたことにだ。そして、その歳に不相応な丁寧な言葉遣い。
「あの……なぜ、あの方の名前を……?」
「彼女は僕たちが保護しました。随分と弱っていたので今は優秀な医者に診てもらっている頃だと思います。」
「安心……いたしました。」
ルインは心底ホッとしたような顔をする。それだけアイビーのことが心配だったと見える。お互いに『友達』と言わないことに裏を感じつつも、アシェルは助けられてよかったと思った。だが――
「では、僕について来てください。彼女に会わせます。」
「いえ……。」
ルインの反応はアシェルの想定していないものだった。黙って首を横に振ったのだ。せっかく目に宿した希望にも陰がかかる。
「どうしてですか?」
「……。」
アシェルは知る由もないが、ルインは既に心に決めていたのだ。次にここを出ることがあれば、もう二度と誰も不幸にすまいと。
「私は……穢魔です。私は生まれたときから周囲の方々の人生をめちゃくちゃにしてきました。そんなおぞましい悪魔にございます。」
――と、その時。いつのまにか目を覚ましたジェイが拘束されていることに気づき、自身を縛っていた鎖をガチャガチャと引っ張りながら喚く。
「そうだ!貴様は悪魔だ!人を破滅させる悪魔め!貴様なんぞを所持し続けたのが間違いであったわ!こんなことになるならさっさと解剖して――ゴフッ!」
アシェルがジェイの顔面を蹴飛ばすと、折れた歯が口から飛び出す。なおもジェイの胸ぐらを掴み、冷たい声を放った。
「喚くな。」
アシェルの顔には悪魔も怯えるような殺意が込もっていた。ジェイはそのたった十三歳の殺意に恐怖し、口を閉ざす。
「間違えるなよ。お前を破滅させたのはあの子じゃない。……『多芸功者』。お前から全てを奪う悪魔の名だ。」
アシェルは抵抗できないジェイの顔面を殴って気絶させた。
豹変したアシェルの姿は恐ろしいものであるはずだった。現に言葉を失うほどジェイはその脅威を感じていた。だが、ルインはその姿から恐怖を感じるどころか―――
アシェルは今のバイオレンスなどなかったかのように平静に。ルインの元まで戻ってくると膝をついた。
「ルイン。鉄血機構に……僕のいる組織に来ませんか。」
またもやルインは首を横に振る。
アシェルは破滅の由来やこれまでの経歴を知っていたわけではない。ただ、彼女が不必要な業を背負って、孤独になろうとしていることだけはわかった。
「どうしてですか?」
「私は……あの方の言った通り、周囲の方々を破滅させる悪魔です。私を連れていけば、きっとそこの方々も不幸にします。ですので、私のことはお気になさらず……。」
「いや、それなら心配いりません。」
アシェルがあっけらかんと答える。
ルインはなぜそう言い切れるのかがわからず困惑した。
「言い忘れていましたが鉄血機構は穢魔の組織です。世間は既に、僕らを『暴虐の悪魔』とも『滅亡の悪魔』とも好き勝手呼んでますよ。」
ルインは初めて、自身に近しい存在を見た気がした。もちろんアビーや院長は自分に親しくしてくれた人たちだ。ただ、心のどこかでは不幸を振りまく自分とは一線を引いていたのかもしれない。
「でも……悪魔だなんて。貴方はそうは見えませんが……。」
ルインの目に映るのは、少し自分より年が上なだけの少年だ。確かにジェイに対しては恐ろしい側面を見せたが、今こうしてルインに語りかける少年はどこか温かい。
「それならルイン。貴女も『破滅の悪魔』なんてものには見えませんよ。僕から見ればただの女の子です。」
ルインにとって、恐らく人生で初めてかけられた言葉だった。『ただの女の子』。それがどれだけルインにとって救いとなったか、少年はまだ知らない。
「仮に……貴女が自分を『破滅の悪魔』だと思うのなら、僕にその力を預けてほしい。」
『そう思わないなら、しがらみに縛られずに生きてほしい』。言外にそういう優しさを含んだ言葉だった。
自ずとルインは涙を零す。これほどまで自分が求められたことがあっただろうか。確かに同情や憐れみで受け入れてくれた人はいた。言葉に表せないくらい感謝もしている。だけど、人を不幸にするだけのこんな自分を、それだからと迎え入れてくれたのはこれが初めてのことだった。
「はい。こんな私でよろしければ。」
ルインは生まれて初めて自分の表情が喜びで緩んだことを自覚した。
✩
アシェルはあの日以来、ルインの笑顔を忘れたことはない。ただ、その日を境に未だに彼女が同じ顔で笑ったことはない。
それからルインは雇用関係を結び、雇い主と呼ぶようになった。『アシェル様』呼びはアシェルが受け付けず、呼び捨てはルインの性分にあわず、そこに収まったのだ。
共にいくつもの作戦を遂行し、何度か死にかけはしたものの無事に帰還した。その度にルインが安堵の表情を浮かべていたのを覚えている。
だが、そんなルインも十七歳になった。もう自分が人を不幸にする存在ではないと――『破滅の悪魔』などではないと、とっくに理解できているはずなのだ。
『自分が破滅の悪魔だと思うなら』。それが鉄血機構に勧誘したときの条件だった。ゆえにこれからは血なまぐさい戦場から離れ、自由に生きていく道だって与えられるべきだ。
「私は……。」
ルインの心など遠の昔に決まっていた。無事に作戦を終えて帰ってくるアシェルを見るたびに心の底から安心した。自分は破滅の悪魔ではないと、そう思えた。アシェルがそう思わせてくれた――
ルインが自分の想いを告げる直前、離れていたリリィが手を振って戻って来る。それを見守るアシェルの横顔はかつて見てきたどれとも違って、穏やかなで幸せそうに映る。
ルインはそれを見て、また安心するのだ。笑顔のリリィと優しい顔でそれを見守るアシェル。身近にいてくれる人が幸せである限り、それが自分の最上の幸せであると感じて。
「マスター。」
アシェルとルインの目が交錯する。
「マスター、私は今が幸せです。」
その時のルインの顔は、アシェルがあの日に見た彼女の顔と同じだった。




