39.大英雄
大英雄アレクレス・バロールは戦っていた。既にエディスクリートと別れて三度の夜は越えた。だが視界には数えようと思い立つことすら諦める程の大群が未だ蔓延っている。
「ハッハッハアッ!やってくれるではないか、赤いの!これではどちらが足止めしているのか分からんなあ!」
膨大なエネルギーを内包し、憎悪の面相を浮かべる紅き個体。ゴルルルル、と獣が唸るような重低音が腹に響く。
「世界広しといえどこの我をここまで抑えたのは貴様で二人目だ!」
アレクレスと『赤怒鬼』の実力はほぼ互角。単純な殴り合いならアレクレスに分があるが、機動力は敵に軍配が上がる。下手に隙を見せれば即致命傷になりかねないほど実力は拮抗していた。さらにはアレクレスを逃さぬように『嶽鬼』が背後に立ち塞がる。
既にアレクレスは檻に封じられたようなものだ。どちらかを突破しないことには逃げることも叶わず、ただ力尽きるのを待つだけの下等生物に成り果てた。無数の悪鬼はじわじわと痛ぶられる人間を見て、嘲笑するようにカタカタと体を震わせる。
「ハッハッハッ!貴様ら、嘲笑っているのか。よかろう。ならばこのアレクレス・バロールも歓笑って応えよう!この一瞬一秒こそが我の勝利であると!」
接敵時を除いて悪鬼の数を減らすことはできていない。それでも時間を稼ぎたいアレクレスにとって悪鬼の統率は絶好のシチュエーションだった。
イステカーマが態勢を整える時間を稼ぎ、なんとか離脱して合流することもあるいは―――
「不可能はない!貴様ら、思ったより手ぬるいな!もっと死に物狂いで来ねば我を仕留めることはできんぞ!」
今のところ二体を除いて手を出してくる個体はない。下手な個体では無駄な巻き添えを食らうだけだと畜生ながらに理解しているのだ。それに人間とは違い悪鬼に時間の制約はない。故に、数的な犠牲を最少にする消耗戦は理屈の上では正しい。
だがそれは普通の人間を相手にする場合に限る。そして、例外は何事にも存在する。それこそがアレクレス・バロールその人だ。
天授【大英雄】により自動取得した十二の祝業が一つ、【鹿追】。無尽蔵の体力の獲得。三日三晩戦い続けたとて疲労で動きが鈍ることはない。
戦場は未曾有の攻防が繰り広げられる。憤怒の一撃。噴石の如き衝撃。義憤の反撃。【赤怒鬼】と【嶽鬼】、アレクレスの拳が戦場でぶつかる。それぞれが体力という枷を外し、真っ向から殴り合う。強烈な拳は衝撃波を生み、周囲を風圧が襲う。
長く激しい攻防は終わりの予兆を見せないままなおも続く。気の遠くなるような一秒を何度も何度も繰り返す。
だが、アレクレスに味方していた時間という勝利の女神は気まぐれに邪悪な笑みを覗かせる。アレクレスが『赤怒鬼』の拳をガードしたとき―――
パキッと嫌な感触がアレクレスを襲う。
「ぐうっ、クハァッ!」
アレクレスは衝撃を受け止めきれず吹き飛ばされる。が、即座に復帰し追撃に備え態勢を整える。
「フンッ!」
骨が折れた腕を筋肉で固定し、『赤怒鬼』に叩きつけて逆方向へ殴り飛ばす。
「なんという体たらくだ、我が右腕よ!魂より先に折れるとは情けない!」
いくら底抜けの体力があろうとも、体へのダメージが無くなるわけではない。破壊的な拳を何十、何百回と受けた骨や筋繊維が無意識にも限界を迎え始めていた。さらに激しくなる戦いの中、四肢が悲鳴を上げ始め、無防備な体にまともに敵の攻撃が入り始める。
それでも日が昇り、沈み、再び日が地平線から昇るまで持ち堪えた。その間、アレクレスの意識には一欠片の絶望もなく、自分の一呼吸がイステカーマの希望になると疑いもせず立ち上がり続けた。一度たりとも闘志の火を絶やすことなく。
だが、やがて終着の時は訪れる。一瞬だった。既に両腕の骨は砕かれ、片脚の健は切れ、いくつかの臓器が破裂してなお『赤怒鬼』の拳を頭突き一つで跳ね返した直後。太い光線がアレクレスを貫く。
アレクレスが熱を感じて腹部を見下ろすとあるべき体の輪郭がない。横腹が綺麗きれいに抉れ、ボタボタと血があふれ出ていた。何が起こったのかはすぐに理解できた。意識外から『単眼阿魔』の熱線。その瞬間、アレクレスは自分の結末を悟る。
「顔を上げろ、アレクレス・バロール……!ふぅ……ククッ、クハハッ!」
腹筋が欠損しているせいで痛みが伴ったが、それでも笑って顔を上げた。
「我が最後の勇姿、イステカーマの民に見せてやれぬことが残念だ。」
そうしてアレクレスは足を引きずりながら『嶽鬼』に向かって駆け出した。泥水の中を進むような重さを感じながら、藻掻くように走る。そして、まだ無事な足で踏み切り高々と跳び上がる。
常人に比べて圧倒的な体格を誇るアレクレスといえど『嶽鬼』の前ではハエ同然。邪魔な虫を払うように仰いだ掌がアレクレスに直撃する。ゴオオオオオとうねりを上げながらアレクレスを叩き飛ばした。
アレクレスは空気圧に潰されそうになりながら、弾丸のように悪鬼軍の頭上を一閃する。その視線の先には『単眼阿魔』を捉えていた。
「我が同胞に代わってしかと見よ!これが、最後にして最強の一撃である!」
SPを全損する最終奥義。それまでに自身が受けたダメージ全てをエネルギーに変換し目標にぶつける命を賭した反撃だ。
尋常ならざる雰囲気を察知した悪鬼が『単眼阿魔』を守るように幾重にも重なり壁を形成する。
「ハーハッハッハア!身を挺して味方を守るとは敵ながらあっぱれ!だがこのアレクレス、背負っているものの重さが違うのだ!ゆくぞ!」
使い物にならなくなっていたはずの右腕に力が漲る。希望が宿る。
「我が希望の礎となれ!【天墜返し】!」
直後、その拳に触れた悪鬼は木端の如く吹き飛び、アレクレスの拳が『単眼阿魔』に触れた瞬間、蓄積された力が爆ぜた。その爆心地にて、アレクレスは後を親友どもに託し、満足げに笑って事切れた。




