虚亡の夜(3)
儀式の七日前、ウィリアムは竜に乗って出張先へと旅立った。
ミスラ連合に所属する将校や兵士も続々と王都をたち、練武場は使う人が減ったために一時閉鎖となった。人がいないうちに設備点検をするらしい。
私は一日中ユリアの部屋で過ごすようになった。
朝は、部屋までユリアの侍女が私を迎えにくる。ユリアと一緒に中庭で朝食をとり、修行に行き、昼も夕方も彼女の部屋で過ごした。夜になると彼女の侍女が部屋まで送ってくれた。
ここまで警戒しなくても、と言う私に、ユリアは、ウィリアムがいないことで狙われる可能性が高くなるからだと説明した。ユリアが言うには、彼が近くにいるというだけで、あらゆる意味で手を出しにくくなるらしい。災害級の被害を出すような異形を一人で討伐する十星将に恐怖を抱く人は多い。さらに殿下と仲が良いことも抑止力になる、と。
けれども、これだけ警戒しても、全く何も起こらない、というわけにはいかなかった。
それは儀式をあと三日に控えた夜にやってきた。
「あら、どうしましょう」
ここを曲がれば私の部屋、というところでユリアの侍女が声を上げた。
「どうしたの?」
「それが……外にシーツを干したままだったことを思い出しまして」
少し前から雨音が聞こえていた。窓の外を見ると、やっぱり。雨が降っている。
「部屋まであと少しだから、早く取り込みに行って。私は大丈夫」
「申し訳ありません……行ってまいります」
侍女を見送ったあと、角を曲がった。部屋のドアの前まで着いたときだ。
「やっと一人になったわね」
聞き覚えのある声に私は振り返った。
「アリア」
そこには腕を組んだアリアが立っていた。
「何の用?」
最近は何も言って来なくなっていたのに。
アリアは含みのある笑い声を立てながら、私の方へ近づいた。
薄暗い廊下に二人分の影が並ぶ。雨足が強くなってきた。雨が地面を弾く音が廊下に満ちている。
「今日はあなたに助け舟を出してあげようかと思って」
「助け舟?」
アリアに助けてもらうようなことなんて、何もないと思うけど。
「虚亡が終われば、アーカーシャの選定まで残すところあと一ヶ月……なのに、あなたにはまだ『後援者』が一人もいないのではなくって?」
「それで? まさか、アリアが私に『後援者』をつけてくれるとでもいうの?」
「その通りよ」
乙女の一存で『後援者』をつける、なんてことできるのだろうか。
アリアが面白がるような光を目に浮かべた。
「そもそも、どうしてあなたには一人も『後援者』がいないと思う?」
どういうことだろう。質問の意味がわからない。
「私が……乙女として力不足だから?」
耳障りに感じるほど大きな声でアリアが笑った。
「キラナは素直なのね。その様子だとウィリアム様も本当のところをあなたに教えていないようだし」
「何を? どういうことだかちゃんと説明してほしい」
ウィリアムが私に話していないことがあるなんて、どういうことだろう。
「『後援者』になる権利はミスラ連合に参加する国に一つずつ与えられている。それは知っているわよね?」
「なんとなく」
各国要人、とウィリアムは言っていたけれど、おそらくそういうことだろう、とは思っていた。
「つまりね。どんな乙女だったとしても一人は必ず『後援者』がつくものなのよ。母国が支援につくわ。だって、その乙女がリシになれば、少なくともその一人とは強いつながりができるんだもの」
ああ、そうか。つまり。
「私は母国にすら見捨てられている、とでも」
「そうよ。あなたの母国、メルバ共和国は私の『後援者』だもの。ではなぜそんなことになっているのか。あなたより何の縁も所縁もない私を選ぶ理由。それは、メルバ共和国が私たちについている側の『後援者』の国と同盟関係にあるからよ。メルバ共和国は政治的に弱い立場にある。だから、強い後ろ盾を得るために、より強い国の言いなりになっている。それが私たち側につく国なの」
ユリアはゆっくりと私の周りを歩き始めた。
「実際、最近のあなたはよくやっているわ。ついこの前王城に来たとは思えないほど。他の乙女より優っているとは言わないけれど、最低限のレベルはクリアしている。それでも、『後援者』がつくことはないでしょうね」
「あなた達側についている『後援者』が私に寝返ることはないから?」
メルバ共和国だけではないのだろう。『後援者』がユリア派とそれ以外の派閥に分かれていることはわかっていた。
アリアの言い方からすると、単純に『後援者』たちの選択の結果そうなったのではなく、後々の政治的力関係のために同盟を主幹している強い国が『後援者』をユリア以外の乙女に割り振っているのだ。少なくともユリア派以外の『後援者』については。
「正解よ。そして、ユリア様についている『後援者』があなたにつくことはない。彼らは彼らで先を見通してユリア様を支援している。単純に乙女としての将来性を見ている人もいるかもしれないけれど、そうであるならば、当然あなたを選ばない。資質でユリア様に勝てるなんて、あなただって思わないでしょ? 何人も王妃を輩出している家系ですもの。私たちとは立場が違うのよ」
アリアが私の背中側に周り、耳元で囁いた。
「あなたがいくらがんばったって、無駄なの。あなたの実力なんてどうでもいい。大事なのは王妃の持つ権限を得るのが、どの派閥になるのか。そこなのよ。ちなみに『後援者』のいない乙女がアーカーシャに選ばれた場合、殿下の子を産む役目はアーカーシャに選ばれた者に、対外的な王妃は第一候補の乙女になるそうよ」
「そう」
どこまでも胸糞悪い話だ。結局、王妃すら政治の道具でしかないのだ。当然に。
乙女の人間扱いされていないっぷりには吐き気がする。将来は聖女ってことにして、色々誤魔化しているようにしか思えない。
「ここまで権力争いが酷くなったのは、殿下のせいでもあるわ。殿下はミスラ連合の現状に気づいて若い才能を自分の周りに集めている。ウィリアム様もその一人よ。私たちのバックにいる国は恐れているの。殿下が戴冠したのち、現状の権力構造を変えられてしまうことをね。そのためには王妃の権限が必要なのよ」
「その国はどこ?」
「それは教えられないわ。仲間にならない限り。けれど、調べればわかるかもしれないわね。私たち乙女の母国のいずれか、とだけ言っておきましょうか」
なるほど。ユリアと私を除く四人の乙女の中に上下関係があるのは、バックについているという強国の影響があるのだ。その強国の生まれの乙女が彼女たちを支配している。
「それで? 私に何をさせようっていうの。まさか、ただで『後援者』をつけてくれるわけじゃないんでしょ?」
「話が早くて助かるわ」
アリアがガラスの小瓶を差し出した。
「これを虚亡の日までにユリア様の食事に盛りなさい。そうすれば仲間に入れてあげる。『後援者』もつけるわ」
「中身は?」
アリアが首を傾げた。
「それ聞くの? もちろん毒よ」
私はガラスの小瓶を見つめた。中には青い液体が入っていた。何の毒かはわからないけれど、命に関わるようなものに違いなかった。
ユリアがいなくなれば、邪魔者はいなくなるのだ。
「答えはノーよ」
果たして、アリアに私が何をしたか見えただろうか。
小瓶が真っ二つになって床に転がった。中の薬が床に広がった。絨毯に染みて、やがて色むらを残し、消えた。
アリアが私を睨みつけた。
「なんて事するの! 貴重な薬を」
「そのまま持たせてたら、ロクでもないことに使うと思って、二度と使えないようにした」
手を軽く振った。冷たい感覚はしない。素早く切ったために、薬が手につかずに済んだみたいだ。我ながらかっこいい。
「友達を売ってまで『後援者』なんていらない。必ず、実力で手に入れてみせる」
アリアがまるで呪い殺さんがばかりのものすごい形相で私を睨んだ。
「後悔、するわよ」
唸るような声だった。威嚇しているようでいながら、自身が何かに怯えているような、そんな色を含んでいた。
「これで終わりじゃない。虚亡の日、せめて用心することね」
それが捨て台詞だった。
彼女は足早に廊下の奥へ消えていった。
虚亡の日、夕日が窓から差し込むころに、私とユリアは彼女の部屋を出て、一緒に祈りの場へ向かった。
昨日の夜はお泊まり会ということにしてユリアの部屋で過ごした。朝から夕まで一時たりとも彼女の側を離れなかった。
ユリアに三日前のことは話していない。本当は話したほうがいいんだろうけど、暗殺を依頼されたなんて、流石に言いにくかった。
祈りの場の入り口には、私たちの他に二人の乙女が儀式を待っていた。ブルネットの髪の少女リンファと、亜麻色の髪の少女ラクシャーサだった。アリアと褐色の肌の少女セシリアは体調不良で欠席だった。
祈りの場は部屋の一番奥に祭壇がある、教会の礼拝堂のような造りになっていた。蝋燭がいくつも焚かれているものの薄暗い。目をこらせば、かろうじて中の様子を見ることができるくらいだった。
私たちが入場したとき、祈りの場にはすでに『後援者』の人々が参列していた。上位聖職者の後ろに各国要人、そして、寄付によって『後援者』となった人たちが続く。
私たちが祭壇の前に立ったののち、最後に国王様と王妃様、四人のリシ様が入り、祭壇の上に立つ。
日没を告げる鐘の音と同時に、祈りの儀式は始まった。
国王様の宣言の後に、まず王妃様が、その次にリシ様たちが順番に祝詞を捧げる。祝詞はまるで讃美歌のように祈りの場に響いた。リシ様たちは王妃様に向かって祝詞を歌っていた。おそらく、王妃様の中にあるというアーカーシャに向けて祈りを捧げているのだろう。
リシ様の祝詞が終われば、また王妃様へ。日が昇るまで順番に繰り返す。
祈りの場は、日が昇った瞬間、祭壇から朝日が差すように設計されているらしい。
アリアの捨て台詞は気になるものの、儀式は順調に進んでいるように見えた。
正直、退屈だった。あくびを噛み殺すので精一杯だ。早く朝日に登ってほしい。きっと祭壇から光が差す瞬間は綺麗だろう。やっと儀式が終わった解放感も追加されて、感動してしまうかもしれない。それは少し楽しみだ。
祝詞の繰り返しが十周目を超えた時だった。最初は気のせいかと思った。
観覧席の奥にある扉の方から、微かに嫌な感じがした。それは消えることなく、どんどん、嫌な感じが強くなっていく。緊張で眠気が飛んでいく。
他に気がついている人がいないか見回したけれど、祭壇近くにいる人は誰も反応していなかった。ユリアも表情ひとつ変わっていない。『後援者』の中に汗を拭いている人が何人かいる程度だ。
バンッと大きな音がして、とうとう『後援者』の人たちが後ろを振り返った。扉が開いていた。その奥には闇が蟠っている。
祝詞が止まる。全員が扉に注視したとき、闇の中から何かが飛び出した。人のような、猿のような形をしたそれは真っ直ぐに祭壇を目指してこちらへ向かってくる。異形だ。
殺気の狙う先がわかったときにはもう遅かった。
「ユリア、危ない!」
手を伸ばしたけれど、間に合わない。人型の手がユリアの胸元を引き裂いた。
「アアアアアッ!」
胸から血を吹き出し、ユリアが床に倒れた。私はユリアと人型の間に立った。
人型は全員黒く、影の塊ような姿をしていた。目の部分だけが赤く光っている。
前列に並ぶ聖職者が、血に触発されたのか、叫び声を上げる。乙女とリシたちも悲鳴を上げ、祭壇の後ろ側に逃げた。恐怖が会場全体に伝染していく。『後援者』の中には我先にと扉を目指して走り出すものが現れた。
人型は私から距離をとり、こちらを凝視している。
身動きが取れない。せめて武器になるものが欲しい。けれど、動いたら多分、襲われる。でも、このままじゃ、会場全体がパニックに陥ってしまう。早く、倒さなきゃ。
「アーカーシャよ!」
国王様が王妃様の胸に手を当て叫んだ。王妃様の首がガクッと後ろに垂れる。気絶したみたいだ。胸からは金色の光が溢れ、その中から何かが現れる。あれは……剣の柄?
「ヒギィヤァアアアア!」
人とも猿とも思えない声を出して、人型が壁際に飛んだ。そして、影の中に溶けるようにして消える。
「逃したか……」
国王様がつぶやいた。
外に出ようとする『後援者』を押し戻し、近衛兵が会場になだれ込む。
私はユリアの方を振り返った。胸から出る血は止まっていない。急いでドレスのスカートを引き裂いた。布を胸に通し、傷口を合わせるようにキツく縛った。その上に両手を当てる。
「アイシャ ソワカ ナーサティア」
傷口に沿うように緑色の光が溢れた。私ができる治癒術なんて、大したことない。
「早く、早くお医者さんを呼んで! ユリアが死んでしまう」
お願い、塞がって。
それだけを祈って力を流し込み続けた。
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