48.開戦
通知音は沈黙を呼び、沈黙は波紋のように伝播する。自ずと自陣から雑音と呼べるものはなくなっていった。誰もが……サルヴァドールでさえアシェルが次に発する言葉に耳を傾ける。
アシェルは大きく息を吸い、拡声器を通じて自軍に向けて宣言する。
「全軍に告ぐ。開戦のときだ。」
はるか遠方には巨大な人型―――『嶽鬼』の影。侵攻とともにその輪郭は徐々に大きくなっていく。その足元には大地を呑み込まんとする悪鬼の大群が蠢く。
その光景は人類の滅亡を想起させた。見る者の闘志を根こそぎ奪うような景色。イステカーマ兵はこれから立ち向かうべき圧倒的な絶望を前に口々に狼狽した声を漏らす。
アシェルは味方が完全に恐怖に呑まれてしまう前に声を上げる。
「前方より来たるは我らが人類の怨敵。総数は九十万を越えるだろう。対してこちらの戦力は六万。我らがイステカーマに問う。これは絶望的な窮地か?」
語りかけた自陣には戦争特有の陰鬱とした重圧がのしかかっている。いくら単純志向の脳筋集団とはいえ、一歩先に待ち構える死の恐怖を無視できるほど無神経でいることは難しい。俯く者もいる。足が竦む者もいる。戦争では往々にして見られる光景だ。だが、それでは困るのだ。
「常勝を謳ったイステカーマも所詮はこんなものか。【大英雄】、【天衣無双】。偉大な二人の庇護下に甘んじ、弱者の前でしか威勢を張れない小心者ども。」
鼓舞でも激励でもない。不安に追い打ちをかけるような言葉に兵士たちは驚きやら戸惑いを含んだ複雑な反応を見せる。
なぜこれから死地に向かう自分たちが貶されなければならないのか。なぜぽっと出の若造にコケにされているのか。次第に彼らは理不尽な状況に気づき始める。抱いた感情は反感を経て怒りに変わり、その矛先がアシェルという一点に集中する。
それでいい。誇りを踏みにじられる怒り。それは戦争の根源である怒り―――生存圏が脅かされることに対する本能的な闘争心と酷似する。
「いいだろう。諸君が勝てる相手にしか奮い立てないご立派な実力主義者だと言うならば!諸君の勝利は戦争の専門家たる鉄血機構が保証してやろう。勝利の権化たるこの『小さい勇者』が導いてやろう。餌を待つ雛鳥が如く、用意された勝利を享受するといい。」
返ってくる数多の瞳に反抗の意志が灯る。自分だけはそんな臆病者ではないと噛み付くように睨んでくる。フッ、と自然な笑いがアシェルの口をついた。
「諸君はただ敵が強大だからと身がすくむのか。敵の数が多いからと足を止めるのか。違うだろう?そんなはずはない。俺の知るイステカーマの魂がそんなに脆弱であるはずがない!もしも諸君が、諸君を見くびっているこの愚かな勇者を見返してやれると思うならば。己が力で絶望を跳ね除けられると証明したいならば。顔を上げろ。怒れ、諸君。奴らは誇り高きイステカーマを蹂躙せんとする侵略者だ。」
空気が変わる。土壇場では人の感情はより流動的になる。アシェルに向かっていたはずの激情はいつしか敵に移り、恐怖を上書きする。
「諸君の闘志が絶えぬ限り、俺は必ず応えて見せる。覚えておけ。俺の名はアシェル。コードネーム『多芸巧者』。この身一つは非力な無能力者なれど、こと戦争において未だ敗北を知らぬ者の名だ。そして、この名に賭けて宣誓しよう。イステカーマは勝利する。誰一人として戦場に置き去りにすることはない。前を向け!奮起せよ!鬨の声を上げろ!」
拳を振り上げたと同時に酒の栓を抜いたように、溜まりに溜まった兵士の士気は爆発的な怒号として放たれた。六万を越える咆哮は大気を揺らし、地平線から湧き出る悪鬼の軍勢まで届く。
自陣のどんちゃん騒ぎの中、サルヴァドールは士気は上々と見て気をよくする。
「『多芸巧者』、いや、アシェル。ヌシの真名だろう。よいのか?」
「良くはない……が、名前すら知らない相手に命など預けられないだろう。」
「フッ、計算でやっているなら大したものだ。」
「何のことだ?」
「フッハッハッ!よい。分からぬのならそれこそ天賦だ。どうだ。いっそ本当にイステカーマの玉座を手にする気はないか。」
「ないな。俺には他の使命で手一杯だよ。」
「そうか、残念だ。では健闘を願うとしよう。フッハッハッハッ!」
サルヴァドールは巨大な背中越しに豪快に笑いながら所定の位置まで戻っていった。
既に作戦開始までの猶予はない。装備も、地理も、防衛策も、自軍の士気も全て万全。アシェルたちは高揚の中、その時を待った。そしてついに―――
「目標ポイントへの到達時間に誤差なし!総員、警戒!」
悪鬼の侵攻が予測地点に到達した。直後―――
ドォン、ドォン、ドォンと奴らの進路を塞ぐように土煙が上がる。爆発に巻き込まれた個体は四肢と呼べる部位が四散し、その衝撃は核にまで届く。
まずは第一の手札。予測ポイント一帯を地雷原とし、遠距離攻撃を防ぐ盾の役割をもつ個体―――武装型を削る。遠距離攻撃は防げても足元の爆発には対応できない。
それに対人用を遥かに上回る火薬量だ。直撃を食らった個体はおろか隣で列をなしていた個体にまで被害が及ぶ。
「効果アリです!次から次へと敵が吹き飛んでいきます!」
エディスクリートの【鷹眼】と【視覚共有】の連携で敵状が素早く全軍に伝えられる。総数から見れば湖面の水をすくった程度だが、確かに鼻っ柱を折ったことで兵の士気は高まった。
「3000メートルの地雷原だ。このまま無策で突っ込んできてくれれば楽なんだが……。」
その願望は程なくして否定される。奴らは被害が広がる前に進軍を止め、行動を変化させてきた。
武装型が動きを止め、その隙間から別系統の個体がなだれ込んでくる。貴重な盾役ではなく、いくらでも替えの利く歩兵の特攻。悪鬼といえど捨て駒の扱いには少しばかり同情する。
「想定通りだ。射手、構え!」
第二の手札。自陣の最前線には約千丁もの機関銃―――最大射程は2700メートルに及び、悪鬼の核を容易く粉砕する銃が並ぶ。『弾幕制圧』シリーズの最新型。それぞれに射手がつき、アシェルの号令とともに敵軍に銃口を向けた。
「撃て!」
同時にダッダッダッと耳を塞ぎたくなるような銃声が重なって響く。一呼吸おいて敵勢力に着弾。
「着弾!各個体の破壊を確認!」
「ふぅむ、素晴らしい破壊デス!さすがは我が同志!」
機関銃の最大射程は2700メートルに達するがそれは破壊能力を考慮せず弾丸が届くだけの距離を意味する。悪鬼の核を撃ち抜くにはやや威力不足。そこでアシェルは射手の能力を活用してその不足を補填した。
射手に選んだのは【狩人】の天授をもつ者。発射物の命中精度を高める【自動照準】と貫通力を高める【射出強化】。この二つの祝業は機関銃にも作用し、最大射程の弾幕を有効打にする。
無線から唸るようなサルヴァドールの声が流れる。
「ヌシが初めに要求した条件……あれは正しかったな。」
「俺もまさかここまでとは……。」
武装型を抜き越して前進してきた個体がことごとく粉砕されていくのを見ながら安堵と同時に危機感を覚える。
「技術と能力の組み合わせ……。予想以上の破壊力だ。」
「うむ、これは人の世には早すぎる。各国の手に渡れば間違いなく世界のパワーバランスが崩れるだろう。対悪鬼の趨勢も維持できていたかどうか。」
恐らくアシェルとサルヴァドールが予見した未来は一致している。人同士での滅ぼし合いだ。必中となった機関銃の撃ち合いが行き着く先は考えずとも予想がつく。
しばらく射撃の音だけが戦場に響き渡る。視認できる範囲では武装型の前に出た個体は一体もこちらにたどり着くことなく消滅している。地雷原もほぼ無傷のまま。起爆するための加重設定を鈍重な武装型に合わせているためもとより弱小個体の特攻の意味は薄いが、まんまと機関銃の餌食になっていく。
事は面白いほど順調に運び、次々と悪鬼は数を減らしていく。やがて弾幕が止むことがないと察したのか、またもやピタッと進軍が止まる。
武装型を進めれば地雷の、特攻を走らせれば銃の犠牲になるだけ。敵の司令塔もただただ傷口が広がるのを黙って眺めてはいない。ならば次の手はどうするか。
「そうだろうな。」
メシッ、メシッと大群の中腹から一体の悪鬼が前線に上がってきた。その巨体は祝業を使うまでもなくはっきりと視認できる。
「『嶽鬼』。それも想定内だ。」
敵視点、現状を打破する数あるパターンのうち最も手堅く、最もシンプルな手だ。無論、対策に抜かりはない。アシェルは迎撃のために男の出番を告げる。
「期待に応えてみせろよ、エディス。」
いつも英雄の背中を見ていただけだったはずの小心者が、全イステカーマ兵を背に一人立ち上がる。




