誘拐(2)
ノックの音で目が覚めた。
「ん……ここは?」
勉強部屋? ああ、そっか。私、ウィリアムに会いにここにきて、泣いて、そのまま眠ってしまったんだ。
「ちょっと汚れちゃった」
床に座り込み、椅子の座面に突っ伏して寝ていたせいで、殿下にもらったドレスが床の埃で汚れていた。しかもスカートがしわくちゃだ。鏡がないからわからないけれど、きっと、目も腫れていることだろう。
みっともない格好だ。でも仕方ない。ノックの音は続いている。
来た人に対応しないと……ところで今、何時なんだろう。
「どなたですか?」
目を擦りながらドアを開けると、見慣れない制服を着た男が立っていた。
「キラナ様、夜分に申し訳ありません」
ドアが強引に外へ引かれて、ドアノブを握っていた私は前につんのめった。
「な!」
廊下でたららを踏んでいると、あっという間に男と同じ制服を着た者たちに囲まれる。
赤地にダブルボタン。袖には縦に黒い一筋のライン。この制服は憲兵のものだ。
「こんな時間に憲兵が私に何の用ですか?」
ドレスを軽く整え、男を正面に見据えた。
背の高い男だった。男は私から十センチと離れていない位置に立ち、私を威嚇するように見下ろした。
「キラナ様の部屋から、先日、幽鬼が王城に召喚されたときに使われたと思われる依代が発見されました。あなたを地下牢に連行します」
「……な」
依代が、私の部屋から見つかった?
「全く身に覚えがありません。大体、私の部屋にあって、気が付かないわけが……」
「しかし、事実、依代はありました。侍女から見つけたと報告があったのです。そして」
男が黒塗りにされた短剣を掲げた。
「実際に見つかりました。言い逃れはできませんよ」
侍女って誰が……そのとき、私は視線を感じて、廊下に並ぶドアの方を見た。一つだけ薄くドアが開いている。中から私を見つめる瞳があった。ジニだ。
ジニを送ってくれた『後援者』は……そうだ。ユユツ卿だ。殿下が最初に挨拶しに行った人。元々は第四候補の乙女、ラクシャーサを支援していた。だから、ウィリアムはジニを私室には入れないように配置していたのだ。
完全にしてやられた。
「さらに、あなたにはユリア様誘拐の容疑がかけられています」
「ユリアは、部屋に戻っていないの?」
「迎賓館横の湖のほとりで、数人の来賓があなたとユリア様がそこで口論していたのを目撃しています。その後、ユリア様の行方は掴めていません」
ユリアがさらわれた。
アーカーシャの選定直前に……嫌な想像が頭をよぎった。これではまるでシルヴィア様がさらわれた事件と同じではないか。
「現在、依代の件も含め、キラナ様が第一候補の地位を得るために、ユリア様をおとしめたという方向で捜査が進んでおります」
なるほど。幽鬼の件は私の自作自演ってわけね。
憲兵の一人が私の両腕を後ろからねじり上げた。
「痛っ!」
「このようなことになってしまい、誠に残念です。どうか抵抗はしないでください。あなたのお立場が悪くなるだけですから」
私は男を睨め付けた。
「こんなことしなくても抵抗なんてしない。私は無実だもの。今すぐ手を離して!」
「それは私どもが判断することです。拘束を」
後ろ側に赤い光が見えた。私の両手首を縛るように赤い帯が巻き付く。拘束帯だ。憲兵にのみ使用が許されている法術で、物理的な方法では絶対に解けることがないという。
「連れて行け」
私の背中を憲兵の一人が小突いた。上体を前に倒されたまま、私は北棟にある地下牢へ連行されることになった。
途中、廊下でアリアとすれ違った。
唇が動く。だから、最初に警告したのに。
彼女は私を憐れむような目で見ていた。
地下牢は石造だった。地下にあるため、窓もなく、見える景色もない。殺風景な場所だった。
私は一番奥の牢に放り込まれた。見たところ、他の牢は全て空っぽで、今地下牢に閉じ込められているのは私だけのようだった。
牢の中には小さな寝台が一つのみ。排泄は見回りが来たときに申し出るよう言われた。環境は劣悪だった。とてもじゃないが、殿下の隣で挨拶していた人物が、証拠品が部屋にあったという理由だけで、入れられる場所とは思えなかった。
おそらく、誰かの思惑でここまでのことになっているはず。悲惨なことが起きたときは、今までだって、そうだったのだから。
明日の朝になれば取り調べが始まるという。
私は何もしていないのだから、捜査が進めば、きっと無実だってわかるはずだ。
ユリアは今ごろどうしているだろう。探しに行くこともできないなんて。
本当は今すぐ助けにいきたいのに!
「あ……」
この状況って、おかしくない?
頭に閃いた内容に愕然とした。でも、否定もできない。だって、そうだ。
もし、本当に私にユリア誘拐の容疑がかかっているというのなら、今すぐにでも取り調べをするべきなのに、地下牢へ入れるというのは変だ。
なぜなら、ユリアを全力で探す必要があるのだから。見つけるのが遅くなればなるほど、取り返しのつかないことになる可能性が上がる。私のことを早く取り調べなり、拷問なりするべきだ。
「どうして私を地下牢に入れる、なんてことをしたんだろう」
そもそも、さっきの憲兵のことを信用してよかったの?
せめて憲兵隊の隊長にユリア誘拐の容疑について、確認を取るべきだったんじゃ……
今までだってそうだった。
一部の人間を使って、それがさも全体の総意であるように見せる方法をアリア達は使う。
私が修行場で大火傷をしたときも、『茶会』で笑われたときもそうだった。
本当は全員が私を見限っていたわけじゃなかったし、バカにしていたわけでもなかった。でもそう見せることで、私を候補者として無力化しようとしていた。
今回は数人の憲兵を向かわせることで、私に複数の容疑がかかっていると見せかけ、地下牢に閉じ込めること自体が目的だったとしたら。
私は憲兵の顔に詳しくない。彼らが本当に憲兵だったのか、わからない。拘束帯は憲兵以外に使用が許されていないだけで、その術式自体は本に載っている。憲兵以外でも練習すれば使えるようになる人はいるはずだ。
「どうしよう、私、間違った……?」
私は簡単に捕まってはいけなかったのかもしれない。あのとき、抵抗しなきゃいけなかったのかもしれない。
誘拐されたとき、シルヴィア様の身に何があったのか、本当のところはわかっていない。でも、ユリアは? 貞操が奪われるようなことになってしまったら。
私の投獄が時間稼ぎの可能性だってある。ユリアがいなくなったことが事実なら……こんなところに呑気に入れられている間に取り返しのつかないことになってしまうかもしれない。
私は牢の鉄格子を叩いた。私の力程度じゃビクともしない。法術で身体強化しようとしてみたけれど、無駄だった。ここでは法術が使えないみたいだ。
「なんでもっと早く気がつかなかったの」
捕まる前に気づいていれば、助けにいけたかもしれないのに。
殿下はユリアの誘拐を知っているのだろうか。
「誰かー! 誰かいませんかー!」
声が廊下に虚しく響いた。見回りはどれくらいの頻度で来ているんだろう。
言っても無駄かもしれないけれど、何もしないわけにはいかない。
「誰かー!」
そのときだ。足音が廊下の奥から聞こえた。
それも一人じゃない。複数だ。何人かの人がこちらに向かっている。
私は廊下の奥に目を凝らした。五人いる。でも、なんだか様子が変だ。
着ている服が憲兵のものでも近衛兵のものでもない。もちろん、城の使用人に支給されているものでもない。全員、私服を着ている。それも平民のものだ。
変なのはそれだけじゃなかった。彼らは覆面をつけていた。頭から袋のようなものをすっぽりとかぶっている。目と口の位置だけ穴が空いている。体格から察するに、全員男性だ。
彼らはまっすぐにこちらに向かっていた。
そして、とうとう私の牢の前まで辿り着くと、無言で鍵を取り出し、牢の中へ入ってきた。
様子がおかしい。嫌な予感がした。私は思わず後退りした。
「あの、あなたたち、なんなんですか?」
返事はない。ただ、じりじりと私との間にある距離を彼らは詰める。
私はそのたびに後ろへ下がる。
「何しにきたんですか?」
やはり返事はない。
変な汗が背中に流れる。どう考えても味方でないことだけは明らかだ。
とうとう私の足が牢の奥に置いてある寝台に当たった。これ以上、後ろに下がることはできない。
無造作に彼らの一人が私の肩を突き飛ばした。
私は寝台に尻餅をついた。
それが合図になった。男の一人が私に馬乗りになり、他の三人が私の手足を拘束した。一人は私の両腕を頭の横に押さえつけ、右足に一人、左足に一人ついて寝台の上に固定した。
最後の一人がズボンのポケットからハサミを取り出した。
「何するの」
大きな裁断用の鋏だった。彼は私の足元にたち、そのハサミで私のドレスを切り始めた。
「やめて! これは殿下からいただいたドレスなのよ」
体を起こそうとしても男たちはびくともしなかった。
「やめて」
腰を使って体を捩ってみたけれど、同じだった。やはりびくともしない。
ハサミがドレスの裾を割いていく。何枚にも重なるスカートの布が切られてスカートとしての用を成さなくなっていく。
「もう! いい加減にしてよ!」
思いっきり叫んだそのときだった。馬乗りになっていた男が舌打ちをした。そして。
私のほおに拳が振り下ろされた。
「……っ!」
一瞬、衝撃で目に星が飛んだ。殴られた部分が熱くなる。口の中に血の味が広がる。全く手加減せず、思いっきり殴られたことがわかった。
私は自分の身に何が起きているかようやく悟った。
涙が一すじ、頬をつたっていく。
叫びたいのに声も出ない。恐怖が足元から迫り上がってくる。
体が自分のものではないみたいに動かなくなった。
「そうだ。そのまま大人しくしていろ。そうすれば、余計な怪我をせずにすむ」
私を殴った男が言った。
聞き覚えのない声だった。
嘘だと思いたかった。こんなところで貞操を失うなんて。
一度も経験したことないのに。
誰か……誰もくるわけない。
助けて……助けなんて来ない。ウィリアムももういない。
誰も私がこんな目にあっているなんて気づかない。
ハサミがドレスの下に履いていたペチコートを、最後の一枚を、割いた。
両足とそれに続くお腹が外気に触れてひやっとした。
馬乗りになっていた男が下の方に移動した。私の股の間に膝を立てた状態で立つと、下着にとうとう手をかけた。
私の中で何かが切れた。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あーーーーーーー!」
叫んだら、体が動くようになった。まるで金縛りが解けたみたいだった。
めちゃくちゃに手足を動かすと、急に動かれて意表をつかれたのか、押さえつける手の力が緩んだ。
その時、ピシュッと空気を素早く裂くような音がした。
「イッ!」
短い悲鳴と共に、私の体の上に馬乗りになっていた男の体が傾いだ。
空気を裂く音がさらに五発聞こえた。他の男たちも足や腹などそれぞれ別の部分を押さえてうずくまった。
わけがわからないけれどチャンスだ。
上に乗っていた男を押し退け、足を掴んでいた男の一人を蹴飛ばした。
牢の鍵は開けっぱなしだった。
私は廊下に出た。
すると誰かの手が私の手を握った。
「走って。手を握っている間、あなたの姿は見えなくなります」
女の人の声だった。手を引かれるままに私は走った。
ドレスを裂かれていたことで、走りやすかったのが皮肉だった。
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