65.過去回想 〜破滅の悪魔③〜
アシェルがルインと出会ったのは七年前。
その当時、『病躯の楽園』と呼ばれた地があった。そこではいかなる疾患をも癒やすことができるとされ、他では手の施しようがなかった患者ですら、その地では奇跡の回復を遂げる。
あらゆる都市、あらゆる国の上級国民が大金を積み、その恩恵にあやかろうとするのは当然の成り行きであった。
チェイス・デイルが領主を務めるチェイス男爵領。まさにその地が『病躯の楽園』と呼ばれる場所である。
当時、十三歳だったアシェルは『病躯の楽園』の調査任務に任命され、ヘレンゲルが指揮官兼同行者となり作戦を遂行することになった。
依頼内容は、『病躯の楽園』で秘密裏に行われる治療の危険性を探ることだった。
依頼人はチェイスと同国の貴族で、建前上は『患者の安全を優先するための人道的な調査依頼だ』と謳った。
だが、真意が違うところにあることはわかっていた。台頭し始めたチェイスの弱みを掌握し、牽制するための情報を欲していたに過ぎない。『病躯の楽園』はチェイスがもつ権威の生命線であり、その怪しげな治療にもしも違法性があれば、チェイスの増長を抑えられると踏んだのだ。
アシェルとへレンゲルは依頼人に紹介状を準備してもらい、早速チェイス男爵邸に訪問した。
祖父役をヘレンゲル、アシェルは心臓が悪い孫として車椅子での移動を余儀なくされているという設定だ。
「ようこそいらっしゃいました。どうぞ中へ。」
ヘレンゲルが推薦状を見せると、チェイスの使用人は二人を応接室へ案内した。
応接室には長椅子が向い合せで並べられており、二人がそこに座って待つことしばらく。
約束の時間から四十分遅れてチェイス・デイルが部屋に入ってくる。
「ごきげんよう、アンジェロ様。遠路遥々よくいらした。」
アンジェロはヘレンゲルの偽名だ。
チェイスは遅れたことに対する謝罪もなしに、胡散臭い笑顔でへレンゲルに握手の右手を差し出した。
「ああ、よろしく頼む。」
ヘレンゲルは自分が助けを求める立場だということを忘れて横柄に握手に応じる。
案の定、チェイスの眉がピクッと反応した。
だが、それを悟らせぬようそれとなく話題を逸らす。
「あの方が紹介状を書くなどと珍しいこともあるものですな。てっきり私は疎まれているとばかり。それほど切迫した状況とお見受けします。」
半分正解である。疎まれているどころか敵対派閥と認識されているくらいだ。本人もそれを自覚した上で嫌味を吐いている。自分に頼るしかない敵派閥の人間を心の内で嘲笑っているのだ。
が、そもそもその貴族に縁もゆかりも無かったアシェルとヘレンゲルには一ミリのダメージもない。
「それではまず治療の相談なのだが――」
「ええ、事前に聞いておりますよ。お孫さんは心臓が弱いのだと。もってあと一年だとも。可哀想に。」
チェイスがアシェルに向ける目に憐れみの感情はまるでない。あるのは治療費にいくら搾り取れるかの勘定だけ。
「治療は可能なのか?」
「もちろんです。ですが――」
チェイスは即答し、アシェルを観察しながら考える。
「少しばかり費用がかかると思われます。」
「そうか。では一億出そう。」
「ははは。面白い冗談を言いなさる。私が提供するのは不治とされた病をも治療する――すなわち奇跡です。他言はできませんが私にもそれ相応の危険が伴いますので。その程度では何とも何とも。」
チェイスは鼻笑い交じりに首を横に振る。
「では、いくらなら治療できる?」
「そうですね、通常の例では一億五千万……いえ、二億はかかるでしょうが……。」
「分かった。なら三億出そう。これが私の出せる限界だ。」
「いえ、十億。それ以下ではお受けできません。」
後ろ盾になっている依頼人の資金力を加味したうえで、その関係者なら無理をしてようやく揃えられる金額だ。有り体に言ってしまえばふっかけてきている。他に頼る先はなかろう、とヘレンゲルの足元を見ているのだ。
「なんだと?あまりに非常識な金額だ。治療は天授によるものだと聞いたが。」
「お孫さんの命と比べても同じことが言えますか?それに心臓ともなればこちらも相応のコストが……いえ、何はともあれ十億。それが条件です。」
チェイスは気になる言葉を滑らせて、交渉を打ち切った。これ以上追求すれば今後一切、調査に入ることが出来なくなりそうだ。
「私としてはお支払いできないのであれば構わないのですよ、他を当たってもらっても。大変心苦しいですがね。」
チェイスはわざとらしく肩を落としてため息をついた。
「お祖父ちゃん、もういいよ。僕はもういいんだ。」
アシェルは年相応の健気さを演出する。これ以上の深入りは疑われかねないとストップの合図だ。
「いや、分かった。だがそこまで高額となると私だけでは準備ができない。持ち帰って何とか工面しよう。」
「そうですか。分かりました。ご準備ができましたらまたお越しください。貴方がお孫さんを大切にされることを願っていますよ。」
そして二人は邸宅を後にした。帰還中、馬車に揺られながら方針決めをする。
「お祖父ちゃん、何かわかりましたか?」
「誰がお祖父ちゃんだ。脳に異常があるなら開いて治してやろうか。」
「ごめんなさい。」
アシェルはからかうように言ってはみたものの、返ってきた脅しに即謝罪する。本当にやりかねないから。
ヘレンゲルは険しい顔で考えをまとると所見を告げる。
「だが、ろくな治療をしていないことはわかった。まともな医者は詳しく症状も聞かず『治せる』とは豪語しない。それをする奴はたいてい詐欺師か蒙昧な信徒だ。」
「だけど、実際に治療を受けて完治した例もあるんですよ?」
「問題はそこだ。結果が伴っている。それを全て天授によるものだと割り切ってしまうのは簡単だが……。」
ヘレンゲルは『病躯の楽園』が天授によってのみで成立しているとは思えなかった。
無条件に疾患を治してしまうような天授があるのなら、自領に籠もって手口を隠すような回りくどいことをする必要はない。今まで誰も具体的な治療方法を知らず、治療現場を見た者すらいない徹底した隠蔽は違和感しかなかった。
それにチェイス本人が治癒系天授ではないことは調べがついている。であれば、他に使用できる者を囲っているのは間違いない。
またチェイスが口を滑らせた『心臓ともなればこちらも相応のコストが』という言葉。
治療することでチェイス側にもコストが発生するのだ。
ヘレンゲルは自身が気にしている点を列挙した。
「不治の病をも癒やす奇跡。奇跡に必要なコスト。そして、そのコストの大きさは疾患がある部位によって変動する。アシェル、何が思いつく?」
「単純に治癒系天授を持っている人を雇うコストなのでは?」
「そうだな。その可能性も十分にある。だからこそ他の貴族どもは黙って見ていることしかできない。」
だが、もしそうだとすれば天授を使用する本人がなぜ姿すら見せないのか。なぜ男爵程度に囲われているのか。いくつか疑問が残る。チェイスではなく、その裏にいる治療を施す者の人間性がまるで見えてこないのだ。
実のところヘレンゲルは初めからもう一つの可能性が引っかかって仕方がなかったのだ。小さな根拠の数々がそちらを指さしているのだが断定には至らない。
「先生は、そのコストが単なる人件費ではないと考えてますか?」
「ああ。調査した全ての情報は『生体移植』の可能性を示している。」
アシェルはふと思い出した。チェイスが領主に就く以前の経歴。『奴隷売りの男爵』と呼ばれていた頃だ。
平民や、時には貴族さえもあくどい手法で罪を着せ、奴隷の身に落とすことを唯一の得意としてきた輩だ。
奴隷と生体移植。その結びつきを考えるだけでゾッとする。
「『奴隷売り』とまで言われた奴ことだ。当然、奴隷商とのパイプがあるはずだ。」
「ですね。」
「俺が気にしているのはその奴隷商が誰なのかだ。俺が知る中に、臓器の取り扱いに長けた男がいる。」
「それって……。」
「ジェイ・フォンデマン。」
アシェルも名前だけは聞いたことがある。特定危険人物、ジェイ・フォンデマン。またの名を『解剖狂いのフォンデマン』。表では奴隷商を営み、その傍らでは売れなくなった商品を解剖して死体の山を築き上げた狂人だ。
奴隷の扱いが無法であった時代ならいざ知らず、奴隷保護の思想が強くなった現代においては明確な犯罪行為。特定危険人物として世界的に警戒を呼びかけられて以降、行方をくらましナリを潜めてきた人物である。
「ヤツは奴隷を容器としか思っていない。どこでも新鮮なまま運べて、自立歩行させられる都合のいい容器だ。」
その悍ましさはヘレンゲルが何より知っていた。




