46.エディスクリート
自分は英雄譚に登場する脇役の一人に過ぎない。エディスクリートがその事実に気がついたのは幼少の頃だった。
英雄譚の主人公は言わずもがなアレクレス・バロール。エディスクリートの兄だ。紡がれる言葉は心震わす名言となり、一挙一動は語り継がれる伝説となる。比喩するまでもなく英雄だった。
そんな途方もない存在の弟として生きてき彼は生を受けて、たった数年で身の程というものを理解した。否が応でも自身の無力を自覚せずにはいられなかったのだ。
それでも兄の勇姿に羨望を抱かずにいられるほど達観した人間にもなれなかった。自分も血を分けた兄弟だ。もしかしたら、と浅はかな願望を抱いた時期は確かにあったのだ。
若気の至り。黒歴史。呼び方なんてなんだっていいが、つまるところは忘れたい過ちで忘れがたい過去だ。エディスクリートに自身が凡人だと知らしめた出来事―――両親が命を落としたあの事件は人生最大の汚点と言っていい。
当時のエディスクリートは『弟』の意味を『劣人』だと履き違えるくらいには性格が捻くれていた。何事においても兄と比べられる鬱屈とした日々。大きすぎるギャップは幼い心に深く劣等感を焼きつけた。
そんな彼にもたった一つだけ、自尊心を保つ小さな幸運を握っていた。特殊天授。性能こそ他の戦闘系天授ギフトには劣るものの、唯一無二の才能を有しているという事実は彼に根拠のない安心を与えた。
今はまだ活躍できずとも。いつの日か。そんな往生際の悪い妄想を膨らませるには都合のいい材料だった。
そして、事は起こる。両親が狩猟に通う森にて大型の悪鬼の出現が知らされたのだ。大人たちは慌てふためき、避難指示すら飛び交う惨状。冷静に考えれば子供一人にどうこうできるわけがない非常事態だとわかりそうなものだが、愚かな少年には冷静に判断する脳ミソが足りなかった。
兄は遠征中で不在。帰らぬ両親。いつ花開くとも知れない可能性。そして敵はたった一体と聞く。
『これは英雄になるための試練だ』
啓示と思わずにいられるものか。分不相応な思い上がりを胸にエディスクリートは気づけば森へと駆け出した。
結果から言えば、やはり彼は英雄たり得なかったのだ。時すでに遅し。親であったものは元の輪郭すら残さず、見覚えのある装飾品だけが肉塊の身元を明らかにする。
あまりにショッキングな光景にそれからのことは今でも思い出せていない。彼が気がついた時には焼けるような痛みで起き上がることさえ困難になっていた。すぐには悪鬼にやられたのだと理解すらできなかった。再び意識が薄れゆく中、朧気な視界は助けに入ったサルヴァドールの姿を最後に暗転する。
次に目が覚めたのは全てが解決した後のこと。敵は無事に討伐され、両親は弔われた。一連の騒動はアレクレスにとって英雄譚の悲劇的な一幕となり、エディスクリートにとっては勘違いにより暴走した失敗談に終わったのだ。
その時の心がひしゃげる音は今でも耳に残っている。まるで胸の中で紙の心臓が握りつぶされるような錯覚。親を失った絶望と自身への失望は成熟していない精神に消えない傷を刻むこととなった。
その頃からだ。
『思い上がるな。お前は無力だ。英雄になんてなれはしない。』
呪いのようにこの言葉が付き纏うようになったのは。やがてそれは戒めとなり、記憶と共に今の人格を形作った。常に『自重』が優先される思考回路。それは兄が死地に向かうときでさえついぞ変わることはなく。
「要は自惚れて失敗して、挙げ句にサルヴァドール様に迷惑をかけた。世紀の愚か者の話だよ。」
エディスクリートはアシェルに昔話を語って聞かせた。切腹さえも致し方ない状況で、腹を割るだけで許してもらえるというのだから口は軽い。
話を聞き終えたアシェルは黙って考え事に耽る。ようやく口を開いたかと思えば、
「エディス、いくつか確認させてくれ。お前の力についてだ。」
既にドロテアに事が知られた以上もはや手札を隠していてもしょうがない。エディスクリートは質問に対して洗いざらい答えた。
「なるほど。光が見えたな。よし、オレがお前を英雄にしてやる。いや、成れ。この借りはそれでチャラだ。」
「なんだって?」
さっきの話を聞いてなかったのかと耳を疑った。だが、アシェルの顔は至って真面目だ。エディスクリートは自嘲ぎみに笑う。
「はは、よしてくれよ。言っただろ。オレには何も成し遂げられないって。現にほら、こうして思い立った結果がこれだ。」
一世一代の大博打もこの有様。それも無能力者相手にだ。もうエディスクリートは自身のことを信じられない。
「大丈夫だ。お前は英雄になれる。」
「そ、そんなまさか。」
エディスクリートは我ながら動揺しているのを理解する。本当に英雄になれるなんて思ってはいない。二度と望まないと心に決めたから。
まぁ、だからと言って、はいそうですかと聞き流せるほど無関心なわけでもないわけだが。エディスクリートはチラチラとアシェルの様子を伺った。
「いいだろう。舞台は俺が整えてやる。エディス、お前の役目は―――」
言い渡された内容にエディスクリートは呆然とした。




