26.前夜の思惑
エディスクリートは鉄血機構組との解散後、サルヴァドールの私室へと赴いた。案内役兼、監視役としての報告のためだ。
部屋に入ると一糸纏わぬ姿のサルヴァドールが腕立て伏せに勤しんでいた。
エディスクリートの来訪に気づくとその腕の動きを止め、ムクリと立ち上がる。体の節々から立ち上る蒸気の量がその巨体が内包するエネルギーを如実に表していた。
「おお、来たか。エディス。」
「……服を着てください。オレでなかったらどうするつもりですか。」
口ではそう言いながら、エディスクリートは乾燥したタオルを手渡した。
サルヴァドールはタオルを受け取り、ドカっと椅子に腰を掛ける。
誰も彼も目を離すと服を脱ぎたがる。これはありふれた光景だ。これこそがイステカーマの血に流れる悪習なのだから仕方がない、とエディスクリートは諦めていた。
「やはり服というものは窮屈で仕方がないのだ。血には抗えぬよ。」
だからと言って公の場で一国の主が全裸というのも体裁が悪い。そこを理解しているだけサルヴァドールは立派な賢君なのだ。
別に事情があるにせよ、だが。
ならばせめて私室での過ごし方にはあまりしつこく口を出すべきではないのだろう。それでもエディスクリートの立場としては、物申さなければならないのが辛いところだった。
そんなことより、とサルヴァドールが本題を促す。
「彼奴め、無能力者にしてはなかなか……。口だけの男ではないらしいな。お前はどう見る、エディスよ。」
エディスクリートが来訪した理由を考えれば『彼奴』が誰を指すのかは明らかだった。
「あの読みの正確さと回避技術は驚異的の一言に尽きます。対人での戦闘センスに関してはこの国の誰よりも……いえ、これは失言でした。申し訳ありません。」
「よい。余はお前の率直な感想が聞きたいのだ。」
エディスクリートは躊躇しながらも張りのない声で報告を続けた。
「……では、恐れながら。素手でオーランドとカウラに勝利したことを考えても戦闘センスは規格外と言う他ありません。まさに怪物です。ただ……。」
「ただ、なんだ。」
「ただ、あくまでも『持たざる者』として下した評価です。能力を含む総合的な評価をすれば、我が国にとってそれほど大きな脅威になるとは思えません。まして彼の参戦で戦況が覆るとはとても……」
――思えない。
エディスクリートはそう言いかけて口を閉じた。冷静に考えれば無能力者がイステカーマ側に参戦したとて、戦力的に大きな助けになるとは考えづらい。それは客観的な事実だ。
だが国内有数の強者であるオーランドとカウラがその無能力者にあっけなく敗北する様を、実際にその目で見たのだ。もし今回の結果がまぐれでないならば、彼の最たる力は――
サルヴァドールは言い淀んだエディスクリートの姿を見て、その心中を読み取ったようで。
「なるほど。それがお前の本音というわけか。」
サルヴァドールは息を吐きながら背もたれにもたれかかり、目を瞑った。
稀代の賢君と呼ばれる男の頭の中で一体どのような思考が繰り広げられているのか。エディスクリートは到底自分には理解できまいと考えるのを諦め、黙ってその時を待った。
しばらくして、サルヴァドールの口がゆっくりと開く。
「エディス。もしもだ、もしもの話だが――」
そこから続く言葉にエディスクリートは驚愕し、困惑した。誰が聞いても正気の沙汰を疑いたくなるようなそんな仮定の話。
「ほ、本気ですか?」
「余がこんな冗談を言うと思うか。」
「冗談自体は割とお好きでは……いえ、何でも。ですが、どうしてそこまで?」
エディスクリートは不思議でならなかった。会ってまだ三日、サルヴァドールに至っては謁見の時に会っただけの異邦人、それも無能力者の。それなのに。
何がサルヴァドールをここまで言わせるのか。何が彼を信じてみたいと思わせるのか。その答えはサルヴァドールが不敵な笑みとともに明らかにした。
「お前も感じておろう。あの男にアレクレスの片鱗を。」
エディスクリートは再び口を噤んだ。そこに否定の意思はない。あの日、最後に見た英雄の背中が蘇る。
と、同時に責立てるように溢れ出す未練と後悔。
自国への報告を言い訳に、偉大な英雄を見殺しにした事実が胸を締めつける。
自分は共に命を賭ける度胸がなかったただの臆病者だ。命を賭けられないなら、せめてどんな手を使ってでも連れ戻すべきだった。それすらできなかった自分は惨めで、情けない。
「そう暗い顔をするなエディス。前を向け、奴ならそう言うだろう。」
「……はい。醜態をお見せしました。」
「よい。」
サルヴァドールの声がいつにも増して優しい気がした。
「お前の堅実さは美徳だ。だからあやつにお前をつけたのだ。それは理解しておろう。」
「はい。」
「それがわかっていればよい。お前は職務を果たしたのだ。」
エディスクリートはサルヴァドールの親友を見殺しにしてしまった後ろめたさで目を見ることができなかった。
そんな気持ちを察したのか、しかしだな、とサルヴァドールは言葉を続けた。
「君主たる余もな、長らくその『堅実』を貫いてきたつもりだ。そこに間違いはなかったと断言できる。だが此度はその『堅実』では勝てぬ。負けてそれで終い。それならば多少の賭けをしても許されようというもの。むしろ、するしかないというのが道理ではないか。」
エディスクリートとてそれはわかるのだ。だが、問題はその『賭け』の内容にある。あまりにも話が非常識的すぎる。
エディスクリートはどうリアクションするのが正解なのか、すぐには答えを見つけられなかった。
「なに、どのみち果てしなく皆無に近い話よ。だがもし万が一、いや、億が一を起こせる男がいるのならば。国ごとベットするのにこれほどの適任もおるまいよ。」
サルヴァドールはイタズラを思いついた少年のような笑みを浮かべた。滅多に見せることのない顔。滾る感情の表れだ。
「楽しそうですね。」
「フッフッ、そう見えるのならばそうであろうな。元来、余は賭け事を好むのだ。」




