32.対人格闘
気の遠くなるような戦いが続いた。現れた悪鬼のうち、足の早い猛獣型と獣人型を優先的に撃破。続いて歩兵型。武装型はオリジナルの耐久力が高いため、そのコピー体は一発では消滅に至らず、破損部位に重ねて二発目が必要だった。
そこで活躍したのがもう一丁の相棒、ギャローズだ。
『暴れ馬』に由来を持つ拳銃はその名に違わず強烈な破壊力と腕が吹き飛びそうな反動をもつ。『コールドアイス』シリーズ初期モデルだ。
対して、拳銃は威力を抑える代わりに低反動、命中精度に優れた改良モデル。『絞首台』の名にふさわしい確実な仕事ぶりを発揮する。
しかし、それをもってしても――
「随分と動きが鈍ってきたな。」
「冗談ッ!おかげさまで体が軽くなってきたところだ!」
アシェルの言葉は虚勢ではあるもののあながち嘘でもない。五百発以上の銃弾を消費しているため装備が軽くなっているのは本当のことだ。
だが、万全の体力とも言い難くなってきたのも確かだ。
既に百体以上は削っているはずなのに一向に全滅する様子はない。ただそれは事前の情報から分かっていたことだ。【人形師】でのコピー体生成は恐らく千体が限界である。
「なるほど。汝のそれは驕慢ではなく矜持というわけか。」
ドロテアが納得の表情を見せると、アシェルを取り囲んでいた悪鬼の群れは蒸発するように消えた。
「何のつもりだ。」
「なに。こんなもので汝の体力を削りきるのは本意ではないのだ。言ったろう。ドロテアさんが戯れてやると。」
確かにトーナメントが始まる前に同じようなをことを言っていたことを思い出す。彼女にとって悪鬼を呼び出して傍観することは『戯れる』には当てはまらないようだ。
「なら、どうする。殴り合いでもするつもりか?」
ドロテアはうーん、と背中の筋肉を伸ばすストレッチをしたあとだらんと腕を脱力した。気の所為かと思うほど、わずかに口角を上げて。
「その通りだ。」
言い終えた瞬間、ドロテアは急加速した。超低姿勢でアシェルの懐まで迫ると空中で旋回しながら足刀を一閃する。
ムチのようにしなるドロテアの脚を受けるべく腕を持ち上げ――
死。
生命の終わりを予感した。全身の細胞が一斉に叫ぶ。この蹴りをくらえば上半身と下半身が泣き別れると。
気づけばアシェルは身をかがめて蹴りを躱していた。思考を置き去りにして反射と直感だけが体を動かす。これまで積み重ねてきた特訓の痛みと叩き込まれた人体への理解。それらが結びついて、体がノータイムで最適解を導き出したのだ。
「やはりいい反応をする。」
「――ッ!」
心拍数が跳ね上がり嫌な汗が吹き出る。今の蹴りをまともに受けていた自分の末路を想像して背筋が凍った。
アシェルは今になってドロテアの噂を思い出した。
イステカーマの厄猫は武器を用いず、正義を掲げず、誇りを抱かず。ただ戯れるように敵を蹂躙する。 気に入った敵を見つけると嬉々として圧倒し、死ぬことすら許さない。やがて敵の心が折れると今度は自ら作り出した軍勢を相手に飽きるまで戦いを続けるのだ、と。
誰が言い出したのか、隣国ではいつしかこんな教訓が囁かれるようになっていた 。
『戦に誉れを求めるなかれ。イステカーマの飼い猫に貪られるぞ』と。
これが隣国の騎士団で噂されているのを知ったときは何かのジョークだと思ったくらいだ。
アシェルは我に返って叫ぶ。
「殺す気か!?」
「なに、一度目は死なぬよ。一度目はな。」
ドロテアは手刀で突きを放つ。アシェルはそれをギリギリでなんとか側方に躱すと彼女の小さな手と細い腕は顔の真横を貫いた。
ブォンッ、と棍棒で素振りをしたような低音が耳元で聞こえる。
――手刀でブォンッ……だと!?
焦りと驚きでアシェルの語彙力が消える。情けなくも今は言語能力にすら注意を割いている余裕がないのだ。
ドロテアはステップを踏み、方向転換しながら追撃を仕掛ける。全ての攻撃が致命傷を予感させる。
祝業の詠唱なしで繰り出される必殺の徒手に心中恨み節を唱えながら全神経を集中させる。
不幸中の幸いだったのは、いくら馬鹿げた威力の攻撃であろうと相手が人間の体をしているならば、力学的に防ぐ手立てはあるということ。
アシェルは合気の受け技を仕掛けた。狙いは攻撃中の彼女の肘と手首。
関節に対して瞬間的に危険な負荷が加わったとき、人の体は本能的にバランスを度外視して身を守る。
つまり、何が言いたいのかと言うと――
「―っ!?」
攻め手だったはずのドロテアが空中でひっくり返る、という一見不可解な現象が起きるのだ。
ドロテアは柔軟に体を捻り地面への痛打を避けた。地面に叩きつけて昏倒……まで持っていけなかったことはアシェルにとって計算外だった。
それでもドロテアに一泡吹かせるには至ったらしい。
「ビックリした。久方ぶりにときめいたぞ。どんな魔法だね、それは。」
「企業秘密だ。」
合気の受け技。その基本は強い力を最小限の力と動きで制すこと。まさに弱者のための技術と言えよう。
――世にはびこるバケモノ共にそんなものが通用するのか?
この結果がアンサーだ。かつて、アシェルも疑念を抱いたことがある。ステータス補正とやらを受けた人間に生身で適うわけがないと。
そんなアシェルに師の【嵐坊孤軍】はこう言った。
『関係ない。相手は同じ原理で動く人間だ。』
あの人は天才だった。あの人ならドロテアでさえも完全に制圧してみせただろうが、アシェルは自分に同じことができるとは思ってない。
だが真似て、学んで、実践を経て、ようやくその真髄の一端を知ったのだ。
そして、師のもとでもう一つ学んだこと。それは自分より速い相手との戦い方である。ただでさえ速度で劣り、後手であることで(人間の反応速度の限界値とされる)千分の八秒の遅れを強いられる戦いの中、如何に敵を上回るか。
攻撃そのものを見ようとしてはいけない。見てから反応していては遅い。見るべきはもっと前。起こりだ。
動物の動きには関節ごとの可動域による制限がある。さらに野生動物の本能的な攻撃に比べ、人間の攻撃にはより多くの意図が介在する。
そして、起こりにはその攻撃の意図とその先の動きについての情報が詰まっている。起こりを理解すれば先読みができ、必然的に対処もできる……はずなのだ。
言うは易しだが、これを常に反射でできるようにするためにどれだけ床と辛酸を舐めさせられたか。思い出すだけで血の気が引く。
「どうしたのだ。顔色がよくないぞ?」
「心の……古傷が疼いただけだ。気にするな。」
「そうか。遊び終わったらドロテアさんが慰めてあげよう。」
「……結構だ。」
何の脈絡もない提案をアシェルはバッサリと断り、再び受けの姿勢をとる。
「相変わらずつれないな!」
お互いに息を整えてからの再激突。ドロテアの攻勢を、手を変え品を変え受け流す。
突きには突きの。蹴りには蹴りの。それぞれに受け流し方がある。的確に適切に、間合いとタイミングを見極めて対応する。
それでも結局はそこ止まりだ。状況の打開にはまでは至れない。アシェルがこれまで対峙してきた相手であれば自然と勝機を見いだせた。
思うように攻撃を当てられないストレスは攻め手の動きを単調にさせる。単調になった動きは読みやすく御しやすい。
だが、ドロテアは違う。いくら躱しても、受け流しても攻め手が緩む気配がない。
それどころか次第にキレと集中が増しているようにすら感じる。アシェルは彼女の攻勢に何かに似たような既視感が拭えない。
――あ、そうだ。猫じゃらしで戯れる猫だ。
あれの何が楽しいのか分からないが、捉えきれない目標を無我夢中で延々と追い回すあの感じ。ドロテアの場合、一撃ごとが即死級の威力で全く可愛くはないわけだが。
「何か失礼なことを考えてないかね?」
「思い過ごしだ。」
内心を見透かされたようでアシェルの心臓が飛び跳ねたのは黙っておこう。
「アンタの攻撃……少しわかってきたと思ってな。」
「そうか。ならばもう少しペースを上げられそうか。」
ほんの一匙の強がりを含んだ挑発はドロテアには全く通じそうもない。彼女の猛攻は宣言通り激しさを増していった。




