55.特異個体観測報告
『特異個体観測報告 No.9【蠢く夥多の蛇帯】』より要約。
今より約1300年前の賜歴684年、商業国家アズーリオとその周辺諸国は推定たった一体の悪鬼の出現により滅亡した。なお『推定』と表現される理由については後述する。
対象は無数の紐状の分身体が纏まり、絡み合い、一つの意志の元に形を成していると考えられている。近くに動くものを感知すると分身体が触手のように伸び、一瞬にして呑み込んでしまう。そうして徐々に総体は肥大化していく。
だが、対象の最も恐ろしい点は被害の突発性にある。城を呑み込むほどに巨大な対象は何の前触れもなく唐突に都市の真ん中に現れるのだ。観測初期段階で既に都市は機能を失い、一夜にしてそこに住まう生物が食い尽くされる。そして不思議なことに複数ある観測例のいずれにおいても都市に侵入する過程が一切記録されていないのだ。
そのサイズが誰の目にも触れずに都市に侵入するなど不可能だ。そこで一つの仮定が立てられた。対象はたった一本の紐状から始まったのではないか、と。そうであれば水路を通って来ようとも、行商の馬車に紛れていようとも、気づかれることなく国に侵入することは可能である。始りの一本である対象は目覚めると近くの生物を呑み込み分身体を作る。さらにその分身体が同じことを繰り返して徐々にその数を増やしていく。そうして気づいた頃には手のつけられないほどに肥大化して街を蹂躙するのだ。
その初期過程の記録が一つも存在しないのは見た者全てを皆殺しにしているから―――というのは、あくまで辻褄合わせの仮定に過ぎないわけで、真実は未だ明らかになってはいないのである。
後に対象は『蠢く夥多の蛇帯』と命名され世界を震撼させることになるが、それ以降、人類の歴史に姿を現すことはなかった。当然討伐記録もない。巷では餌を失った対象がついには分身体と食い合って消滅したとも噂されることもあったがその根拠は何一つない。その行方は、世界の全てを観測しうる悪魔でも存在しない限り知る者はいないだろう。
ただ、この大きすぎる被害を教訓として、残る国家が対策を怠らぬことこそ人類の義務であると報告は締め括られている。
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アシェルの意識が鈍重な闇からようやく抜け出すと、視覚以外の感覚が徐々に蘇り、最後にゆっくりと目を開いた。
「ようやく目が覚めたみたいだな、我らが勇者。」
「ふざけるな、誰が『狂ってる』だ。俺ほど理性的な人間は……。まぁ、いい。それで戦況はどうなった?」
アシェルは意識の回復からほどなくして状況を理解した。恐らく自分が投薬の副作用で倒れたこと。そして、フィエスタが能力を解かずにアシェルを戦場から運び出したこと。クレイジーと呼ばれたことは、彼への感謝で水に流すことにした。
「起きざまにすまねえが……この戦いは終わりだ。」
「終わり?それはどういう―――」
アシェルは体を起こしてすぐ、フィエスタの表情とその視線の先を追った。
「なん……だ、これは!」
その光景をみた瞬間、アシェルの心臓は飛び跳ねた。ソレは恐らく悪鬼なのだろうが、あまりに常識とかけ離れた姿に確信すら持てなかった。うじゃうじゃと触手のようなものに張り巡らされた巨大な何か。己の人生で近しい物を見たことがない以上、それ以外に例える言葉が見つからなかった。いや、アシェルの頭には一つだけ心当たりとなる知識が眠っていた。
「なんで……なんでだ!あれは紛れもなく……、いや、そんなはずは……。なんで今になって!」
「落ち着けよ、我らが勇者!あれが何だってんだよ!」
「見て分からないか!どう見てもあの特徴は『蠢く夥多の蛇帯』じゃないか!」
神出鬼没の大災厄。千年以上も討伐が記録されていないソレは分類を百年級から千年級に改められ、神話の怪物として語り継がれるだけの存在であるはずだった。今この時までは。
「イステカーマは!軍はどうなった!」
「一回だけバカでかい衝突があったが、今は全速力で退避してるところみたいだぜ。もうココからは見えねぇ場所までな。」
これ以上なく正しい選択だ。この異常事態を前によくぞ立ち向かわずにいてくれた。ルインの判断かサルヴァドールの進言か。どちらでもいい。ただ逃げてくれているという事実がアシェルにとって光だった。
アシェルとフィエスタは敵軍から見て脇に逸れており進路上にはいない。まだフィエスタの能力を解いてないのも相まって、二人だけは最も安全な状態にあると言える。
だからと言って二人だけが安全でももうどうにもならない。唯一出来ることはイステカーマの民が全力で他国へ逃げ、どこかの国の英雄が『蠢く夥多の蛇帯』を滅ぼしてくれるのを祈るしかない。恐らくサルヴァドールでもあの異形は止められないだろう。彼の能力は彼一人を守ることはできても、あれほどの敵を打倒する攻撃力があるとは思えない。フィエスタの言う通り、確かにこの戦争は終わったのだ。イステカーマの敗北という形で。
「クソッ、クソッ、クソッ!千年姿を現さなかったヤツがなんでこんなタイミングで!完全に想定の外だ!俺はどこで、何を見落とした!?クソッ、俺はッ……!」
何もできない。アシェルはただ蹲って地面を叩く。
―――俺が意識を保てていればどうにかなったか!?
『白骨幽鬼』を倒さなければ奴は現れなかったか!?
はじめから全ての特異個体の出現を想定していれば策を用意できていたか!?
アシェルは自身の浅慮を恨み、その至らなさを羅列する。己の無力に対する嫌悪感で気が狂いそうになる。
「なんで俺に、アレを滅ぼす力がないんだ!なんで俺はこんなにも―――」
「アーハッハッハッハァ!」
この希望なんてどこにもない絶望に満ちた戦場に似つかわしくない笑い声が高々と響く。その声は蹲ったアシェルの後ろからのっしのっしと歩み寄る。
「顔を上げろだ!こんなところに小銭なんぞは落ちておらんぞ、小童よ!」
アシェルが顔を上げて振り返ると、そこにはサルヴァドールと同等の体格をもった漢が満面の笑みで仁王立ちしていた。
「次から次々と……どこの所属だ、お前は。」
「ほう、我を知らんか!無理もない!その小さき体はイステカーマの民ではないと見た!」
「だから何だ!お前は一体―――」
アシェルはその顔をよく見てハッと気がついた。もう生きてはいないと思い込んでいたから最初はそうと気づかなかった。だが、その態度と出で立ち。広く世に知られる外聞と寸分違わず一致する。
「所属を尋ねたな!ならば拝聴せい!聞いて喜べ見て笑え!我はイスカーマの十六勇旗が一人!序列一位、アレクレス・バロールである!」




