35.決着
『宵ノ快天』は特定の条件下、特定の動作を経て自発的に超集中状態になるれっきとした技術だ。
その名の由来は読んで字のごとく『雲一つなく澄んだ夜空』。淀みないクリアな思考と広大な視野の獲得。星々の輝きを余さず享受するように、細胞の一つに至るまで自身の身体を意識下におくよう全能感に達する。
もちろんこの技にもデメリットはある。この状態は長時間の継続が困難であること。また終了後には必ず反動で疲労と思考の鈍化が伴うこと。
それにいつでも自由に使える、というほど柔軟な代物でもないのだ。
ただ今回については既に結実する兆候はあった。これまでの戦いで無駄な強張りが解れた筋肉。さらにドロテアとの戦いで適度な緊張と緩和を経て、鋭敏になっていた五感。条件は整えられていた。
「『多芸巧者』、御主が二人目だ。気迫だけで余に一抹の畏怖を覚えさせたのは。」
「称賛として受け取っておく。」
だが、所詮は無能力者の悪あがきだとアシェルは理解している。サルヴァドールのような圧倒的強者の前では蟻の威嚇に等しかろうと。
サルヴァドールは仁王立ちのまま軽く天に拳を突き出し叫んだ。
「我が名はサルヴァドール・ディアマンテ。余の【天衣無双】は敵の攻撃による物理干渉を無効化する。そして、【乾坤一擲】は三分間の制約の中でステータスが大幅に上昇し敵の防御をも無効化する。さあ、『多芸巧者』よ。凌いで見せよ!」
一定時間、サルヴァドールは防御不可と攻撃無効という反則的な矛と盾を得る。加えて身体能力まで跳ね上がるオマケつき。控えめに言って無敵のバケモノの爆誕である。
示し合わせたようにフィエスタが進行を引き継ぎ、最後の戦いの場が用意される。
これまでと同じルールの提示が行われ、最後に新たな一文が追加された。
『開始後三分間、『多芸巧者』が【乾坤一擲】中のサルヴァドール・ディアマンテから致命傷を受けなかった場合は、『多芸巧者』の勝利とする』
【設定完了】の宣言により勝利条件の提示が終わり、開始の合図が為される。
「その勇を示せ!」
開始早々、サルヴァドールが声高々に吠える。
「【乾坤一擲】発動!」
それによる見た目の変化はない。ただサルヴァドールが別次元の存在に成ったことはアシェルの五感以外の何かが感じ取っていた。
「では、ゆくぞ!」
サルヴァドールは大剣を構えて走り出す。ただでさえスケールの大きい体躯が瞬く間に眼前に現れる。気づけば刃が脳天をかち割る手前。
「らああああ!」
一切の躊躇がない一振りを、アシェルは間一髪で側面に回避。大剣は風を唸らせながらアシェルの体の数センチ横を両断する。
――これは受けたらダメなやつだ。
アシェルは肌でその威力を感じ取った。恐らく今の攻撃を刀で受け流そうとすれば、刀もろとも人の体が真っ二つにされるという凄惨な光景をお届けできたことだろう。
この時点で『攻撃を受け流す』という選択肢は完全に消滅した。
なおも大剣はアシェルの横。サルヴァドールは二手目に巨大な扇を仰ぐように剣をフルスイングした。線で捉える斬撃ではなく面で捉える殴打。
確かに防御を無視できるなら、当てることに振り切ったこれは理に適った攻撃手段だ。だが――
――錯視歩法【暁】
アシェルは既に間合いの外。重心を偽装しサルヴァドールの目を欺く。剣身は標的を失い空を仰ぐが、発生した暴力的な風圧がアシェルを襲う。
下手に堪らえようとすれば態勢を崩すか、最低でも次の回避に支障をきたす。それを避けるため風には逆らわず、回転しながら後方に跳び、受け身を取りながら着地する。
サルヴァドールはその一連の動きを見届けた後、自身の手首を覗き込んだ。
「まさか今の一瞬で反撃を入れるか。余はまだ御主を見誤っていたらしい。」
「そりゃどうも。」
サルヴァドールの言った通り、アシェルは間合いから外れると同時に彼の手首の健を斬っていた。正確には斬るつもりで抜刀した、が正しいだろう。
しかし、その手応えは鈍らで鋼を斬るような……いや、もっと絶対的に刃が通らない感覚だった。
「物理干渉の無効……奇妙な感覚だ。」
「ヌハハッ、なかなかに大胆不敵!見事、見事だ、『多芸巧者』!」
何が愉快なのか今の攻防で気を良くしたサルヴァドールが笑いながら迫る。二メートルを越える巨漢が、だ。アシェルにとっては恐怖以外の何物でもない。
追撃に対してアシェルが取れる行動は常に二択。間合いの中で回避するか、もしくは射程外に逃れるか。
瞬きの一瞬、距離の一寸を見誤れば即終了のプレッシャー下にあって自分の身体はさらにキレを増す。予め動作が決められた舞踏のように自ずと体が動いた。
サルヴァドールが大剣を振るうたびに大気を揺らし、地面を抉る。小さな戦場に風圧と砂塵がいくつも舞った。
そんな中、アシェルの脳内では無駄以外の何ものでもない思考が巡っていた。加速する思考と熱中する意識下で。あろうことか【天衣無双】の弱点を探っている。
例えば約因。大いなる力には大いなる約因が伴う。空を飛べる天授なら高所に対して異常なほどの恐怖を覚えたり、透明化の天授なら透明化の間は視力を失ったり。
これだけ理不尽な能力ならば尚更、その恩恵を打ち消すだけの何かがあるはずなのだ。だが、一見して何らか制限された様子は見受けられない。
「約因……絞りきれんな。」
アシェルはサルヴァドールの単調な大振りを曲芸のように躱しつつ、脳をフル回転させる。
「ヌハハッ、御主、強欲にも程があるぞ!よもや余を打倒せんとするか!」
力任せの連撃が来る。
「逃げるだけでッ、勝ちなどッ、癪だからなッ!」
連撃を体を捻って避け、『からなッ』の勢いで限界まで上体を反らし大剣の下を擦れ擦れで避ける。
そのまま倒れる動きに逆らわずバク転に移行し、距離を離すと同時に態勢を立て直す。
「せめて嘘くらいは暴いてみせるさ。」
「嘘だと?」
アシェルは『嘘』なんて言ったものの、確証があったわけではなかった。ただ、記憶のどこかに彼の完全無欠を否定する何かがあった気がしたのだ。
だがそれ以上に、わずかに見せたサルヴァドールの表情の変化こそがそれを確証へと変えた。
「【天衣無双】、完全無欠という訳ではなさそうだな。」
「どうだろうな!もしそう思うなら――」
サルヴァドールはグッと踏み込み、有り余る力を瞬発力へと換えた。
「看破してみせるがいい!」
残る時間は三分の二。そこからは苛烈で凄絶な二分が始まった。
もう二人の間に言葉はない。お互いが目だけで語り合う。戦意も、策略も、深謀も、遠慮も、疑念も、回答も、愉悦も、哀愁も、挑発も、挑発挑戦全て――。
忘我の決闘は時間感覚をひどく狂わせた。波打つ筋肉の動きから靡く髪の一本までコマ送りで認識できるような歪な時間の連鎖。
長くもあり短くもあった二分はやがて、呆気なく終わりを告げる。
盛大なファンファーレと仮想のエフェクトが派手に投影される。
アシェルは肩で息をしながらそこに映し出された文字をぼんやり眺めていた。
WINNER、『多芸巧者』!!!
同時にサルヴァドールが着用していたボディースーツが弾け飛び、逞しい全裸姿が降臨した。
彼ははどこか清々しくも誇らしい顔で笑みを浮かべている。
「いや、なにごと……?」
アシェルはイステカーマに訪れて以来、最大の困惑に直面した。




