42.水と炎
アシェルはクレマと別れた後、宿屋に戻る。但し、本日の業務はこれにて終了、という訳ではなく今頃宿屋の一室で惰眠を貪っている人物が目当てだった。
その人は元より戦略的にも、戦術的にも重要人物の一人ではあったが、ともすると世界の行末すら左右しかねない可能性を秘めている者。
師の教えに準じて、アシェルは見極める必要がある。
『把握しろ。掌握しろ。固めた拳でしか暴力には立ち向かえない。』
自戦力をまともに評価できない奴は三流だ、とも。自身を含め味方は何ができ、逆に何ができないのか。何が強みでどの状況で発揮されるのか。その力が過去から未来にかけてどれほどの影響力を持つのか。
戦う前に己の力量を正確に知ることは何よりも優先すべき事項なのだ。
それを踏まえてアシェルは未だに迷っている。彼女のうちに眠るであろう潜在能力を自覚させるべきか否か。
アシェルは彼女の部屋の前に立ち扉をノックする。が、十秒ほど待って応答はない。
「俺だ。開けてくれ。」
二度目のノックを機に室内でバタバタと慌ただしい音が鳴り、足音がテンポよく近づいてくる。アシェルは数秒先の未来を察知し数歩下がった。直後、バンッと外開きの扉が開け放たれ、アシェルの鼻先数センチを通過した。鼻を圧し折る勢いに戦々恐々とする。
「よお、大将!随分と時間がかかったな!待ちくたびれちまったぜ。」
「俺はたった今くたばるところだったがな。」
「何を言ってるんだ?ま、いいか。とにかく鼻を長くして待ってたんだからな!」
「まぁ、よくはないぞ?危うく人の顔面を破壊するところだったからな?それと待つ時に長くするのは首だ。鼻を伸ばすな、天狗か。」
「天狗?おいおい。間違えてもらっちゃ困るな、大将。アタシは仙人だぜ。なんたって【水仙翁】だからな!」
カウラは屈託のない笑顔を見せる。鼻高々と。確かに彼女の言う通り天狗と仙人は別物だ。が、別にそんな事はどうでも良いことである。
「まぁ、なんだ。扉はゆっくり開けてくれ。」
「ん?わかったぜ、大将!」
わかっていなさそうな返事はさておき。
「カウラ、これからお前の力を試させてもらうわけだが」
アシェルが言い終える前にボンッと音を立てて次々と火の玉が宙に浮く。カウラが好戦的過ぎるあまり、この場で戦い始めるものだと勘違いしているのは確認するまでもない。
「違う。今すぐに消せ。宿ごと吹き飛ばすつもりか。」
シュゥ…、と生み出されたばかりの火の玉たちがカウラの意気とともに萎んで消えた。
「言葉足らずだったな。今から外で【水仙翁】の性能を確かめるんだ。」
「性能?つっても、水を操れるくらいだろ。」
「この一瞬で矛盾するな。」
ひとまず室内でカウラを扱うのは危険だ。その結論に至ったアシェルは彼女に支度を促し、安全かつ街に被害の及ばない荒れ地に移動した。
「それで大将?確かめるったって何をすればいいんだ?」
「【水仙翁】は水を自在に操ることができる天授。そうだな?」
「ご明答!さすがだぜ、大将!」
ご明答も何もつい先ほども彼女の口からも直接聞いている情報なのだが。
――まさか鳥頭だと思われてる?コイツ俺のことおちょくってる?
ふと疑念が浮かぶアシェルだったが、彼女自身は心の底から感心しているようでそれ以上の追及はしなかった。
「『水を』『自在に操る』。この二つの言葉に秘められた制限を確かめるんだ。」
一つ、二つと指を立ててカウラに説明を続ける。
一つ目は水の定義。本来の定義では、水は水素と酸素の化合物、言わば一酸化二水素である。だがこの事実は広く認知されていない。化学的知識の発展に乏しいイステカーマではなおのこと。
一般的に水とは液体の一酸化二水素を指す言葉だ。さらに解釈を広げれば不純物が混じっていようとも無色透明な液体であれば多くの人はそれを水と認知するだろう。
では本題。【水仙翁】によって操れる水はどこまでを指すのだろうか。神が定めし一酸化二水素か、人が認めし無色の液体か。
いくつかの指示のもと結論はカウラが示した。あまりに単純明快な結論。彼女が水だと思えばそれが水。つまり後者だ。
そんな馬鹿なと思う反面、腑に落ちる点はないでもなかった。以前、ホグトン・テーヘンの持つ【陰弁慶】は契約書により婚姻関係と認知することで効果を発動した。
あれこそ天授の効果が人の認識によって定義されている典型だ。
この基準が設けられたことでもう一方の『自在に操る』が意味する範囲も大よそ当たりがついた。
浮かす、飛ばす、形を変える。水を思いのままに操作することは可能だが、その自由度には際限がある。高度、距離、速度、構造、その他。カウラが認識する限界が水の操作の限界値を決定するのだ。
水は大気圏を突破することもないし、地平線まで飛ぶこともない。銃弾のように放てても音の速度に達することはない。壁のような単純な構造物を再現できても、銃のような未知の内部構造は再現できない。
全ては彼女が認識出来る範囲でしか操作ができないのだ。
「だとするとやはり謎が残るな。」
「ないだろ!」
「あるだろ。むしろここから核心だ。」
最初にして最後の謎。これまでの理解では彼女が発生させている火炎球の説明がつかないのだ。
「今も火の球は出せるか?」
「ああ、これか。」
ボンと音を立てて火の球が一つ出現する。やはり祝業名の詠唱はない。
「それはどういう理屈だ?」
「理屈ったってなあ。そういうもんだろ。パリッとやってキュッとする感じ?」
「なるほど。わからん。」
感覚派の説明は聞いても理解できないことは承知の上だ。彼女がそうだと言うのならそうなのだと受け入れるしかない。
だが実のところ初めて見た時からアシェルの中で火炎球の原理については仮説はあるのだ。
最後の謎というのは原理そのものではなく、彼女が原理を理解していないのに使用できていることにある。
「無から水は作れないし、水を燃やすこともできない。そうだな?」
「そりゃ無理だな!」
「祝業を使っているわけでもない。」
「そうだ!」
「なら、それは天授の力に他ならない。目には見えない水を使ってな。にわかには信じがたいがそれは水素爆発と呼ばれるものだろう。」
「スイソ爆発だって!?……なんだそりゃ!」
予想通りの反応に『だろうな』と心の中でボヤく。原子や分子の知識がないカウラがその現象を理解できるわけがないのだ。
「つまりは水の分解と燃焼だ。」
その言葉を聞いてもカウラはピンと来ない模様。それ以前に大気中に含まれる水の存在すら理解しているのか怪しい。
それでも同様の現象を引き起こせるのならば、何らかの形で経験している可能性が高いと言える。
実際に見たのか、誰かに教わったのか。そんなことは今になってはわからない。ただそうなるのだと漠然と理解しているのだ。太古の人間が石を打って、木を擦り合わせて、火を起こしていたように。彼女にとってはそれと何ら変わりないことなのだろう。
アシェルは詳しい原理には触れずに、発動条件のみに絞って確認を続けた。遠隔での発動、湿度による影響、一度に発生させられる規模と量。戦略に組み込むためにより正確な理解を追求した。
結論を出すには尚早かもしれないが、かなり体力の消耗が激しいらしく長期戦には向いていないことが分かった。
水を分解し、生成された水素と酸素を再び結合する華麗なるマッチポンプ。二度手間で生じたエネルギーを熱に変換するのだ。その労力は計り知れない。
残念ながら無限爆撃で悪鬼を一掃するという案は現実的ではないと結論に至った。
アシェルとカウラはその後も【水仙翁】の試運転重ねた。
一方、いくつもの爆音轟いたアダラースの街は恐怖に陥る。一足先に天変地異がやってきた、と。
その後、サルヴァドールが苦虫を噛み潰したような顔で苦言を漏らしたのは想像に難くないだろう。




