5.悪魔の居城
リリィ・オクトルールは鉄血機構の基地、その一室で眠っていた。
あれからきっちり十二時間。緊張から解放されて、しっかりと眠りこけた彼女が目を覚ましかけていた。
「ん、んん…?」
アシェルは彼女の小動物のような寝言で仮眠から覚醒した。椅子から立ち上がり少女の顔を覗き込む。ゆっくりと瞼が開かれて細目のまま少しの間だけ視線が交錯する。
すると突然、彼女はアシェルの首の後ろに両手を回しグッと引き寄せた。アシェルの顔に少女の胸が押し当てられる。
――いや、少女と言うには失礼な豊かな感触。悪くない。
「……。」
トッ、トッと心地よい鼓動が鼻先に伝わる。
「……?……っ!」
微睡みからようやく意識がクリアになったらしい。リリィは自身が抱いていたものを引き剥がすとみるみるうちに顔を赤らめ、アシェルの頬に向けて掌打をかました。
アシェルがひょいと頭を逸らすとリリィの掌は空を切る。一瞬、ぽかんとするリリィ。が、今起きたことを理解すると怒り割増。
「あ、あ、あんた!寝てるレディに手を出すなんて……恥を知りなさい、恥を!しかもさらっと避けるな!」
「いや、避けるだろ。」
「何でよ!」
「逆に何で当たってやると思うんだ。」
「何でって。そんなの無断で美少女の柔肌を堪能したんだから当然でしょ。」
「無断で?」
「ええ。」
「美少女の。」
「そうよ、何か?」
――理不尽だ。
アシェルは呆れる。そもそもアシェルは自分から彼女の胸に顔を埋めた訳ではない。あえて抵抗しなかっただけのことだ。糾弾される言われはないのである。
あと美少女を自称するのも如何なものか。アシェル自身、否定こそする気はないがそういうのは他称に任せておくのが無難。己は謙遜しておく方が敵は作らないと思うのだ。
それに何と言うか――
「安心しろ。趣味じゃない。」
「はあああ!?こんな美少女つかまえて趣味じゃないって。あんた見る目ないんじゃ……って、ほぇ?」
「ほぇ?」とマヌケな声を出したリリィの視線の先には、控えさせていたアシェルの部下の姿があった。仮眠しているときからドアの前で待機していたのだが、今になって気がついたらしい。
コードネーム、【万華】。本名、ルイン。姓はなし。本人の希望たってアシェルが唯一コードネームを名付けた部下だ。数年間、行動をともにしてきた相棒とも言える存在である。
相変わらず乱れのない美しい立ち姿。端正な顔立ちに白い肌。特徴的な澄んだライトブルーの髪は作戦に邪魔だからとショートカットにしているが、サイドだけは肩の高さまで伸びている。
リリィはルインの容姿を見てブツブツと独り言を呟いた。
「うっわ、信じられない。とんでもない美少女おる。私と並ぶ……いや、顔はギリギリ負けるかも。でも好みの差ってあると思うし……うーん。」
ちゃっかりと自身の評価が高いのは気になるが、話題が逸れたので口は挟まない。
「でも、あのレベルに見慣れてたら私に食指が動かなくても許せる……かも。そうだよね、うん。でも、私の胸に顔を擦りつけてたのは別だから!」
「勘違いするな。あれはお前の寝相に巻き込まれただけだ。ルイン、間違いないな?」
「はい、マスターの言葉に嘘はありません。行動の一切に落ち度はありませんでした。」
「な?」
「ぐぬぬぬ。」
リリィは恨めしそうにアシェルを見上げるがそれ以上追及する言葉は見つからなかったようだ。冷静になったのを見計らい、アシェルは本題を切り出した。
「リリィ・オクトルール。この後、お前を俺たちのボスに会わせる。そこで今後の処遇を決めることになっている。」
「忘れてたけど……私、あの鉄血機構にいるのよね。」
「ああ、そうだ。まだ時間はある。もう少しゆっくりしていればいい。」
「ねえ、時間まで話し相手になってよ。何か話してないと緊張してきちゃうから。」
アシェルが立ち去ろうとするとリリィはしおらしく引き止めた。不安になるのも無理はない。か弱い少女が何処かも分からない場所で得体の知れない集団と共にいるのだ。
「分かった。だが、とりあえず飯にしよう。」
アシェルはルインに二人分の軽食を持ってこさせ下がらせた。
よほど空腹だったのかリリィは受け取ったサンドイッチを一口頬張るとリスのように残りを詰め込んだ。
「それで、何か話したいことは?」
「名前。名前を教えて……ください。」
「今さら畏まるな。さっきまでの調子でいい。」
「うーん、わかったわ。私はリリィ・オクトルール……と言っても貴方はもう知ってるみたいだけど。……不公平だわ。」
不服そうに頬を膨らますリリィ。アシェルは少し躊躇した。本名を教えることを。鉄血機構所属の人間であれば気にすることはないが、リリィはあくまで部外者。
アシェルは情報の重要性をこれまでの任務を熟すなかで痛いほど理解していた。だが――
「まぁ、いいか。アシェルだ。姓はあったかもしれないが、物心つく前にはシ……ボスに拾われていたから知らないし興味もない。」
「アシェル……。いい名前ね。」
リリィは噛みしめるように名前を反芻した。
「一応、任務では『多芸巧者』、もしくは略してセカンドと呼ばれることが多い。いわゆるコードネームだ。由来は……機会があれば教えてやる。」
「そうだ!昨日の話を聞かせてよ。」
アシェルはファスピア王国での任務について語った。任務の主目的、計画内容、実行過程……と聞かれてもないことまで詳しく。
今回の任務、最終目的は【内弁慶】の支配下にある女の解放だった。もちろんホグトンを暗殺することでも、同盟を結んで利用することでもない。
だが、これを達成するのには二つの難所があった。一つは『主目的をホグトンに看破されてはいけない』ということ。もし女の解放が目的だと知られれば、ホグトンは必ず彼女らを人質とするだろう。
故に、主目的を誤認させることで彼女達への意識を逸らす必要があった。
二つ目は【内弁慶】の解除手順である。【内弁慶】の適用対象というだけであれば、ホグトンとの関係性を確約する証明物を破棄すれば解除できる。
アシェルが焼却してみせた同盟の契約書がいい例だ。つまり、女たちとホグトンの養子縁組に纏わる契約書を破棄できれば解除することができるのだ。
だが、今回は祝業【特別指令】によってより強力な強制力が働いている状態だった。
精神干渉系や命令系の天授の解除は手順を間違えると対象が廃人になるケースがある。
絡み合った糸を無闇に引っ張っても解けないのと同じで順を追って解除させる必要があった。それ即ち【特殊指令】の解除ののち【内弁慶】の解除という順である。
それぞれの解除方法については酒と賭け事に勤しんでいた本人がペラペラと吐いてくれた。【特殊指令】はホグトンが『解除』を告げた時点で解除される。
発動する対象は一つしか選べず、他に発動したい対象がいる場合は元の対象を解除しなければいけない。つまり、【特殊指令】の矛先をアシェルに向けてやればいいだけの話だった。
また、【内弁慶】の解除にはルインが裏で動いていた。『解除』をアシェルの懐にあった通信機越しに確認し、同時にホグトンの執務室に保管してあった契約書を破棄する計画だった。
まだまだ語ればキリがない。【内弁慶】の基本性能、第二の祝業【思考把握】、行動パターン、護衛の数、その他諸々。
潜入期間の一ヶ月でほぼ全ての情報を集めきったと自負している。ホグトンが女、酒、ギャンブルと俗事に手を出している男だったおかげというのもあるわけだが。
そして、最後に残ったピースが約因。突入直後、リリィへの命令がキャンセルされたことで【適用対象外の人間の前では強制権を発動できない】ということが確定した。
「というわけだ。」
「悪かったわね。私のせいで危ない目にあわせたみたいで。」
「ほんとにな。よくもまあ到着早々あれだけ暴れられるもんだ。」
リリィはじとーっと目を細める。
「はぁ……。でも、実際助かったわ。私のために計画を曲げてくれたんだものね。ありがとう。……何だかあなた達って、聞いていたよりも随分と印象が違うみたいね。」
「それは?」
「鉄血機構って言ったら神への反逆者だもの。戦争好きで野蛮な穢魔の集団。極悪非道のテロリスト。」
「言い過ぎでは?」
「あなた達はもっと残忍で、冷酷で、人の命なんて毛ほども気にしないような……そんな組織だと思ってた。」
「……だろうな。だが、判断するには尚早だな。必要になれば人殺しだって――」
言い終わる前にちょうどドアが二回ノックされる。
「ボスのご準備が整います。」
「わかった。リリィの支度を手伝ってやってやれ。最低限でいい。」
「はい、かしこまりました。」
アシェルが寝室から出て待つこと十分。髪を整え、ルインの替えの隊服に身を包んだリリィが出てきた。
司令室に向かう道中、リリィが興味深そうにアシェルに聞いた。
「なんでルインさんはアシェルのことをマスターって呼んでるの?」
「組織の所属ではなく俺が直接雇用しているからだ。」
「なるほどね。」
なんて呑気な会話をしているとあっという間に到着した。アシェルが司令室のドアをノックする。
「連れてきた。」
「いいよ。入ってきゲホッ、ゴホッ、ゴホッ。」
ああ、またやってるよ、とアシェルはため息をつく。タバコは体に有害だ。無理してまで吸うことはなかろうに、となかば呆れながら司令室のドアを開く。
シルバーはいつものように執務机に腰をかけて、タバコをふかしていた。
「いやあ、失敗失敗。おかえり。今回は本当によくやってくれたよ、アシェル。」
シルバーはアシェルに労いの言葉をかけたあと、三十路を優に過ぎているとは思わせない爽やかな笑みをリリィに向けた。
「そしてようこそ、リリィ・オクトルール。ここは虐げられる者たちが集う家だ。私達は君を歓迎するよ。」
その瞬間、リリィの瞳からは一筋の涙が溢れた。アシェルたちと同じくして虐げられ続けた彼女には何か思うところがあったのだろう。
様々な想いを抱え、堪えて生きてきただろうその心中は、アシェルにとって察するに余りあるものだった。




