10.悪魔の素顔
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フェイカーはケータイに表示された数列を確認した。アシェルからの作戦指示だ。
「さすが僕のアシェルだ。仕事が早いね。」
今回はアシェルが想定した中で最も可能性が高かったパターン。そしてフェイカーの負担が最も大きい作戦だ。
第一の弟子であり心友のアシェルから頼られたとあっては腕が鳴る――と言いたいところだったが、ぶっちゃけ今回の任務は役不足である。ミッションは大まかに分けて三つ。
一つ、王国の重鎮に扮して王城へ潜入し、ホグトンによるクーデターを裏で操る首謀者を突き止める。
二つ、ホグトンが自白する舞台を整える。
三つ、ホグトンに成りすまして首謀者諸共、悪事を告発する。
フェイカーにとって、この程度の仕事は仔細を打ち合わせる必要もないことだった。どのように準備し、どのように事を成すかなんて些末なこと。
――アシェルは心配せず、期待せず、当たり前に上がってくる報告を待っていればいい。何なら自分を想って、馴れ初めでも思い出してくれていたらいいさ。アシェルにとっては大したことじゃなかったんだろうけど。オレにとっては衝撃で。私にとってはトキメキで。ボクにとっては救いだったあの出会い、あの言葉。あれから僕の悩みは苦しみではなくなったのだ。
☆
■は齢が十二になるまでずっと奴隷の身分にあった。天授も祝業もなかったのだから扱いとしては妥当……いや、この世界にあっては死んでいないだけ奇跡とも言えた。
ただ、■にはもう一つの奇跡があった。
姿すら現してはくれない神様とやらはどうやら変わった力を■に与えたらしい。
それが『見取る力』と『演じる力』。
これのおかげで■は飼い主のご機嫌を取り、しばらくは平穏無事を保つことができたのだ。
だけど、■の才能は隠し続けるにはあまりに大きく、■自身はあまりに幼かった。
■はある日、才能を買われてたちの悪い奴隷商に高値で売り飛ばされたのだ。
世界中の奴隷をかき集め、およそ常人では真似できない見世物を看板としていた。
演劇に武芸、舞踊、果ては殺し合いや悪鬼による殺戮ショーまで。
各部門で落ち目の演者や運営指針に異を唱えた者は見せしめの意味も込めて死のショーに出演することとなる過酷な環境だった。
無論、■の才は演劇部門にて存分に発揮された。
役の思考や感性の癖を解析し、完全に成りきる技量は他とは一線を画した。
奴隷ながらそこそこの知名度と人気を博していたのだ。
だけど、結局はそれが災いしたのだろう。
好事家の大富豪がこんな取引を持ちかけたそうだ。
「今後、このガキが稼ぐだろう金額を払う。だから、こいつが悪鬼に食い散らかされる様を見せてくれ。」
飼い主はそれはもう目がくらむような額を提示したらしいが、その大富豪は二つ返事で承諾したようだった。
あ、終わった。
■は本気でそう思った……と思う。
今でもその時の気持ちを正確には思い出せないが、少なからず絶望はあったはずだ。
だけど、■は他人事のようにその事実を受け入れた……ように振る舞っていた。
達観とは違う。
自己防衛の一種だろうか。
■自身が本心を殺して諦めたふりをしていたのだ。
その後はまるで予めシナリオが準備されていたかのように順調に事が進み、あっという間に命日が来た。
■は闘技場のど真ん中に立たされ、檻に入れられた悪鬼が投入される。
そして、まさに檻が開けられようとしたその時――
騎士団が見世物に乱入してきたのだ。
悪鬼の存在を絶対悪とする国教の元では、奴らをショーにするという行いは間違いなく大罪。
関係者全てが摘発対象。
会場にいた人らは蜘蛛の子を散らすように一斉に逃走を図った。
人のごった返しの中、■は立ち呆けていた。
幼いながら己の顛末を悟ったのだ。
例えここで逃げることができても自分に未来はないのだと。
ならばこうして流されるままに身を任せようと。
まさにその時だ。悪魔に出会ったのは。
狂騒の中、いつの間にか小さな手が■の腕を握っていた。■が小さな手の持ち主にを視線を移すと黒い髪と瞳の少年と目が合った。
「誰だ、君は。」
「詳しくは後で話します。ひとまずここを離れましょう。」
「やめてよ。無駄なことはしたくない。」
「無駄……ですか?」
少年は不思議そうに、無遠慮に■の瞳を覗き込んだ。
純真無垢な漆黒の瞳に引き込まれる感覚は、正に悪魔に魅了されるような心地よさがあった。
「そんなにも辛そうなのに?」
悪魔が囁く。全身が痺れるようだった。
一体、誰のことを言っているんだろうか。少なくとも■■は違う。辛い……なんて微塵も考えたことはない。辛い……というものがどんな感情かさえ知らない。
■は自身の戸惑いさえも置き去りにして、悪魔の誘惑に惹かれるように鉄血機構に連れていかれることとなった。
そこでの生活は思ったより悪いものではなかった。
むしろ恵まれすぎていたくらいだ。美味しいご飯、温かいお風呂、柔らかい寝所、全てが揃っていた。
それなのに……いや、それだからと言ったほうが正しいか。安寧の日々は■にとって苦痛へと変貌していった。
全ての知覚に不協和音のような激しい不快感を覚えるようになったのだ。触れるもの、聞くもの、見るもの、味わうもの、嗅ぐもの全てに。
まるで今まで演じてきた人格が我こそが主人格だと一斉に主張するように。
原因は自身の中で再現してきた他人格と自身の中で芽生えた自我のズレ。
当時から統率者であったシルバーはそれを「自己同一性の擦り合せができていない」と表現した。
幼かった当時の■にはその言葉の意味がわからなかったが、今となっては理解できている。
思えば自己同一性なんてものが確立する前に、自我を圧し殺して他人を演じ続けてきた人生だった。
既に■の中で『演じること』は『生きること』になっていた。今まで演じた他人格は■の血肉になっていたのだ。
目を塞ぎ、耳を塞ぎ、暴れ、もがき苦しみ、ついには身投げまで考えるようになった。そんな姿を見かねて、シルバーは■あることを命じた。それは
「アシェルの師をやってくれないか。」
この状態の■に?そう思ったが、やってみるとこれが意外に効果はあった。「師をやる」ということは師に適した人格を演じればいいということ。
何かを演じている間だけはあの不協和音に苛まれることはなかったのだ。
そういえばアシェルとの再開を果たした日。フェイカーを名乗り出したのもちょうどその頃だ。
「先生、名前はなんですか?」
出会ってまもなく、アシェルからの初めての質問に■は困惑したものだ。■は生涯奴隷の身。名前なんてコロコロ変わっていたから本名なんてあるのかすら怪しかった。全てが偽り。全てが嘘。
「私は……セバスです。」
■は演じている役名でも答えて、その場をやり過ごすつもりでいた。だが――
「いえ、本当の名前の方です。」
■は驚いた。役を演じていることすら教えていない子が嘘を見抜いて見せたのだ。これを驚き意外の何と言い表せようか。だからと言って、当時の■に名乗れる名前などなかったのだけど。
「では、何だと思いますか?ヒントは『全てが偽物でできている』ことです。」
「なにそれ、かっこいい。当てます……!フェイカー!」
待つ間もなく出てきた回答に再び驚くことになるとは思わなかった。
回答自体に驚いたわけではない。ただ、その名前を聞いて体に染み入るような感覚に陥ったことにだ。この時からだ。■がフェイカーを名乗り続けることを決めたのは。
そんな出会いから約一年。フェイカーはアシェルにみっちりと演技というものを叩き込んでやった。その結果、気づいたことが二つある。
まず、アシェルは天才だ。ともすれば潜在能力はフェイカー以上。
『演じる力』は初心者に毛が生えたようなものだが、何しろ『見取る力』が尋常じゃない。たった一年でフェイカーの演技は全て看破されるに至ったのだから。
そして、そんな彼と過ごす時間はフェイカーにとって安らぎとなっていた。アシェルはフェイカーが表現していないはずの感情を汲み取るように接してくるのだ。
『お腹空きましたか?こんな時間ですもんね。』
『今日は眠そうですね。夜ふかしでもしたんですか?』
『ご機嫌ですね。何かあったんですか?』
僅かばかりもそんな様子は見せなかったはずなのに。そして、彼にそう言われると本当にそんな気がしてしまうのだ。
彼といる時間だけは本当の自分でいられる気がして。いつしかフェイカーは授業なんて関係なく、彼の元に通うことが習慣になっていた。
その反面、彼といられない時間は日に日に辛さを増していった。
一人でいる時間は死ぬほど苦痛だった。彼なら本当の自分を見つけてくれる。彼が発する言葉は全て自分の想いになる。一人でいる間は自分という存在が消えてしまうようで恐ろしかった。
だから、ある時フェイカーは頼むことにしたのだ。
「アシェル。僕をずっと君の側に置いてくれないか。君の言うことなら何でも聞く。僕の行動も、思考も、感情も全て君の言う通りにする。だから――」
「ウケる。」
フェイカーはウケを狙った覚えはない。いや、そもそもタイミングがよくなかった。よりにもよって軽薄男子を演じる授業をしているときにする話ではなかったのだ。
だが、伊達や酔狂でこんなことはお願いしない。それだけフェイカーにとっては切実な願いだったのだ。
「苦しいんだ。本当の僕がわからないのが辛い。関係性ならなんだっていい。奴隷だって。もう僕はこれ以上どれが本物かなんて迷いたくないんだよ!」
アシェルの答えを聞くのが怖かった。こんなに怖いことが世の中にあるのか思った。ここで断られたら自分は死ぬ、とまで覚悟を決めていた。
アシェルはじっとフェイカーの目を見て言った。
「その迷いは紛れもなくフェイカーのものじゃないか。『本当の自分が分からない』、つまり『本当の自分が知りたい』って望むのはフェイカー自身の気持ちだろ?」
「そんなわけ……。」
言いかけて初めて自覚した。この苦しみ、この願望はどこから来るものだ?確かに今までこんな人格破綻者の役を演じたことはなかったのだ。
「でも、そんな……。それじゃあ、僕はこれからも……。」
「いいじゃん。本心を迷う、それがフェイカーの自身のものってことで。あとはノリよ、ノリ。うぇい。」
最後に軽薄男子が顔を覗かせた。下手するとアシェルはまだフェイカーが本気で悩みを打ち明けたことにすら気づいていない可能性もある。
『あれ、今日のフェイカーは演技が冴えてるな』くらいの感覚かもしれない。
そう思うとフェイカーは歯がゆく、小っ恥ずかしくなったがこの気持ちについては断言できる。フェイカーの本心だ。
それからだ。フェイカーは自身の感覚のズレを苦しみとは思わなくなったのは。感覚の不協和音も今では優雅な演奏のように思えてくる。いくつもある中で自分の本心となるものをノリで選べばいいのだ。アシェルが教えてくれたように。
どれにしようか、迷っている心こそが自分だ。




