63.過去回想 〜破滅の悪魔①〜
とある国、グレアム・ベルを当主とした男爵家に絶世の美女が迎え入れられた。
グレアムは元々貧しい家庭の生まれであり、弱者の気持ちを誰よりも理解する人格者であった。病院や孤児院の開設といった人々の救済に労を費やし、その功績が認められ男爵の地位を賜ったのだ。
そんな美しき行いの数々に対して充てがわれた女性もまた心身ともに美しくまさに貴族の華であるような人だった。
グレアムはその女性――ルイザに一目惚れをし、愛し、慈しんだ。誰もが認める人格者がその愛のすべてをルイザに捧げたのである。彼女もまたそんなグレアムに惹かれ深く愛した。お互いは深く愛し合い、誰もが羨む理想的な夫婦となったのだ。
ただ、ルイザには一つだけ欠点があった。体が弱かったのである。医者からは子どもを産めても一度が限度と言われていた。
貴族であれば世継ぎのために多くの子を抱えることは普通ではあったが、愛し合った二人には些細な問題でしかなかった。たった一人、愛する子がいればいいと。
だが、運命というものは残酷で、ルイザは一度は身籠ることができたものの出産を間近に控えたタイミングで運悪く流してしまう。当然、二人はひどく悲しんだ。もう二度と子はなせないかもしれないと。
それでも何とか二人目を孕むことはできたのだが、その時点でルイザの体力はかなり限界が近づいていた。
子どもを諦め、ルイザを優先したかったグレアムではあるが、自身の命がそれほど長くないと悟っていたルイザはグレアムが寂しくないようにと子を残す選択をしたのだ。
そして、ついにその日がやってきた。ルイザがめでたく出産の日を迎えたのである。
しかし、またもや問題が発生する。腹の子は逆子だった。子どもを産むためには通常の経膣分娩か腹の切開をするかのどちらかになる。母体の状態が良ければ経膣分娩がされたところだが、元から体が弱かったこともあり状態がいいはずもなく。ルイザは選択の余地などなく、腹を切り開いて取り出す手術をすることとなった。
結局、ルイザは手術の負担に耐えられず、そのまま息を引き取った。グレアムは泣き崩れ、子を抱くことなく彼女の遺体に縋り付いたまま夜を明かした。
だが、運命はグレアムに対して残酷な仕打ちをやめることはなかった。
教会から派遣された【鑑定士】が子のステータスを確認したとき、さらに追い討ちをかける事実が明らかとなったのだ。
「天授も祝業もありません。コレは穢魔です。」
その言葉を聞いた瞬間、グレアムの中の何かが崩れ去った。突然、我が子が得体の知れぬ何かに思えたのだ。生まれるはずだった第一子を腹の中で殺し、神意に背いて逆子として生まれ落ち、最愛の人までも殺したソレは既に自身の子であるとは到底思えなかったのである。
「グレアム様。いかがしましょうか。こちらで処分しましょうか?」
【鑑定】をした神官が申し出る。それも良しと思ったグレアムだが、最も愛した妻の半分が入ったソレを誰かに手渡す決断もまたできなかった。
「いや、神官殿にそこまでお手を煩わせることはしません。こちらで処分します。」
「分かりました。どうか神のご加護があらんことを。」
神官が帰ったのを見送ったグレアムはソレに恨み言を吐きながら名前をつけた。
「お前のせいで……お前のせいでルイザが死んだ……。お前の名は『破滅』だ。その罪、しかと刻んでおけ……。」
それからルインは誰に愛されることもなく、母にどこか似た雰囲気の使用人たちに世話をされながら時を過ごした。
その中で自然と覚えた言葉はよそよそしく、上辺を繕った丁寧なだけの言葉。
ルインは成長するにつれて次第に母の面影を宿し始め、その姿を見るたびにグレアムは狂っていった。
既にグレアムに人格者だったころの名残はない。ただ領民の中から少しでも妻に似た雰囲気の女性を見つけては邸宅に呼びつけて性を貪り尽くした。
だがそんな凶行を続けていれば領民にも我慢の限界が訪れ、ついには反乱が起こるまでに至った。妻が、恋人が、娘が、母が、友が、グレアムの歯牙にかけられた者たちの反乱だ。
領民が突入したとき、既に一人の女性がまさにその牙に貫かれ、虚ろに謝罪を繰り返し呟いているところだった。
「あっ……ああああああああああああ!」
その時叫んだ男は全裸で横たわる女の婚約者であった。手に持った防具を振り被り、グレアムの頭を強打する。領民の誰もがその男を止める者はいなかった。それどころか、一人、二人と暴力に訴える者が加わっていく。
ルインは騒ぎを聞いて、開け放たれたドアからその様子を無表情で見ていた。
暴行を受けるグレアムが領民の脚の隙間からルインの姿を見返した時、淀み続けたグレアムの内心が嘔吐するように吹き出る。
「お前のせいだああああ!お前が、ゴフッ、お前がいなければあああ!グッ、お前が私を破滅させたッ!お前は破滅の悪魔だあああ!」
農民に殴られている間もルインへの罵詈雑言が止むことはなく、それが聞こえなくなった頃にはグレアムは息をしなくなっていた。
グレアムを殺した領民の一団は、次に一部始終を後ろで見ていたルインに目をつけた。グレアムの娘なら、彼女にも地獄を見せるべきだと誰もがそう思っていた。
だが実際に彼女の姿を見て、その感情を抱き続けられる者はそこにはいなかった。貴族の娘にあるまじきボロボロの服。骨が浮き出るような華奢な体。定常的に暴力を振るわれていたであろう痣や傷。
領民も元を辿れば親しい女性を愛していただけの善良な民なのだ。ルインの悲惨な姿を見て、殺してやろうと思えるほど人の心を失ってはいなかった。
「この子は……やめよう。」
一番最初にグレアムに殴りかかった男は殺意と気力が枯れ果てた声で呟いた。
その男は婚約者を抱き上げてルインの目の前に立つと、見下ろしながら言葉をかけた。
「君の父親を殺したことは後悔してない。アイツは死んで当然のクズだ。」
ルインは無表情でその言葉を聞き届ける。
「けど、君には同情するよ。あんな父親とも呼べないクズのもとに生まれてさ。」
そう吐き捨てて男は去っていった。領民もそれに続く。一団の最後の一人が去ろうとした時、振り返って一人佇むルインの姿を見た。どうしても残されたか弱い存在である彼女を見捨ててはおけず引き返す。
「おいで。君の居場所になってくれるところに行こう。」
優しく声をかけた男はかつて娘をグレアムに汚された父親だった。
ルインは何の感情もなく、言われるがままにその男について行った。




