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異邦の鉄血戦線  作者: ムック
受戒指定禁域イステカーマ
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49.英雄を追う者

 エディスクリートはアシェルを襲撃した晩のことを思い出す。あのときアシェルの口から語られたのは作戦内容とエディスクリートに与えられた役割だった。それはまるでゲームの盤面を予想するような机上の空論。未来を都合よく推測しただけの妄想に近い何か―――


「……だと、本気で思ってたんだけどなぁ。」


 戦況は今、アシェルの思い描いた通りに進行している。大群が蜘蛛の子のように慌ただしく動き回り、『嶽鬼(コロッサス)』が単独で最前線に上がってくる。


 刻一刻と迫る運命の時。エディスクリートの緊張を読み取ったのか、アシェルが無線機とやらの奥から問いかけてくる。


「不安か?」


「と、当然じゃないか。オレがしくじればこの作戦が破綻する。そう思ったら手が震えて……。」


 今になって勢いでアシェルの提案に乗ってしまった自分を恨めしく思う。


『お前は無力だ。英雄になんてなれない。』

『お前は無力だ。英雄になんてなれない。』

『お前は無力だ。英雄になんてなれない。』


 いつもの声がエディスクリートを縛る。延々と繰り返される言葉に思考が麻痺する。


「ね、ねえ。これ本当に現実かな?本当にボクが……やらないといけないのかな。」


「当たり前だ。」


「やっぱり無理だよ!今更なのはわかってる……けど、あんな化け物を仕留められるわけない。」


 アシェルは黙り込む。無線機を介さずとも呆れている顔が容易に想像できた。


 でも、仕方ないだろう。この話を持ちかけられた時には百年級(ハンドレッズ)を討ち取るなんて大役に無責任にもノリ気になった。だが同時に腹の中では現実になるなんて思っていなかったのだ。『仮に作戦通りに進んだらの話だからね』と事前にかけておいた保険はとっくに意味を失っていた。異論の余地なく。


 要するにエディスクリートはこの土壇場で怖気づいているのだ。我ながら情けなさに涙が出る。


「やっぱりボクは英雄にはなれない。」


 エディスクリートは念を押すように、自分に言い聞かせるように弱音を吐いた。


「エディス、お前は考え違いをしている。」


「考え違い?」


 アシェルは諭すでも宥めるでもなく淡々と問いかける。


「英雄の本質とはなんだ?」


 何を今さらと思う反面、反射的に思い浮かべたのは救国の四英雄だった。秀でた戦闘力をもつアレクレス。全てを兼ね備えたサルヴァドール。蛮勇の如き探究心をもつウェーボ。天才的な医療技術をもつ『慈悲の(ハンド・オブ)御手(マーシィ)』。彼らに共通するものなんて一つしかない。


「類稀なる才能だ。他の誰にも到達し得ない突出した異才。それ以外ない。」


「違うな。」


 アシェルは即座に否定する。


「圧倒的な才能は一つの手段であって前提にはなりえない。なぜなら英雄の本質は力そのものではなくその力を振るう理由に―――生き様にあるからだ。」


「生き様……?」


「理想への奉仕者。それが『英雄』の正体だ。」


 言わんとしていることは分かる。眩い存在はいつだって考えうる最善の最前にいる。その完璧なまでの生き様に、凡人は天を仰ぐように憧れを抱くのだ。


「なら、なおさらボクでは――」


「成れるさ。お前にも。」


「何を根拠に!英雄が生き様だって言うならそれでもいいさ。ただその道は選ばれた人間の前にしか現れないものだ。」


「いいや、あるんだよ。誰にでも平等に与えられた道が。そこを歩むのは確かに難しいかもしれないが。」


 アシェルは記憶をなぞるように唱えた。


「成すべきを成せ。在るべきで在れ。己れが己の理想を体現しろ。……まぁ、受け売りだがな。」


 エディスクリートは言葉の意味を理解した瞬間、霧が吹き飛ぶような衝撃を覚えた。憧れの記憶が数々と蘇り、これまで漠然としていた英雄像がはっきりと形を成し始める。


 同時に英雄像と今の自分との間には果てしない隔たりがあることもわかってしまう。並大抵の努力と信念では届かないほどの隔たりが。だが、決して到達不可能ではない隔たり。


「人はああすべき、こう在るべきと心では理想を認識していても、実際にその心に徹して生きることは難しい。それは別の欲望であったり、怠惰であったり、時には疲弊することあるだろう。とにかく妨げるものが多いんだ。」


 エディスクリートはアシェルの言葉を心の内で肯定する。あまりにも思い当たるものが多い。


「その妨害に直面したとき大多数の人間は『べき』を理想論と切り捨て、『べからざる』今に妥協する。そこが英雄と呼ばれる者とそうでない者の岐路だ。」


アシェルは続ける。


「その意味で、お前は十分にその資質を見せている。」


「え?」


「お前は偵察任務を全うしただろう。この国で生まれ育った常人であれば確実に彼の英雄の威光に当てられて共倒れの道を選んでいたはずだ。お前の英断がなければ俺たちが間に合うこともなかった。紛れもなく、お前は幾百の命を救った英雄だよ。」


「そんなこと……!あれは兄貴の命令に従っただけで……。」


「いいや、お前は初めから理解していたはずだ。二人が戻らなかった場合の最悪のシナリオを。だからこそ英雄的な自己犠牲に惑わされず、兄の覚悟を背負って帰還した。俺はお前のその決断を評価する。」


『評価する』。その言葉が今までのどんな言葉よりも胸にじんと響いた。肩に重くのしかかった十字架が少しだけ持ち上がった気がした。


「ただ死にたくなかっただけかもしれないだろ。」


「いいじゃないか。死にたくないなんて当然のことだ。そうならないように力を尽せばいい。だがな、このままではイステカーマの民は全員が死ぬことになる。例えこの戦場から逃げたとしてもだ。受戒指定を受けたイステカーマの民が土地を捨てて生きていく術はない。」


 逃げても死、戦って負けても死。まさに崖っぷちだ。


 ならボクたちが……いや、ボクがすべきことは―――


「そこでだ、エディス。お前の心に問おう。今、お前が成すべきことはなんだ。失敗を恐れて他人にその重圧を押しつけることか?」


 否だ。エディスクリートの理想は全てを背負って戦うこと。全身全霊の一撃をもって敵を穿つ。この場の誰よりも勝つことに長けたアシェルがそう信じたなら、エディスクリートにできない理由はない。


「お前の在るべき姿はなんだ。戦場の片隅で恐怖に震えてうずくまることか?」


 否だ。エディスクリートの理想は、悠然と敵の前に立ちはだかること。あの日、最後に見た大きな背中のように。


「否だと思えたなら、それがお前の中に眠る英雄の芽だ、エディスクリート。改めて命じる。英雄になれ。」


 アシェルはなんて口の上手い男だろうか。扇動者の才能があるのではないか。こんな小心者でさえも容易に心を奮わせるのだから。


 気づけばエディスクリートの意思は固まっていた。


「……了解。」


 もうその刻は目前だった。『嶽鬼(コロッサス)』が先頭に立つまで目算で一分もない。


 エディスクリートは味方の軍を背に戦場に立つ。皆が固唾をのんでその姿を見守っている。『頼んだぞ』『やっちまえ』『失敗したら殺す』『頑張れよ』……と、様々な声援が飛び交っている。なんか治安の悪い輩もいたような気がするが、エディスクリートの頭の中はそれどころではなかった。


「己が己の理想を体現しろ、か。」


 たぶん兄も――サルヴァドールも思ったことを思った通りに行動できる、自らの理想に従うことに何の躊躇いもない人種なのだろう。でもエディスクリートは違う。失敗するのは怖いし、誰かに迷惑をかけることも怖い。そして何より自分が無力である事実を突きつけられることが怖い。


 でも、そんな自分でもアシェルは英雄に成れると言った。エディスクリートが思い込んでいた『ありえない』の数々を覆してきたアシェルがだ。


 まだエディスクリートは自身を信じられない。だがアシェルの眼は信じることはできる。なら今できることはアレクレスの背を追うことだけだった。


「我が名はエディスクリート・バロール!【大英雄(ハーキュリーズ)】に代わり、及ばずながらこのボクが『嶽鬼(コロッサス)』討伐を務めさせていただく!」


 返ってくる怒号がエディスクリートの背中を押す。もう手にも足にも震えはない。彼は天に向かって矢のない長弓を構え、弦を引いた。月の光が筋となって集まり、光り輝く矢が弓に番えられる。


 天授(ギフト)名、【太月孔(ダイアナ)】。

月下においてステータス上昇と一部の能力が解放される。

 これはその条件下で与えられる能力の一つ。月光を束ねた強力な矢を創製する祝業(スキル)だ。その威力は消費したSP量に比例する。


 失敗は許されない。可能な限り最大の一撃を。


 今日、このときばかりは藁にも縋る想いで天上の存在に祈りを捧げる。


主神(ディナミス)原初の天使(イワンガーチル)、数多の御使いたちよ。この矢だけはどうか奴の命に届かせてください。失敗なんてしようものならオレの命はありません。身内が襲ってきます。だからどうかっ……!」


 口からは弱音ばかりが出てくるのに不思議と心は落ち着いている。

 目を瞑ると浮かぶ二人の雄大な背中。そして、小さくも人を惹きつける背中。


 為すべきを、か。だとすればアンタもやっぱり―――


 弦を放す最後の一瞬、エディスクリートの意識は心地よい静寂に包まれた。自ずと祝業(スキル)の名だけが力強く口をつく。


「【悲哀の(ティア・オブ・)一矢(ディアーナ)】ッッッ!」


 放たれた矢はその瞬間から衝撃波を生み、瞬く間に夜の空に昇った。月に近づく程その輝きは増し、最高高度に達すると降下を始める。光は運命に導かれるように落ち、的確に巨影だけを貫いた。



 『嶽鬼(コロッサス)』の影がボロボロと崩れゆく。エディスクリートはしばらくの間、現実味を感じられないままその始終を眺めていた。

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