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異邦の鉄血戦線  作者: ムック
受戒指定禁域イステカーマ
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43.臆病者

 イステカーマにとって十日あまりの月日は本当に刹那のようだった。時間を忘れる、という言葉に相応しい。慌ただしく、忙しなくしているうちに気づけばアシェルたちは悪鬼(イビルズ)襲来の三日前に身を置いていた。


 突貫工事ばりの準備期間にも関わらず、不足は感じられない。国全体が同じ方向を向いて突き進むエネルギーは絶大で、激しく滾る熱を帯びていた。全ての民が希望を仰ぎ見て必死に手を伸ばそうとしている。どれだけの苦境に立たされようとも俯きはしない。

 アシェルはそこにイステカーマの強さを見た。腕っ節の話だけではない。心の強さだ。


――顔を上げろ(ヘダップ)


 皆がその一言に背中を押されるように突き動かされている。振り向けば崖底の闇が手をこまねいているけれど。それを見たらきっと足が竦んでしまうから。必死に空を見上げるのだ。


 だがそんな中、ただ一人だけ皆に背を向けて深淵を覗き続けている者がいる。

 震える膝を抑えながら首が落ちるくらい俯いて、奥底に広がる闇をじっと見つめる者が。


「『多芸巧者(オールセカンド)』。ちょっと散歩でもしない?」


 作戦立案の会議を終えて、それぞれが各自の準備に取りかかろうというときだ。アシェルはエディスクリートから内密の誘いを受けた。断る理由のなかったアシェルは大人しく彼の後ろについて歩きだす。

 それからしばらくはポツポツと短い会話が断続的に続いた。


「星って小さな光なのに暗闇の中だとすごく輝いて見えるよね。」


「瞳孔が開いて、より多くの光を感じ取ろうとするからな。」


 雰囲気をぶち壊しつつ。


「カウラ……あの厄介な暴力女をよく手懐けられたもんだ。」


「まぁ、うちには厄介を越えた厄災みたいなのがいるからな。」


「何言ってるんだ。あんな美少女が厄災だなんて。可愛いもんじゃないか。」


 だとか。


「君の戦闘技術はどこで身につけたんだい?」


「身につけたというか、身に擦りつけられたというか。幼少期に師匠からすべてを叩き込まれたんだ。」


「へぇ、その師匠は越えられた?」


「いや、足元にも及ばないだろうな。あの人は遥か高みにいるから。」


 なんて。アシェルが二メートルを越える巨体の背中を眺めながら歩くこと三十分。広いはずの背中がどこか小さく見える、なんて詩的に気を紛らわせるのにも飽きてきた。


「なあ、エディス。そんな世間話がしたい訳じゃないんだろう?」


「……。」


 無言で返すエディスクリート。いつしかアダラースの中でも特に人目につかないエリアに踏み入っていた。

 人に聞かれたくない話をするにはうってつけの場所だろう。


「君はさ、ボクに似ていると思ってたんだ。」


「思ってた?」


「うん。でも、違った。それほど長い間君のことを見ていたわけじゃないけど。それでも、君がボクとは違うってことくらいはわかったさ。」


 エディスクリートはアシェルにとってもイステカーマに来て以来、最も感性の近い人間だと思っていた。その慎重な性格がが似ていると評価される理由であれば納得できる。

 だが、彼は違うと断言する。


「で、何が違うと思うんだ?」


「君は……確かに驚くべき才能はあるけど天授(ギフト)はないし、突出した体躯があるわけでもないだろ?決定的な何かを持っていない、誰かに憧れ、妬む側の人間だと思ってたんだ。」


「まぁ、否定はしない。」


 今までにも散々突きつけられてきた言葉が心に刺さる。その事実に思い当たる節が多すぎて嫌な気すら起きはしない。


「いや、それがまず間違いだった。君は劣ることから目を背けるわけでもなく、言い訳をするでもなく、ただ受け入れている。他人を羨むのではなく自力で並び立とうとしている。」


 アシェルはまだエディスクリートの意図を掴みかねている。馬鹿にされているわけではないことは雰囲気で察しているが、彼からはそれ以外の思惑を感じるのだ。『葛藤』と表現しても差し支えはない何かを。


「オレにとってはそんな君の姿は輝いて見えるんだよ。あの夜空に灯る星のように。風に吹かれても強かに燃え続ける蝋燭の火のように、ね。」


 それは風前の灯火というやつでは。と、茶々を入れる場面ではないことはアシェルも弁えている。

 エディスクリートは続けた。


「けど、今この国に必要なのは行く先を指し示すだけの遠い光じゃない。全てを明るく照らす激しい光。太陽の如き圧倒的な光だ。」


 アシェルはようやくエディスクリートの言いたいことを理解した。

 つまり、イステカーマを先導すべきはアシェルではなく、やはりサルヴァドールであるべきだ、と。アシェル自身でさえ同じ意見なのだから元からサルヴァドールを慕う彼の気持ちはもっともだ。


「だから、『多芸巧者(オールセカンド)』。黙ってこの国を出て行ってもらえないか。勝手なことを言っているのは理解してるし、もちろんこれ以上ないくらい君に感謝している。君たちの助力があるのとないとでは雲泥の差だっただろうからね。」


 恐らくアシェルが総指揮の立場から退けばいいという単純な話でもないのだろう。まずサルヴァドールがそれを許さない。敗北した身だからと気前よく玉座を譲った彼が今さら己の言葉を覆すイメージが湧かない。それ以前に―――


「一度受けた依頼を俺の判断で破棄することはない。それに総指揮は俺がとる。そう計画した。」


「だよね。君のスタンスで引き下がってくれるとは思ってなかったよ。だから――」


 エディスクリートは言葉を切って、瞬時に目の前から姿を消した。天授(ギフト)、あるいは祝業(スキル)の使用。彼は廃墟と化した区画の闇に隠れて言葉を続ける。


「悪いけど君には少し痛い目をみてもらう。誰の目から見ても指揮など取れないほどに。最悪、死ぬことも覚悟してほしい。」


 アシェルは薄々こんな状況になることは予感していた。散歩の誘いのときから僅かに声に含まれていた緊張感。正直なところアシェルにとって彼はこの国に来てから最も戦いたくない相手だったのだが。


「エディス、思い直せ!まだお前には伝えていないことがある!」


「フッ、恋人にでも振られたような台詞じゃないか。オレが冥土に行くことにでもなれば聞いてあげるよ。」


 それでは遅い。そう伝えるより前に風切り音と共に高速の矢が飛来する。アシェルは体を捻って薄皮一枚で回避するも、問答無用と言わんばかりに次々と矢が射られる。口を挟む隙もない。


「ボクはね、劣等感の塊みたいな人間だ。常にある人と比べられながら生きてきた。時には恨みもしたさ。だけど、同時に憧れもしていた。その人は自分が正しいと信じたことを貫き通す人だったから。それが格好いいと思ったんだ。」


 言葉の合間にも矢は襲いかかる。矢の一本一本が石だたみを割って突き刺さる。


「自分を語るか、攻撃するかどっちかにしろ!聞かせたいんだか聞かせたくないんだかわからんぞ!」


「どっちもだよ。」


 矢の雨が降り注ぐ。


「だからさ、ボクも正しいと信じた道を歩んでみることにしたんだ。」


「戯けるな!味方に矢を射る行為が正しい道なわけあるか!」


「そうだね。あの人もよくたわけって呼ばれてたよ。」


 急に知能指数が下がったんじゃないかコイツ、と思えるほど話が噛み合わない。対話をするつもりがまるでない。身勝手な独り言と一緒だ。何かが彼を盲目にしている。その何かが『あの人』に起因していることは間違いないと思う。


「『あの人』ってのが誰だか知らないが、今お前がやっていることを肯定してくれるのか?」


「どうだろう。もしかしたら反対するかもね。お前は間違ってる、って殴って止めてくれたかも。」


「ならなぜ!?」


「ふぅ、まだまだ会話する余裕があるのか。さすがだよ、『多芸巧者(オールセカンド)』。」


 ようやく成立しかけた会話を中断される。


「ボクは小心者だからさ。君に倣って手の内は明かさない。ただ烏滸がましいながら名前だけはちゃんと名乗っておくとしようか。」


 姿も見せずに矢を放ちながらエディスクリートは遠慮がちに名乗った。


「エディスクリート・バロール。偉大な英雄を兄に持つ臆病者の愚弟さ。」

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