12.受戒指定
アマルティア教皇国、地下大聖堂。
一般人の立ち入りが許されない秘匿された聖域にて。厳格なる衣装に身を包んだ者たちが巨大な円卓を囲むように座っていた。
その顔のほとんどには齢による皺が深々と刻まれている。そのうちの一人が抑揚なき声で祝詞を述べた。
「主神、原初の使徒、我ら赫赫たる御身の具足なり。無垢なる祈り、不惜身命の誓いを此処に示す。」
「「誓約。」」
皆が一様に両手を握りしめ目を瞑って唱えた。黙想には短く、瞬きには長い静寂の間。それを我先にと破り捨てた者がいた。
「おい、報告にあったのは本当のことか!?」
真っ先に問い詰められた者は動揺を気取られまいと気丈に答える。
「はい。配下の偵察部隊からの情報ですが、彼の国にて既に受戒者は二百を超えたとのこと。」
「なんたることだ。」
何名かの嘆きの声が続く。
「再び試練の歯車が動き始めてしまったというわけか。なぜそんなになるまで捨て置いたのだ!」
「それについてですが、感染ペースがあまりにも緩やかで……。」
「それは彼の国だからだ!一市民に至るまで階位が軒並み高いからこそだろう!」
「し、しかし、未確認の症状も多く見られ」
「ええい、ここは言い訳を聞く場ではない!彼の国に対し、いかな処遇を下すかを話し合うべきであろう!」
ある一喝にて場は静まり返った。場にいる者同士がお互いに視線を送り合い、探り合っている。
皆内心では結論が出ているのだ。後は誰がそれを申し出るか、誰の名の元でその判断を下すのか。論点はその一つに限る。
その決断は戦争の火種と呼ぶにはあまりに決定的。
宣戦布告、あるいは国家単位の死刑宣告に等しい行為となる。が、誰もがその決断の代償――言い換えれば責任を問われたくないのである。
「よりにもよってあの大国か。奴が健勝のうちは手を出すべきではないのであろうが。」
「そうも言ってられまいて。野放しにすればその影響は皆の知るところだろう。」
「ならば、ヌシが発議してみたら良いのではないか?何れにせよ最終決定権は教皇様にあるのだ。」
「おい!それは不敬にあたるぞ!何のために我々がいると思っておるのだ!」
「事実を述べただけだ。他意はない。」
「貴殿ら、止めないか。ここは責を押しつけ合って揉める場でもないのだぞ。」
諌めるような発言に視線が一点に集まる。その先には円卓を囲う中で際立って若い男の姿があった。
三十路を迎えているか判断がつかないほど若々しい容姿の男。より長く生きた面々にとっては疎ましい存在でもあった。
『青二才が偉そうに』、『小童ごときが対等な物言いをするでない。不愉快だ』――
そんな声が聞こえるような静寂が訪れた。
若い男は他には聞こえないように大きくため息をついて切り出した。
「いいだろう。私から教皇様に進言するとしよう。」
老人達は顔を見合わせて、明らかに表情を緩めた。分かりやすいこと、この上ない。
「そうかそうか。さすが、その若さで上り詰めただけはある。やはり器量が違う。」
世辞だ、とは誰もが思った。言外に忍ばせている『その短慮で身を滅ぼしてしまえ、小僧』という意図が見え透いているのだ。
若い男は思う。だからと言って、この無駄な時間を続ける意味はないと。老人どもにとって都合がいいのは癪だが、多大なストレスと天秤にかければやむを得ない判断だった。
そのうえで男は重くなった口を動かした。
「私、ダグラス・レイシーの名のもとに、イステカーマ勇国の受戒指定をここに発議する。」
☆
「フッフッフ。アーハッハッハア!」
手を腰に当て、崖際で仁王立ちした男。名をアレクレス・バロール。アレクレスは雄々しく、高らかに、盛大に笑って見せた。
その癇癪のような行動に、同行していた男はビクッと身体を震わせる。
「な、なんだよ急に。」
「これが笑わずにいられるか!我らが領民が苦しみ、死の恐怖にいる中、わんさか希望の方からやってきたのだからな!」
「き、希望……?絶望の間違いでは。」
アレクレスが『希望』というそれは世間一般的には『絶望』と認識されるものだ。悪鬼。世界を滅ぼさんとする破壊の権化。その大群。
「何を言うか。これは正しく希望だ。受戒から民を救うには悪鬼の核が必要。そして、奴らはこうして眼の前にいる!これを希望と呼ばずしてなんと呼ぶ!」
「だから、絶望だって……。」
「やかましい!」
真横に雷が落ちたような轟音に弱腰の男も咄嗟に耳を塞いだ。それを横目にアレクレスは大股で崖際に寄り、大空に向けて叫ぶ。
「イステカーマに我あり、【大英雄】がここにおる!奴らの核を持ち帰れば数多の人民が救われる!救える道がある限り我は笑ってみせようぞ!」
その眼下では黒い大地が蠢いていた。一体一体は視認できないほど小さく見えるが、間違いなく全てが悪鬼だ。
数日前から観測され始めたこの大群は瞬く間に山を削ぎ落とし、森を薙ぎ払い、祖国イステカーマをも呑みこむ勢いで侵攻を続けている。
そのあり様はかつて幾度となく人類を滅ぼしかけた大災害の記録と酷似していた。
なぜ急に。そんなことは考えても詮無いことだった。悪鬼に高い知能はない。思うがままに暴れ、破壊するのみ。天災と同じで、ただその時が来てしまったのだと諦める他はないのだ。
「急いで報告に戻ろう!今から戻れば何とかっ」
「ならぬ!戻るのはお前一人で十分!」
「……っ!なんで……。」
察しはついていた。【大英雄】ならこの場面で何を考え、どう行動するか……なんて考えるまでもなかった。
だが、それを認めてはいけない。受け入れてはいけない。だから男は分からないフリをした。
アレクレスはあくまで笑顔を崩さず、今後の展望を話す。
「この軍勢、このまま行けば十日とかからず王都にたどり着くだろう。」
「だから早く戻って知らせないとだろ!」
「我なら一人でも幾ばくかの時間は稼げよう。」
「尚さら同意できない!あんたを失えばそれこそ終わりだ!猶予を得たところで、対抗する手段がなければ元も子もないんだぞ!」
「問題ない!彼奴なら……勇者である彼奴なら何とかしてみせる!」
彼奴、が誰を指すのかは言うまでもない。我らが王、イステカーマの王だ。だが、いくらあの王とて最強の駒を失った状態でこの窮地を切り抜けられるとは到底思えない。
「何とかって、無責任な……!」
「しつこい、疾く帰れ!こうしている時間も惜しい。」
こうなった【大英雄】はもう誰にも曲げることはできない。それはこれまでの彼の偉業が証明している。
ならば、ここで英雄として諸共に死ぬこともあるいは……。と、思ったところで男の意思は拒絶する。
英雄と一緒に死地に向かおうなんて思えるわけがない。保身だ。誰だって死ぬのは怖い。誰もが戦って死にたいわけじゃない。死ぬなら床に伏して衰弱で穏やかに、がいい。
男は目の前の偉大な英雄アレクレスと自分とを比べて、自分がいかにちっぽけな存在か思い知らされた。
自身が残ったとしても大した仕事はできない。偵察の役割を放棄するわけにもいかない。
死地を共にしない理由を必死で探しながら、男は迷いを振り切りながら一瞬でその場から姿を消した。
その去り際を見届けたアレクレスは再び不敵に笑って見せた。




