24.紅、洛陽と共に消ゆ
「貴女が欲しいからだ。」
突如、カウラに電撃が走る。その言葉の意図を図りかねた彼女の脳内でとある記憶が蘇った。
彼女は幼少の頃から強かった。ある時期から『強くなった』のではなく、始めから『強かった』のだ。物心がついた時から並ぶ者なし。怖いものなど何もなかった。
そんな環境で育ったからか男より男らしく、粗暴な振る舞いが身に染み付いていた。
そんなある日、幼馴染の男が言った。
「お前さぁ、いつまでもそんなんじゃ男が寄り付かないぞ。」
当時はその意味を考えず、ムカついたのでとりあえずその男をボコボコにした。
寄り付かないというのは寄せ付けないほど強いということ。悪いことには思えなかったのだ。
そして時が経ち、かつての言葉の意味が理解でるようになった頃には、皮肉にも本当に男を寄せ付けない存在になっていた。
順調に力をつけ、初めて十六勇将に就任した日の夜のことだ。
後夜祭で酒に酔っていたアレクレス・バロールにも似たようなことを言われた。
「お前さん、そろそろ契る相手でも探さにゃならんなあ!」
「うるせー!余計な世話だっ!」
そのデリカシーの欠片もない言葉自体に思うところはなかった。ただそれを周りで聞いていた者の目は今でも覚えている。
そこに写っていたのは畏怖、そして「尻に敷かれてたまるか」という拒絶の意思。
その時、自覚した。己より弱いやつはダメだと。万が一、誰かに身を捧げる日が来るならば、その相手は自身より強くあるべきだ、と。
カウラは我に返る。今、目の前に立つ男は何の力もない穢魔のはずだ。体格ですら自分に劣る弱者だ。
だがその男には見上げるような存在感があった。別格中の別格、あのアレクレスやサルヴァドールと対峙したときと近しい感覚。
そして矜持と気魄を宿した黒い眼光はカウラを強く惹きつけた。
次の瞬間、体の内が燃え上がった。グツグツと煮えたぎった熱が下腹部から迫り上がり顔を赤く染める。
彼女はまだその衝動の正体を知らない。
「な、なな、なに言ってくれてんだっ!」
心が揺らいだカウラは人間の頭部に近い大きさの燃える球体をアシェルに向けて放つ。速度は目で追えないほどではない。アシェルは最小の動きで回避しながら、最短距離で間合いを詰める。
「チッ、ナメんな!」
踏み込もうとする一歩先で急に炎が視界を覆った。アシェルは反射的に最後の一歩でブレーキをかけ、バク転の要領で後方に跳び退く。
あと半拍反応が遅れていたらあの炎に飲まれていたところだ。
カウラを中心に渦巻いた炎は数秒間維持した後に消滅した。
接敵前に見えていた火柱の正体だ。竜巻型の全方位防御。どうやら勝ちを掴むにはこれを突破しないといけないらしい。
再び姿を見せたカウラは自身の髪を捻じるように摘んでいた。
「焦って自分の髪でも焦がしたか?」
「言ってろ。」
カウラはさらに球体の数を増やす。その数は、パッと見ただけで十はくだらない。
アシェルは考えを巡らせていた。やはり道理が通らない。そもそもおかしいのだ。彼女が出すアレは本来のものより威力が強い【火炎球】だ。
カウラ・ヴェスタの名は国内に留まらず他の五大強国やそれに連なる国々にも届いている。数ある武勇や世評の中で彼女の天授についてはこう語られている。
『カウラ・ヴェスタは水と炎を操る天授の持ち主だ』
斯くいうアシェルもつい先日までは認識を同じくしていた。だが、エディスクリートに渡された資料の記述には【水を自在に操ることができる】の文字しか記されていなかった。
――なんで炎が使えるんだ。おかしいだろ。
アシェルの苦情を嘲笑うかのように次々と飛来する火炎弾。アシェルは距離を保ちながらそれらを回避し、打開策を模索しようとした。
そのとき一筋の光がアシェルを痛打する。
「ぐっ!」
左肩が吹き飛んだと錯覚するほどの衝撃。右手で左肩が残っていることを触って確認するとビチャッと嫌な感触がある。
まさか血が――そう思って視線を落とすと右手には無色透明の液体がついていた。
「ハッ、頭を狙ったんだけどな!安心しろよ。ただの水だぜ?」
「らしいな。」
考えてみれば当然だ。水を操れるならばこの攻撃手段も想定しておくべきだった。
【圧縮水弾】。水系統の天授持ちが標準装備のようにもつ祝業。
圧縮中の溜め時間こそ欠点ではあるが、射出速度は水属性最速を誇る。
敗走した二人の男をぶち抜いたのもこれだろう。
狙い通りアシェルの頭に直撃していれば勝敗はその時点でついていたはずだ。
アシェルは外れた肩をバキッと無理やり元に戻す。攻撃パターンを頭にインプットし、カウラから再度距離を取った。
距離が離れれば必然的に回避の成功率は上がる。その隙に全身全霊でカウラ攻略の手がかりを見つけるのだ。
彼女が意図的に発生させている事象はその天授から逸脱することはない。水を操る天授と言うなら全ての攻撃が水に関わっていなくてはおかしい。
天授、圧縮水弾、火炎弾と炎の竜巻、彼女の焦げた毛先……。
アシェルは戦いのなかで得た情報を組み合わせて【水仙翁】のカラクリを探る。
既にある程度の仮説は立っている。しかし、どうしても立証する術が見つからない。
日没が近い。決して分が悪いわけではないが、少なからず賭けを強いられる時間だ。
「不確実性はなるべく排除したかったんだがな。」
アシェルは一定に保っていた距離を捨て、再び最短距離での接近に切り替えた。
「ジリ貧だよなあ!最後はヤケってか!いいぜ、背中を見せないのは褒めてやる!」
距離を詰めるアシェルを迎え撃つために放たれた火炎弾がアシェルに直撃する。さらにトドメをさすように二つ、三つと追って着弾。
念には念をとご丁寧にさらなる追撃までぶっ放してみせた。
煙塵がカウラの視界を遮る。
「ははっ、直撃!さすがに勝負あったろ!」
火炎弾の衝撃により巻き上げられた砂塵と白い煙が混濁する。カウラは確かな手応えを感じつつも嫌な予感が拭えず目を凝らす。
だが、いくら待っても煙は晴れるどころかその濃さを増していく。
勝ちを確信していたはずのカウラにある疑念が湧いた。煙の色がいつもと違う。それに濃く、多い。
経験上、目の前に広がる煙が自然発生したものとは思えなかったのだ。
今にも煙の中からアシェルが飛び出して来そうな予感。警戒を解かずに煙の奥を睨んでいると――
突然、シューッと甲高い摩擦音が響く。同時にアシェルが命綱で逃亡する姿が煙に滲んで見える。屋上に逃げる気だとカウラは悟った。
「結局てめぇも逃げるんだなっ!」
カウラはノータイムで火炎弾を放ち、逃げるアシェルにぶつける。だがその直後、カウラは己の過ちに気がついた。直撃したはずの命綱にはアシェルが着用していた上着だけが取り付けられていた。
このとき既にアシェルはカウラの懐にいた。アシェルは音と上着を囮に、カウラの視野から外れ間合いを全力で詰めていた。十メートル強の距離であれば、アシェルは二秒で詰め切れる。
カウラが囮の正体に気がついた時にはもう遅い。
「クッ、しまった!」
彼女の表情には明らかに焦りがあった。それも無理はない。仕留めたはずの穢魔がピンピンしているだけでも驚きなのに、いつの間にか形勢が逆転しているのだから。
「押し切る。」
アシェルの仮説が正しければ、この至近距離では自身を巻き込む『炎』の使用はない。
圧縮水弾は射出までの溜めを潰せば無力化できる。
つまりこの超至近距離こそ絶好機。
アシェルはこの距離を維持したまま、一気に制圧する腹づもりだ。
カウラも自身の能力が近接戦闘に不向きであることは十分過ぎるほど理解していた。
そのために体術も会得している。
まだ戦況を返せる――そのつもりでいた。
だが、防戦に回った彼女は反撃に転ずることはない。
アシェルは三度の手刀と二度の蹴りを織り交ぜ、本命の柔術によりカウラを地に転がした。カウラは不意の横転に受け身を取り損ねる。肺の空気が全て吐き出され、意識が飛びかける。それでも強靭な精神で意識を引き戻し、なりふり構わず指先から圧縮水弾を放とうとする――が、アシェルは射出前に横から腕を叩いて軌道を逸らし、右手を彼女の首にかける。
アシェルの指先は彼女の頸部動脈と主気管を軽く圧迫した。
「まだ、やるか?」
「くっ、簡単に負けられるか――」
キュッ。
アシェルの指がカウラの首に深く食込む。能力を使わせるわけにはいかない。自傷覚悟の攻撃などされたらたまったものではない。
その間、意地になって断行するのではないかとアシェルの内心は冷や汗ものだった。
――僅かにでも兆候があれば必ず絞め落とす。
殺意にも似た集中力。カウラからしてみれば本当の意味で命に指がかかっている感覚だったろう。
いくらか葛藤はあっただろうが、彼女は逆転を諦めて両腕をだらんと大の字に広げた。
そのとき、アシェルはカウラの表情を錯覚した。勘違いだと思うが、ほんの一瞬だけ目が蕩けたような、恍惚としたような――。
――いや、きっと頸部動脈を絞めたことによる顔色の変化だ。
アシェルはカウラの降伏の意思を確認し、首から手を放す。そして横たわったままのカウラに『千人隊長』の階級章を無造作に放った。
「あー、これは……。」
カウラはアシェルの意図を理解すると少し残念そうに呟いた。
「不満か?」
「いいや。文句はねえ。」
カウラは大の字に転がったまま笑う。その声は反響しながら闇に溶け、同時に夕刻の紅が地平線の彼方に吸い込まれていった。




