54.赤鬼の咆哮
噴き出す水に何の意味があるか、などイステカーマ軍にとっては愚問であった。溢れんばかりの水は兵士にとっては暗闇に差し込んだ希望の光と同等の価値がある。
ルインは作戦の成功を確認し、次の作戦指示に移る。
「カウラ様。ご準備をお願いします。」
「了解だ、大将代理!ようやくアタシの出番ってワケだね!」
カウラはこの戦争におけるイステカーマ側最大の切り札だ。フラルゴが用意した水の柱は彼女の能力を最大限に引き出す下準備である。
「それじゃあさっさと始めようじゃないか!」
カウラが両手をかざすと吹き出した水は空中で人の頭ほどの球体となり、無数に悪鬼の頭上に整列する。
「爆発に巻き込まれないよう機関銃部隊、弓兵部隊の皆様は後退し、物資の補充及び機関銃の再設置をお願いします。」
概ね想定通りの戦争運びにイステカーマ軍の動きも機敏だ。
「カウラ様。いつでも。」
「はいよ!」
合図と同時に大量の球体がその場で消失。瞬く間にその周囲に絶大な威力の爆風が襲う。
これは十日間のアシェルとの特訓の成果によって得た新たな攻撃手段だ。これまで使用してきた水素爆発はカウラが用いてきた最大規模の範囲技だった。その性質は水を分解してから再結合するため工程に無駄が多く、疲労が大きい技でもあった。
だが、これは違う。水を液体から気体に変換するだけ。水を自由自在に操れるカウラにとって、『気体の水』という概念さえ理解してしまえば容易な作業だった。体力消費に対して得られる破壊力は絶大。人に向けて使用しない、とアシェルに生涯の誓いとして立てた新技。その名を―――
「スイギョーザ爆発!」
「水蒸気です。」
カウラの口から間抜けな単語が飛び出したが、間髪入れずにルインがフォローする。そんな悠長なやり取りとは裏腹に、戦場には敵からしてみれば悪夢のような災いが降りかかる。至近距離の水蒸気爆発で地面に押しつぶされる固体、四方に吹き飛ぶ固体の群れが次々と量産される。水とカウラの体力が続く限り、際限なく爆撃が降り注ぐ。幾度となく自陣営まで吹き荒れる爆風がその威力を物語っていた。ともすればこれだけで戦争が終わる可能性すら予感させる。
とはいえ、これは祝業とは異なり天授による物理現象を利用している状態にすぎない。SPを参照しないためいつまで維持できるかはカウラにも分からない。そういった不確定要素に満ちた作戦なのである。
今この時にだってカウラの体力が尽きることも考えられる。根本の原理すら未解明な力は作戦を立てるアシェルの頭をひどく悩ませた。
つまりはまだまだ油断できる状況ではないということだ。ルインは気を引き締めて次の作戦指示を出す。
「機関銃部隊の再設置が整うまで、爆撃を抜けて来た悪鬼は近接部隊総員で処理します。負傷者はドロテア様の【人形師】で回収し、軽傷者はそのままドロテア様にて治療。重傷者は後方医療部隊への引き渡しのためドロテア様は前線へ出過ぎないようお願いいたします。」
「ふむ、前で暴れられぬのは残念だ。」
「あ……マスターより追伸です。『役目をきっちり果たしたら後で幾らでも遊んでやる。』だそうです。」
「なるほど。アシェルよ。ドロテアさんをよく弁えておるようで嬉しいぞ。」
戦闘好きなドロテアの士気を維持するためにアシェルが残していた言伝は効果絶大だった。
何にせよこれで軍隊レベルの引き撃ち態勢は整った。これを繰りすことで確実に敵総数を削っていくのが本作戦の基本理念である。
✩
「フッハッハ!我が同胞らが派手にやっとるようで何よりだ!アシェルめ、疑ってはおらんかったが本当にやりおったか!もはやその名、この世から消えることは許されぬぞ!」
戦場の激化は悪鬼の統制が崩れた証。それすなわち『白骨幽鬼』が敗北した証左でもある。
「ならば、こちらも遅々として戯れてはおれぬな!のう、『赤怒鬼』よ。お互い煩わしいことは忘れて全力で決着をつけようではないか!」
「グゥオオオオオオオオオ!」
言葉は通じずとも互いの戦意は十分に伝わる。サルヴァドールはここが勝負の決め時と定め奥義を解放した。
「そうこなくてはな!ゆくぞ!【乾坤一擲】!」
三分間の完全無欠。その祝業は確かにアシェルに遅れを取った。だが、それは効果を告知した上での、対等な条件を課した上での敗北だ。こと戦場においては対等も公平もありはない。
ステータスアップにより段違いに速度が上がった一撃。先ほどまで硬い皮膚で受け止めていた『赤怒鬼』が回避する思考に切り替わるわけもなく。
サルヴァドールが振り下ろした大剣は『赤怒鬼』の腕によるガードをいとも容易く切り落とし、そのまま胴体をバッサリと両断した。
振り抜いてから一拍の間をおき、左半身が倒れ、それを追うようにして右半身も倒れる。切り口からは魔核の光が透けて見えた。
「悪鬼相手に正々堂々とは言わぬ。恨むのならその出自を恨むことだ。」
真っ二つになった『赤怒鬼』の前にサルヴァドールが立つ。
結果以上に余裕のある局面ではなかった。もし性質を看破され、逃走に舵を切られていれば『赤怒鬼』の足で三分間逃げ切ることは可能であった。いくらステータスアップの恩恵があるとはいえ、悪鬼の中でもトップクラスのフィジカルを誇る『赤怒鬼』に追いつくのは至難の技だったのだ。ゆえに最も意表を突くことができ、防御という選択肢を選びやすい初撃にて屠る必要があったのだ。
サルヴァドールはまともに動けなくなった『赤怒鬼』にトドメを刺そうと剣を突き立てる。
「グゥゥ……オオオオオオオオオオオ!オオオオオオオ!オオオオオオオ!」
それは人類に対する呪詛のように。地獄の淵で絶望を嘆くように。『赤怒鬼』の最期の断末魔を聞き届けたサルヴァドールは何の手応えも覚えないままその剣で鬼核を貫いた。
「人間に生まれ直して再び余の前に来るがいい。余の国民たればその恨み、多少は余が受け止められるであろう。」
『赤怒鬼』は例に漏れず塵となった。割れた鬼核をその場に残して、その塵は戦場に吹き荒れる風に流された。
「さて、これで―――」
―――大方の脅威は消え去った。
そう口にしようとしたところで急激な悪寒が走る。『単眼阿魔』、『嶽鬼』、『白骨幽鬼』、そして『赤怒鬼』という四体の百年級を排除した今、この戦場にそれ以上の脅威は存在しない。見落としなどないはずだ。
だが、サルヴァドールが感じ取ったソレは明らかに別格の気配。その発生源は敵中枢の最奥。赤鬼が振り絞った最期の咆哮が近現代史上、最悪の厄災を目覚めさせる。




