決意(2)
風の正体はウィリアムだった。
法術を使って加速していたから、あまりの速さに私が風と勘違いしたのだ。
私の部屋のドアを越えると、彼は部屋の中央に私を下ろした。
被っていた土色のフードを脱ぐ。人を射殺せそうなほどの暗紫色の眼差しと夜色の黒髪があらわになる。
安心したのも束の間、彼はすごい剣幕で私を怒鳴りつけた。
「どうしてあんなところに行ったんだ!」
「あんなところって……だって、ウィル様がいたから」
は、殿下? と言って、なおさら不機嫌そうに彼は言った。
「殿下がここにいるはずがない。剣の乙女がいる間、殿下が東棟に入ることは禁じられている」
「じゃあ、私が見た人影は……」
「別人だ! あるいはお前を誘き寄せるために誰かが仕組んだ」
「!」
「……クソが」
誰に対してというわけでもなく、ウィリアムが言い捨てた。そして、気持ちを落ち着けようとしているのか、部屋の中をぐるぐると歩き始めた。
私はベッドに腰掛けた。足がカタカタと震えた。未だに恐怖が抜けない。
あの異様な雰囲気。もし、薬を打たれていたら、私はどうなってしまったんだろう。どうして。
「どうして、こんなことばっかり起きるの? 私のことが余程邪魔みたい」
「……」
ウィリアムは何も答えなかった。
私はずっと気になっていたことをとうとう口にした。
「ねえ、離宮って何なの? アリアもあの聖職者のおじさんも私に離宮送りになるって言うけど、それってどういう意味? 私もさっきの屋敷で暮らすことになるっていうこと?」
ウィリアムは足を止めると、言いにくそうに口を開いた。
「離宮は、リシの適性がないと判断された剣の乙女が軟禁されている場所です」
気持ちが落ち着いたのだろうか、言葉遣いが敬語に戻っていた。
「リシの、適性?」
ウィリアムがうなずく。
「一つは剣の乙女の掟を破った場合です。例えば、先程キラナ様に注射器をむけていたアイリーンは覚醒剤所持者でした。覚醒剤や麻薬は掟で禁止されています。しかし、最も厳しいのは不貞に関するものです」
「不貞。つまり、ウィル様……殿下以外の人と」
「正しくは将来的に不貞が疑われる人物、ですね。剣の乙女として登城したあとに男女関係を結ぶことは禁止されています。例え、相手が殿下でも。貞操観念が弱いことは最も許されない。王妃になれば当然ですが、そうでなくとも、リシが自由に恋愛することは認められていません」
「そう、なの? 王妃に選ばれなくても、恋愛禁止なの?」
「国王に下賜された場合を除いて、リシは生涯独身です」
「そうなんだ……」
そんな先のことまで考えていなかったけれど。アーカーシャに選ばれなくても、もう、恋をすることはできないんだ。
「心配されずとも、大抵のリシはどなたかに下賜されますよ」
そういう問題じゃない。
「自分で結婚相手を選ぶことはできないんでしょ?」
「そうです。現在、離宮にはアイリーン以外にもう一人在籍していますが、彼女は彼女についていた教師と関係を持ち、離宮に入ることとなりました。ですが、アリア様が言っていたのは、おそらく『後援者』に関することです」
「まだ何か条件があるの?」
思っていたより非難がましい口調になってしまった。
ウィリアムは言いたくなさそうに一旦口を閉じた。余程言いにくい内容なのだろうか。
私は彼が口を開くのを待った。
やがて、彼は目を閉じてため息をついたあと、意を決したかのように言った。
「アーカーシャの選定が行われるまでに、一人も『後援者』がつかなかった場合です」
『後援者』といえば……『茶会』でのことを思い出した。リグ・ヴェータが何かと聞いた私を笑っていた人々。
「昼間のあの人たちから支持されなきゃ、離宮に閉じ込められるの?」
ウィリアムが少し眉を寄せた。
「そうです。『後援者』はミスラ連合に所属する各国の要人、上位の聖職者、そしてミスラ連合へ一定金額以上の寄付をした者で構成されています。そして、各々の判断で支持する乙女を決める。乙女の『茶会』は『後援者』にその判断材料を与える場でもあるのです。誰一人として『後援者』がつかなかった乙女は人望、人格、能力に欠けるとみなされ、離宮に送られます」
「あ!」
これで、今朝のウィリアムの言葉、アリアの台詞、聖職者のおじさんが言っていたことの意味、全てがつながった。
城に来たばかりの私には『後援者』が一人もいない。
昼間の会議を聞いた限り『茶会』の議題について行くには、高度な法に関する知識が必要だ。その中でもリグ・ヴェータについては必須級。リグ・ヴェータというのはヴァルナが定めし法のことだった。もちろんそんな知識、私にはない。当たり前だ。今まで普通の村人として生きて来たんだから。リグ・ヴェータなんて単語すら聞いたことなかった。
ミスラに選ばれたら、十歳までに登城することになっている。乙女の修行もリグ・ヴェータのことも、他の乙女は十歳よりもっと小さな頃から、何年もかけて勉強している。
ところが、私は十六歳で登城した。アーカーシャの選定は半年後。圧倒的に時間が足りない。修行もままならなければ、『茶会』の議題についていくこともできない。
つまり、私が新たに『後援者』を得ることはほぼ不可能。
結果、離宮送り決定。
「そんな……そんなのってないよ」
私はうつむいた。
「急に連れてこられただけなのに、もう王宮の端っこに閉じ込められることが決まってる、なんて。みんなそれをわかってる、なんて……いらないなら、せめて、家に返してよ」
ウィリアムがキッパリと言った。
「それはできません」
「なんで!」
「候補者としての素質があることは疑いようがありませんから。王妃に何かあった場合、再び同世代の剣の乙女の中からアーカーシャの鞘となる者が選ばれます。そのため、例えリシの適性なしと判断されたとしても、王宮から外に出すわけにはいかないのです」
だから、リシにすら自由に恋愛させないのか。もしかしたら王妃になるかもしれないから。それでも、聖女として一定の活動をさせるのは、ある程度信用できると認められた証ってことで。
「つまり、離宮っていうのは、自由にさせておくと世継ぎとか、そういうことに問題が起きるかもしれない人を閉じ込めておく場所ってこと?」
「その通りです」
「何よ……それ……」
『後援者』、離宮……リシ、剣の乙女。いくつかの言葉がグルグルと頭をめぐる。私は連れてこられたばかりで、リシになるための能力なんて欠けていて当たり前だった。それをよってたかってバカにして、離宮送りだと蔑んで。ウィルだか、殿下だかはこの期に及んでも姿を現さない。
プツっと頭のどこかが切れたような気がした。
フツフツと怒りが湧いてくる。
「なにが、剣の乙女よ。なにが『後援者』よ。みんなして、人を都合のいいように扱って」
体の芯が燃え上がるように熱くなっていく。涙がボロボロと頬をこぼれていく。
私はベッドから立ち上がった。
「いきなり資質がある、なんて言われて連れてこられたと思ったら、勝手な尺度で人を測って、能力が足りないから信用できないので離宮に閉じ込めますぅ? ふざけるな! 星が選んだとか、ヴァルナの意思なんて言っておいて、結局、『後援者』かなんだか知らないけど、人が決めた意味不明の人気投票で処分するなんて!」
ウィリアムは私が怒鳴っても、口を開かず、ただ私の方をじっと見ていた。
それになおさら腹が立った。
「それで? アンフェアな人気投票の結果の癖に、人望に欠ける? 人格が足りない? ぜーんぶ私のせいにするんだ。神への不敬はどっちよ! 神に選ばれてるんでしょ?! 私! そもそもホロスコープが間違っていたのが発端のくせに。ミスラ連合のせいじゃない! 私だって、私だってね。何もせずにこの歳まで生きていたわけじゃない。ちゃんと自分に与えられた役割をこなして、村に貢献して、生きてきたの! なのに、それを」
私はウィリアムの方へ歩み寄った。
ウィリアムのせいじゃない、わかってる。彼はなるべく私が困らないよう協力してくれた。わかってる。世話になっていることも、わかってる。
それでももう止められなかった。
私はウィリアムの胸ぐらを掴んだ。
「能力がないって、何よ。『茶会』なんて会議じゃなきゃ、私だってできることがあるのに。村では私が誰よりも強かったのに。いつでも命懸けで戦ってきたし、努力だってしてきたのに。信用できないって。私にだってできることがあるのに……」
ウィリアムはされるがままになっている。
私は胸ぐらを上に引いた。彼の顎が私と向き合うように上がる。
「私を役立たずにしたのは、あなたたちじゃない」
間近に暗紫色の瞳があった。彼は静かに私を見つめていた。
彼の瞳の中に涙でどろどろになった情けない顔の私が写っていた。
その像が急にぼやけた。
さっきの涙でぼやけたのとは違う。視界が暗転する。膝に力が入らない。頭が熱でくらくらする。
おい、とウィリアムの声が聞こえる。
私の意識はそこで途絶えた。
熱で、ふわふわする。
目を開こうとしたけれど、瞼が重くて動かない。
遠くで人の声がする。
「聖水による害……体の中を通る気の流れが……ぐちゃだ。なぜ、修行後すぐに……なかったのですか? ……当たり前ですよ」
誰だろう。聞いたことない声だ。
「知らん。だが……らしい。しかも……」
ああ、この声は……昔と違うけれど、ウィル? 二人で何か話している。
パタン、と扉が閉じる音。部屋が静かになる。秒針の音が響くくらいに。
もう、部屋に誰もいないの?
「ウィル。そこにいるの?」
衣擦れの音、微かに聞こえる息遣い。
「来て……くれたのね。私、ずっと待ってたんだよ、ウィルのこと」
必死で瞼を持ち上げた。でも焦点が定まらなくて、よく見えない。
ぼんやりと人影が見えるだけだ。
「ねえ、ウィルは殿下なの?」
人影は何も答えない。ああ、また眠くなってきた。
眠りに落ちる一瞬、これ以上関わるつもりはなかったのに、と聞こえたような気がした。




