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誘拐(1)

 ユリアを追って辿り着いた先は、迎賓館の裏手側にある湖のほとりだった。

 すでに日は傾き始めていて、木々は黒々とした影を落とし、水面は橙色に染まっている。

 ユリアは湖の淵にたたずんでいた。


「ユリア」


 私の声かけにユリアの肩が揺れた。


「どうして私を追ってきたりしたの? ダメじゃない。あなたは第一候補の乙女なんだから、会場にいないと」

「ユリアが心配で……」

「心配って、何がですか?」


 涙を拭いているのだろうか。ユリアの手が顔の位置で動いた。


「どう言えばいいか、わからないのだけれど……殿下を見つめる瞳がとても辛そうだったから」


 ユリアが私の方に振り向いた。私は彼女の顔を見て、息を飲んだ。

 拭ってあったけれど、目の周りには涙で濡れた跡が残っていた。

 それでもエメラルドの瞳には毅然とした光が宿っている。夕日の色と混じって見たこともない美しい色に染まっている。

 ユリアが自らを嘲笑する様に口元を歪ませた。


「気持ちを気取られる様じゃ、私も大したことがありませんね」

「ごめん、そんなつもりじゃ」


 ユリアが首を振った。


「こんな日が来ることは、そもそもわかっていたことです。殿下はただアーカーシャが選んだ誰かと結婚する。私の想いは、それまでのおままごとに過ぎません」

「おままごとって。でも、殿下だってユリアのことを」


 それがユリアと同じ気持ちか、と問われれば、違うかもしれない。多分、殿下は誰に対しても恋なんてしない。そんな経験もないかもしれない。それどころか誰にでも愛しているふりができる人だ。

 だけど、王妃にユリアを望んでいたことは本当だろう。それはきっと彼女の今までの努力の成果だ。


「だとしても!」


 ユリアが拳を握った。


「私たちはこの国のために生きる必要があります。私には、その誇りがある。この国を、世界を支えている一部であるという誇りが! それは殿下も同じです」


 堪えていたはずの涙が、いくつもの筋となって、ユリアのほおを伝った。


「この恋心に、意味なんてないのです……だから、私は大丈夫ですわ」


 涙に夕日の色が映る。泣いている姿すら、ユリアは美しかった。私はバカみたいにそれに見惚れていた。

 ユリアの唇が動く。


「でも、ごめんなさい。わかっているのに……今はあなたの顔を見たくないの。ごめんなさい」


 そして、ユリアの両手が私を後ろへ軽く押した。


「行って」

「ユリア……」


 次はもっと強く、拳で私の胸を叩いた。


「お願いだから、会場に戻って!」


 声がまるで悲鳴みたいだ。


「お願いよ……私を」


 俯いていてユリアの表情は見えない。涙の滴が二人のドレスに何粒も降り注いだ。


「……私をこれ以上、愚かな女にしないで」


 絞り出すようにユリアが言った。

 私がユリアのためにできることは、その場から去ることだけだった。




 空がすっかり暗くなった頃、私は自室に戻ってきた。

 会場へ戻った後は、ずっと、殿下と一緒に舞踏会の参加者たちへあいさつをした。

 あいさつをした中には、私の『後援者』もいた。

 直接会うのは初めての人ばかりだった。私が第一候補になれたのは彼らのおかげだ。礼儀作法が完璧だったかどうかはわからないけれど、精一杯礼を尽くしてきたつもりだ。

 それでも、心の中を占めるのは、ユリアのことだった。

 あいさつが終わるたびに会場を見回したけれど、あの後、ユリアが会場に戻ってくることはなかった。


「お帰りなさいませ、キラナ様」


 ドアの前で侍女の一人が待っていた。確か名前は、ジニ、だったっけ。

 年配の女性で、出身は確かメルバに近い国だったはずだ。長く伸ばした焦茶色の髪を後ろにまとめている。侍女の鑑のような雰囲気の人だった。でも、私の部屋の管理は任せていなかったと思うのだけれど。

 この人はどの『後援者』の人が送ってくれた侍女だったっけ。あとで名簿を確認しておこう。


「ありがとう、ジニ。待っていてくれたのね」

「今日は私が夜の当番ですので。これからいかがなさいますか? お湯の準備はできております。お夜食の準備もございますよ」

「どっちも結構です……待っていてくれたのにごめんなさい。一人にしてほしい」


 疲れ果てて、どちらもやる気になれなかった。


「かしこまりました」


 ジニは頭を下げると四つ離れた先の部屋へと入った。その部屋は夜にお世話をするために侍女が泊まる部屋として最近用意した部屋だ。

 私が部屋に帰って来たとき、今まで出迎えてくれたのは、ウィリアムだった。

 侍女なんて一人もいなかったから、夜はいつも二人きりだった。ウィリアムはそれを嫌がっていていたようだったし、夜九時までには東棟の外へ帰ったけれど、おかげで私は寂しくなかった。


「まだ、いるかな……『教師』は終わり、なんて言っていたけれど」


 いつもウィリアムがいたのは、隣の部屋だった。私の自室に彼が入ったのは最初の日と手紙を仕分けしてもらったとき以外、一度もなかった。私が乙女で、関係を疑われたら困るからだろう、と思う。

 そういう噂がたたないように、彼がかなり神経をつかっていることに、私は気がついていた。

 私は隣の部屋のドアをノックした。


「ウィリアム、いる?」


 返事はない。もういないのだろうか。


「入るね」


 ドアを開くと、朝までとは部屋の様子がガラリと変わっていた。

 本棚にあった本が減っている。私が王城の図書館から借りてきた本はあるみたいだけど……ウィリアムが持ってきたものは?


「これも、これも……私が借りて来た本だ」


 これも違う。これも!

 端から端まで本棚を確認した。全部確認して、わかった。

 ウィリアムが持って来た本は一冊として残っていなかった。


「本当に、行ってしまったのね」


 それもそうか、と納得した。

 そもそも今までだって、どうして彼が私にそこまで親切にしてくれたのかわからないのだから。私が離宮送りになろうとなるまいと、彼には全く関係がないわけで。むしろ、十星将と殿下から渡された仕事をしながら、さらに私の面倒まで見るのはオーバーワークだったはずだ。

 最近では、勉強をしていてもウィリアムに質問することは減っていた。もちろん、今だって知らないことばかりだけれども、半年前と違って、どういう種類の資料を探せば、自分が疑問に思っている部分の知識が得られるのか、わかるようになった。

 それがわかるようになれば、一応の学習指導は終わりだとウィリアムは言っていた。後は自分一人でも勉強を続けられるから。

 そして、私は彼が信じてくれたとおり、第一候補の乙女になった。

 私の周りには人が増えた。生活を助けてくれる人ができた。アリア達の嫌がらせから守ってくれる人たちができた。

 もう、彼がいなくても、私はこの王城で剣の乙女としてやっていけるのだ。

 手に持っていた本に水滴が一つ、二つと落ちた。


「あ……」


 私、泣いてるの?

 ポロポロと次から次に水滴がこぼれ落ちる。慌てて袖で水滴を拭った。借りて来た本だというのに、このままじゃ汚してしまう。

 けれども、涙は止まらない。


「なんで……」


 私は、第一候補の乙女になるという、自分の願いを叶えたのだ。

 それなのに、結局、それで得たものはなんだったのだろう。

 まず、ユリアのことを傷つけた。私はユリアが殿下のことを本気で愛していたなんて知らなかった。

 気付くための材料はあった。ユリアは、アーカーシャの選定まで自分の恋心を大切にするべきだと言った。あれはユリア自身のことだったのだ。

 彼女は第一候補の乙女で居続けることで、少しでも殿下の近くにいようとしたのだ。そのためにずっと、努力を続けてきた。今日の舞踏会は自分の努力如何で殿下に会える、最後の機会だった。舞踏会が終われば、殿下の隣はアーカーシャに決められてしまうのだから。

 でも、その機会は私が奪った。ウィルが誰だか知りたいという、理由で。

 そして、ウィリアムもいなくなった。彼がいなくなるのは必然だったけれど、もし、私が第一候補になったりしなければ、あと少しだけ、彼は私と一緒にいてくれたかもしれなかった。でも、もうその時間は取り戻せない。彼は私の前から消えてしまった。


「私は……」


 全然わかってなかった。ユリアの気持ちも、自分の気持ちですら。やっとわかった。

 私はウィリアムのことが好き、だったんだ。


「なんで、今頃、気付くの……」


 いつから好きになっていたんだろう。わからない。

 いいえ、違う。多分、最初から。初めて会ったときから気になっていた。

 手の甲にキスされたときには、もう好きだった。

 否定するしかなかったから自分の気持ちを見ないようにしてきたんだ。


「ウィリアム」


 一緒に勉強していたとき、彼がよく座っていた椅子にすがりついた。

 木でできた椅子の表面は冷たかった。座面に私の涙が溜まっていく。


「いなくならないでよ……私を一人にしないで。あと少しでいいから、私のそばにいて」


 毎日、ここにいたのに。昨日まで一緒に過ごしていたのに。

 自分のことが必要無くなったと判断したら、あっさりいなくなってしまった。

 別れのあいさつだってほとんどしなかった。

 今日の朝が最後になるだなんて、本気にしていなかった。

 もし、本当に最後だとわかっていたら、私は……


「ああ。でもダメね。告白なんて、できない」


 だって私は剣の乙女だから。

 アーカーシャに選ばれれば、殿下と結婚しなきゃいけない。リシになったとしても、殿下が決めた相手と結婚することになる。あの殿下のことだ。政治的に利用価値が高い人のところに結婚を利用してリシを送り込むだろう。

 私とウィリアムが一緒にいられる未来なんてないのだ。


「私も、もっと大切にすればよかったなあ」


 あんなに一緒だったのに。一刻一刻を丁寧に過ごせばよかった。

 そして、せめて本の一つくらいねだればよかった。私の、最後の恋の思い出として。


「う……。スン。うう……」


 涙は止まりそうにない。

 私は椅子にすがったまま、ただ泣き続けた。

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