50.気まぐれの産物
エディスクリートが放った矢は夜空に吸い込まれ、流星となって一筋の光を描く。その景色は女神の涙を思わせるほどに美しく、幻想的に戦士たちの目に映る。
着弾の余波は数キロ離れた自陣営まで及んだ。
「『嶽鬼』の崩壊現象を確認!撃破に成功です!」
遠見の報告は祝業により一斉に拡散され味方陣営は爆発的な歓声に包まれた。新たな英雄の誕生を祝すように喝采が送られる。
―――そんなことよりも、だ。
アシェルはその威力を見て、遅ればせながら戦々恐々としていた。
「エディス。お前って奴は……。」
「はは、褒めるのはこの戦いに勝った後にしてくれよ。」
無線機の先で照れくさそうに笑うエディスクリート。褒められると思ったのか口角が上がっているのがわかる。
だが、アシェルが伝えたいことはそんなことではない。
「そうじゃない。お前、あんなものを俺に撃とうとしたのか。」
「な、なな、何のことかな…?」
明らかに動揺した声が返ってくる。だがいくらすっとぼけても無駄というもの。忘れもしない先日の襲撃。ドロテアが止めなければあの光の矢はアシェルに向けて放たれていたのだから。
アシェルの背中に冷や汗が伝う。
「有罪だ。絶対許さん。」
「そ、そんな!約束と違うじゃないか!この大仕事でチャラのはずだろ!それが勇者のすることか、この詐欺野郎が!」
「冗談だ。真に受けるな。」
エディスクリートは己の失言に、しまったと口をつぐみモゴモゴと聞き取れない声を発する。アシェルはその声を無視して告げた。
「お前の役目はここまでだ。下がって休め。」
「……そ、そうさせてもらうよ。」
「ご苦労だった。それとな、エディス。」
「……何かな?」
「百年級の討伐、見事だ。誇っていい。お前は成し遂げた。」
「……っ!ああ!」
エディスクリートの大技はその代償により当分の間、彼を戦力に数えられなくする。だが、それに見合うだけの成果は確かにあったのだ。一人の犠牲もなく敵主力を撃破した意味は大きい。
「だけど……。アンタは……本当にやる気かい?」
喜びも束の間、エディスクリートは躊躇いがちに聞いてくる。
「無論、全て計画通りだ。」
「ボクが言えた義理じゃないけど……健闘を祈るよ。」
「ああ、期待してろ。」
「託したよ。」
そして、エディスクリートの声はプツッと切れた。
アシェルは戦場の趨勢を見る。敵は地雷原への対抗策を失い、進軍はひとまず停止するに至る。手が全く無いわけでもない。犠牲を度外視で強引に地雷原を突破するか、大きく迂回すればいい。
だが、そうはならないとアシェルは確信していた。『白骨幽鬼』は極端に損耗を嫌っている。立ち塞がるイステカーマ軍のみならず、その先の人類を見据えているかのように。ゆえに無理な突破も、敵に自軍の横っ腹を晒すこともしない。
ならばどうするか。答えは一つ。消耗戦に持ち込むのだ。いくらイステカーマ軍が最強クラスの軍隊と言えど、その構成員は人間。食糧なしに戦場に留まることは不可能だ。そしてこの戦争のためにかき集められた食糧は多く見積もっても七日分。それ以上は必然的に戦線の維持は困難になる。対して時間の制約がない悪鬼は人類側の撤退を見届けた後に『赤怒鬼』にでも地雷を掃除させればいい。
戦況は停滞する。地雷原は悪鬼にとって高い障壁になっているがそれはイステカーマ軍にとっても同じこと。戦場は膠着状態に陥った。
「『万華』、ここからの指揮は任せる。」
「承知しました、『多芸功者』。ご武運を。」
アシェルはルインを最前線に残し、後方へ下がった。
✩
夜の闇が戦場を覆っている。大地に点々と灯る松明と天に散りばめられた星々だけが光源だ。そして、真黒と思われる空に羽ばたく影が一つ。
「正気を疑うぜ!!!」
螺旋翼機がバタバタと響かせる爆音に負けじとある男が裏声交じりに叫ぶ。アシェルは反応するのも面倒で聞こえないフリをした。
「まさか本当に敵さんのど真ん中を飛んでるなんてなあ!」
喧しく叫ぶ男の名はフィエスタ。見たこともないであろう鉄の塊の中から悪鬼に埋め尽くされた地平を見下ろす。
今、この状況が許されているのはアレクレスが『単眼阿魔』を始末してくれたおかげに他ならない。残っている並の悪鬼ではアシェルたちの乗る螺旋翼機を撃ち落とす手段はない。
『飛』は操縦席からまもなく降下予定ポイントに到着することアシェルに伝える。
「坊っちゃん。目標地点はすぐそこですぜ。準備はいいですかい?」
「だから坊っちゃんは……まぁ、いい。オーケーだ。いつでも行ける。」
「ハハッ、あいよ!」
アシェルはドアのロックが解除されると力いっぱいドアをスライドさせる。強く吹き込む冷たい風とズシリと肩にかかる装備の重みがいよいよ重要局面に差し掛かることを実感させる。
アシェルは若干の緊張を覚えつつ、フィエスタと最後の確認を行う。
「最終確認だ。フェーズ1、目標到達後に俺が降下を開始する。フェーズ2、俺が【調停者】の有効範囲である半径50メートル圏内まで【白骨幽鬼】に接近しフィエスタに合図を送る。そして、フェーズ3。合図を確認したフィエスタが能力を展開して一騎打ちを強制する。相違ないな?」
「もちろん万事問題なし!」
「よし。」
そして、『飛』より指示が下る。
「『多芸功者』!到着!」
「了解。」
アシェルは吹き込む風を押しのけて、鉄の縁を足がかりに夜闇に向かって飛び出した。
高度6000メートルからの降下が始まる。アシェルの体は前後左右も分からなくなる暗闇をウイングスーツで一閃する。時折、単眼鏡で『白骨幽鬼』の位置を確認しながら降下ルートの軌道調整する。師に叩き込まれた技術が限られた視界の中でも十全に発揮される。
緊張も束の間、弾丸のように冷気を切り裂きながら降下ポイントに接近する。アシェルは一定高度でパラシュートを開き、闇に浮かぶ青白い影に向けて距離を縮めた。既に敵もアシェルをその視界に捉える。予定距離まで三、二、一……。
アシェルからの合図でフィエスタは調停すべき対象をアシェルと『白骨幽鬼』の二名に絞る。
『【指名】されました』
アシェルと『白骨幽鬼』の頭に音声が再生され、互いの情報と能力に関する知識が流し込まれる。次に対象者二名の頭に選択肢が提示された。
『協議による解決を望みますか?』
『白骨幽鬼』は即座に否定する。同じくしてアシェルもノーを心の中で唱える。
『両者協議の意思なし。決闘に移行します。この決闘は一騎打ちにて行われ、外部からの干渉の一切を無効化します』
だが、第三者がそれを知るわけも無く。アシェルが着地したと同時に悪鬼たちは一斉に襲いかかる。だが彼らの爪は、牙は、アシェルの皮膚を傷つける前に見えない皮膜に阻まれた。
アシェルは彼らを無視して決闘相手の前に歩み出る。【条件提示】により続けてルールが読み上げられる。
『勝敗は生死を問わず何れかの意識消失をもってのみ決します』
『戦闘手段に制限はありません』
たった二つ。『白骨幽鬼』が理解できるだろう最低限のルールだ。お互いにこれを拒否する権利はない。【調停者】の真髄は対等な立場の両者に対等な交渉を強制させることにある。
その意味で、この作戦はアシェル以外では成立しえないものだった。互いに総司令だからこそ対等な立場であり、人間側がアシェルだからこそ対等な交渉として成立する。もしこれがサルヴァドールが総司令としてこの場にいれば、【調停者】の能力は人間側に有利な状況とみなし決闘は成立しなかった。
「奇しくも、賢王の気まぐれが俺とお前を引き合わせたわけだ。」
『白骨幽鬼』は虫けら一匹の戯言を嘲笑うかのようにケタケタと体を震わす。図体はカマキリにも似た異形でその腕には鎌の代わりに極太のランスを宿す。その名に相応しく、その白き肢体は腐り落ちた亡骸から剥き出しになった白骨の如く。人の骨格を外れた青白い頭蓋からは憎悪の目がアシェルを覗く。
その様に当てられてアシェルの膝も笑い始める。いつか以来の恐怖。一つ気が緩めば発狂を免れない精神負荷に体が否応なく反応している。内から溢れ出る恐怖を、アシェルは強固な自我で抑えつける。
【威迫】と名付けられた特性は見た者に強烈な恐怖を植えつける。
残存する記録上、ただ一件のみ人間が直に接近した例が観測されている。『白骨幽鬼』に危険因子として討伐命令が下った際の記録だ。
およそ二十名の精鋭が戦闘行動に移るべくもなく発狂の末、絶命に至る。
その強力さ故、碌な思考を持たない悪鬼すらも統率を可能としている。裏を返せば『白骨幽鬼』を打倒できれば悪鬼の軍勢から知性と合理性を取り上げる事ができる。
「この戦争、お前の首をとって終いだ。」
アシェルは拳銃の銃口を『白骨幽鬼』に向けて宣戦布告する。両陣営の未来を賭けて総司令同士の戦いが始まる。




