13.口福の対価
『黄昏』ことリリィは母国ファスピアでの作戦から帰還して数日、鉄血機構での生活をこの上なく満喫していた。
貴族社会のような表面的な華やかさがあるわけではないけれど、多幸感や利便性という面においては類を見ない充実ぶりだった。
『発明狂』が作り出したエアコン、冷蔵庫、ドライヤー……エトセトラ。世に出回っていないことが信じられないほどの代物ばかりだ。
これらを商品として売り出せば一代にして大富豪になることは夢ではない。世界経済を牛耳ることだって現実的な話になってくる。
けれど、どうやらここ以外では動力源の整備が課題になり、過去に断念した経緯があると後から知った。
と、そんなお堅い話はさておいて、もう一つリリィの生活に彩りを与える物がある。それは絶品の甘味である。
リリィが初めてここに来たときから感じていたこと。それは口にするものがやけに美味しいということだ。作っていたのはその道の天才、『萬職人』。
彼の手で生み出された甘味はもはや芸術の域に達していた。手を付けることすら憚られるほどの美しい造形とそれを崩して口に入れたときの背徳感と口福感。感無量です。
まだ見ぬ二人の構成員に会って話がしたかったリリィだが、『発明狂』からは『まだムリぽ』というメッセージとともにまさかの面会拒否。
『萬職人』もどうやら裏方仕事で手が離せないらしくまたの機会で、ということになっていた。
みんな忙しいんだなあ……と心の中で呟いた途端、リリィは全身に電気が走ったような衝撃を覚えた。
「というか私、働かなすぎでは!?」
リリィがやることといえば朝起きてから朝食を美味しく頂き、しばしの散歩、昼食をとって昼寝、日が落ちる前にスイーツをつまんでから夕食をぺろっと平らげる。そして、お風呂にゆっくり浸かって就寝。この繰り返しだ。
「だめだわ、このままじゃダメ人間になっちゃう!」
思い立ったがハッピーバースデー。リリィはお昼寝から目を覚ますとアシェルの私室に直行した。
ノックを三回。返事はない。そっと扉を開くとアシェルはこんなにも日が高いうちからベッドに横たわっていた。怠惰ね……と思ったものの、もちろん自分も人のことを言えた立場ではない。
音を立てないように忍び足で近寄って顔を覗き込んだ。息をしているのか不安になるほど静かな寝息と穏やかな寝顔。ぐっすりと眠っているようだった。
リリィはなんとなく近くの椅子を移動させ、その顔が見える位置に腰を据えた。改めてまじまじとその顔を眺める。
「……かわいい。」
我ながら自然と出た言葉に驚いた。彼の顔は一般的には『かっこいい』と評した方が適切なはずだけれど。
――これが私を救ってくれた黒い悪魔……。
思わずリリィの手はアシェルの顔に伸びていた。前髪を払い、頬を撫でる。
と、その時、ノックが鳴った。反射的に手を引っ込めて扉を注視すると、ほどなく「ルインです」と声がする。
別に悪いことをしていた訳でもないけれど、居た堪れずそわそわしていると二度目のノックが鳴る。
それも無言でやり過ごそうなんて考えていたら、なんと彼女は扉を開けて入ってきたのだ。必然的に彼女と目が合う。
「あ、あの……えっと……ご機嫌よう?」
しどろもどろになりながら咄嗟に絞り出した言葉は長年培ってきたものだった。
ものすごく気まずい。それも突然、ドロドロ愛憎劇の当事者になったような気まずさだ。
「はい、体調管理は欠かしておりません。ところでリリィ様、こちらで何を?」
ご機嫌よう、を『元気ですか?』と捉えて律儀に答える人をリリィは初めて見た。
「えっとぉ……そのぉ……あっ、ほら、私にも何かできる仕事はないかなって!」
嘘は何も言っていない……どころか当初の本心そのものである。内心では『大義を得たりぃぃぃ!』と力強くガッツポーズをしたけれど、初めから後ろめたいことなんて何もなかったのだ。
「それは良い心がけです。」
「ルインさんも何か用があったんですか?今、アシェル寝ちゃってて。」
「このお時間、アシェル様はいつもお休みになってますから。私の用など起こしてまで伝えるほどのものではありません。それと私に敬称は不要です。ルインとお呼びください。」
「じゃあ、私もリリィと呼んでもらえないかしら!」
ふとリリィは何か違和感を覚えたが、ルインの表情が初めて変わったことでそれも吹き飛んだ。驚いたような、困ったような、そんな顔すら美しいと思える。
「よろしいのですか?」
「うん、もちろん!できれば、話し方も友達みたいにしてくれたらなぁ、なんて。えへへ。」
「申し訳ありません。申し出は嬉しいのですが、それは出来ないのです。」
「もしかして気に障ることしちゃった?」
――私とは馴れ合うつもりがない、とか?
知らず知らずのうちに彼女の機嫌を損ねてしまったのだろうか、とリリィは不安になる。だが、リリィの不安とは裏腹に帰ってきた答えは全く予想していなかったものだった。
「いえ、決してリリィ様が悪いわけではなく……私が……この話し方しか知らないのです。」
今度はリリィが驚く番である。そんな人がいるなんて思ってもみなかったから。
所謂、丁寧語とは社会を生きるうえで身につける処世術の一つだ。それしか知らないということは、物心ついたときから社会の中で生きているということ。上級貴族ですら、幼い頃は自分らしく振るまえる環境があったはずなのだ。
「うぅ……ルイン、大変だったのね。でも、私のことはリリィって呼ぶのよ?」
「……?はい、承知致しました。リリィ、お心遣いありがとうございます。」
リリィは確信した。この子、めっちゃいい子だ!と。
仮面のようにいつも同じ表情しか見せないから、少し冷たい印象があったけれどそれは彼女の気質ゆえ。ふたを開ければ、真面目で細やかで常に冷静な超絶美人である。
こんな女性を世の男性が放っておくわけがない。絶対に私が守らねば、と謎の使命感を抱くリリィだった。
リリィは少しだけルインとの親密度が上がったような気がした。
「親しくなるのは結構だがな。なぜ俺の部屋で?」
横からぶっきらぼうな低音が横槍を入れる。眠りを邪魔されたアシェルが怪訝そうに唸ったのだ。目が覚めたらとびきりの美少女が二人……なんて夢のシチュエーションなはずなのに失礼な話である。
「おい、なんでお前がちょっと不服そうなんだ」
「べつにぃ。」
「あ……マスター。お休みの邪魔をしてしまい申し訳ありません。」
「いや、ルインはいい。何か報告があったんだろ?」
「ルインはって……なに!?私は!?」
「何しに来たんだよ。」
「ひどい!何しにってそんなの……なんだっけ?」
アシェルのバカでかいため息。
「あ……マスター。リリィは自分にも何かできることはないかとマスターを訪ねてきたと仰っていました。」
――ルインたん、推せる。
やはりリリィの目に狂いはなかった。なんていい娘なのだろうか。
それに引き換え、アシェルと言ったら。まるでこの世に存在しないものでも見るような目でリリィを見る。あなたそんな顔もできるのね、と逆にびっくりしたくらいだ。
「なら頼みたいごとが……いや、罠か。」
「罠て。」
「対価はなんだ。」
――重ねて失礼が過ぎる。私が無償奉仕するような殊勝な人間には見えないですか、そうですか。……まぁ、強ち間違ってはいないけれど。
今回に限ってリリィは既に十分過ぎるほどの対価をもらっている。この快適な暮らしは恩返しするには余りある代物だ。それでも警戒されると言うならば一つ提案をするしかないとリリィは思い立つ。
「そうね。なら『萬職人』の新作スイーツの試食権とかはどうかしら。」
「新作スイーツの試食権……だと!」
生唾を飲み込む音。アシェルはいつになく真剣な表情だ。
思ったよりもハードルの高いお願いだったのだろうか。リリィはアシェルの様子をうかがう。
「まさかそこに目をつけるとは。リリィ、中々侮れないな。」
「え?そんなに……?」
けれど、アシェルは数秒考え込むと無言で頷き、取引が成立した。
「分かった。いいだろう。ちょうどお前にやってもらいたいことがあったんだ。動ける用意をしてこい。」
そうしてルインとリリィの二人はアシェルの部屋を出たところでお互いの顔を見合わせる。
「まさかアシェルがこんなにスイーツに真剣だったなんて。意外だわ。」
「はい。ギャップ萌えにございます。」




