リシの権能(2)
ところが、再会はすぐに訪れた。
次の日の朝、私はノックの音で目を覚ました。
あの後、結局、私の部屋には誰も来ていない。
それどころか、部屋が埃やら蜘蛛の巣やらであまりにも汚かったので、まず掃除をした。
キッチンやトイレ、シャワーは部屋についていたから、家事をする分には困らなかったけれど、食事についてはどうすればいいかわからなかった。
だから、夕食は抜きだ。
初日から散々な目にあった。
「さて、やっと誰か来てくれたのかな」
喜び勇んでドアの方へ向かう。朝ご飯は食べられそうだ。
「おはようございます。お待ちしておりました。お城のこと、私に教えてくれませんか?」
笑顔でドアを開けると、立っていたのはウィリアムだった。
「おはようございます。その服装は?」
返事をする前に、ウィリアムの表情が怪訝そうなものから、何かに思い当たったようなものに変わっていった。結局、彼は私の返事を待たずに
「申し訳ありませんが、部屋を確認させていただきます」
と言って、私を押し退けて部屋に入った。
「ちょ、ちょっと!」
私の静止なんてどこ吹く風。ウィルアムはひとしきり部屋の中を歩き回った。まだ掃除が終わっていないところもあるのに。
「荷物も来ていないようですね」
「そう、だけど」
ウィリアムがワードローブの前に立った。
「こちらを開けてもよろしいですか?」
「どうぞ」
両開きの扉を勢いよくウィリアムが開けた。
ワードローブの中はガランとしていて、何も入っていなかった。
「制服も届いていないのか……」
独り言のようにウィリアムがつぶやいた。タメ口に戻っている。
「うん。待ってたんだけど」
剣の乙女たちは同じ服を着ていた。ということは私にもあるはずで。けれども、部屋には用意されていなかった。
「侍女も来なかったんですね」
あ、今度はちゃんと敬語だ。
「うん。どうしていいか、わからなくて。ただ、部屋は少し掃除したよ」
「……」
ウィリアムが長いため息をついた。なんだか落ち込んでいるみたい。
私は彼の顔を下から覗き込んだ。
「大丈夫?」
「……『後援者』が一人もついていないとはいえ……まさかここまで酷いことになっているとは」
後援者。ウィリアムと関わってからというもの、聞くのは新しい単語ばっかりだ。
「後援者って?」
「簡単にいえば、剣の乙女を様々な方面で支援する人々のことです」
「ふうん?」
わかるようなわからないような説明だった。どう反応していいものかわからない。この様子だと、ウィリアムにとって今の私の状況は想定外だったみたいだ。
部屋は掃除されているはずだったし、侍女はもうすでに来ているはずだったし、私の荷物は届いているはずだった。多分、夕食も。
つまり、私は、城に勤めている使用人から完全に無視されていたのだ。
『後援者』っていう人がついていれば、違ったのかもしれないけれど。私にはいないらしい。
「服はそのままで構いません。食堂に案内します」
早足で歩きはじめた彼の背中を私は追った。
ウィリアムは城で働く使用人たちが使うという食堂に私を案内した。
その食堂は剣の乙女たちが暮らす東棟ではなく、北棟にあった。雰囲気は村の小料理屋と変わらない。ある程度雑然としていて、気安い。城の廊下を歩いている時よりずっと私の気持ちは落ち着いた。
トレーを持って配膳台の前に並ぶと、給仕の女性がウィリアムだけにではなく、私にもちゃんと食事をよそってくれた。
ここでは無視されないらしいことに私はホッとした。
「この食堂は城にいる者なら誰でも利用できる。これからはここを使ってください」
「わかった」
カトラリーをトレーに取ると、ウィリアムが私を振り返った。
「私は食堂の者と少し話をしてきます。先に食べていてもらってもいいですか?」
「うん」
彼は配膳台の奥にある調理場の方へ行ってしまった。
一緒に食べられると思ったのに、ちょっと寂しい。なるべく食堂の端のほうの席を選んで食事することにした。
パンを割ると、皮がパリッと焼けていて、小麦の甘い匂いがただよった。おいしそうだ。
一口分にちぎって、口に入れようとしたときだった。
「誰からも支持されていない乙女は下々に混じって食事しないといけないのね。なんて惨めなんでしょう」
聞き覚えのある声に顔を上げる。
気が強そうな雰囲気の少女が仁王立ちをして私を見下ろしていた。
長い赤銅色の髪を耳寄り低い位置で二つに結っている。目の端にとらえた髪の色と同じだった。昨日、弁えなさい、と私につぶやいた少女だ。
「しかも、自らの義務も果たさずに、食べるものだけ食べに来るなんて、はしたない。こういうのを役立たずって言うのよ」
食堂の中がさっきより騒がしい。みんな一様に彼女のことを見ていた。剣の乙女がなぜここに? という声がざわめきに混じって聞こえた。私は制服を着ていないから剣の乙女だとバレなかったのだろう。普通、剣の乙女はこの食堂を使わない、ということか。わざわざ私に嫌味を言うためにここまで来た、としたならば。ちょっと聞いてみよう。
「あなたは、私が使用人たちに無視されている理由について、何か知っているの?」
「勘が悪いわけじゃなさそうね」
彼女は私を挑発するように口の端を上げた。
「でも、残念。私たちは何もしていないわ。あれは当然の帰結よ。誰も離宮送りになるってわかっている乙女に関わりたくないだけ」
離宮? 義務? なんのこと?
口を開きかけたとき、男性の声が私たちの会話に割り込んだ。
「おはようございます、アリア様。珍しいですね、あなたがここに来るなんて」
「ウィリアム様……」
気圧されたようにアリアがつぶやいた。
男の声はウィリアムだった。いつもより声が引くすぎて、わからなかった。絶対零度を思わせる瞳でアリアのことを見ている。対してアリアの方は……恥ずかしがってる?
「少し通りかかりましたので。それでは、失礼します」
急にしおらしくなってアリアは食堂を出て行った。
ウィリアムが私の正面に座った。
「何か言われましたか?」
「自らの義務も果たさずにって」
なるほど、と言うと、ウィリアムは食事を始めた。
「食べ終わったら案内します。剣の乙女には必ず参加しなければならない日課がありますので」
長い一日になりそうだった。
朝食を終えて向かった先は、東棟の地下にある、神殿だった。
広い廊下と太い柱が続く場所と通り抜けると、教会のような建物が立っていた。屋根がある場所にさらに建物というのは、見るだけでなんだか不思議な感じがする。入り口に二人、白装束を着た女の人が立っていた。
「キラナ様ですね。お待ちしておりました。ご案内いたします」
今までの仕打ちから、まさか、丁寧に対応されるとは思っていなかった。
慌てて頭を下げる。
「よろしくお願いします」
建物に入る前にウィリアムの方を振り返ると、彼は入口の数メートル前に立っていた。
「私はこの中には入れません。なので、制服の件について片付けてきます。必ず迎えにきますので、先に終わったらここで待っていてください」
「わかった。行ってくるね」
軽く手を振って私は敷居を跨いだ。
足元がスースーする。こんな服、下着以外で着たことない。
女の人に着替えるようにと言って渡されたワンピースの端を下にキュッと引っ張りながら、儀式場と呼ばれる場所に一歩足を踏み入れた。
ワンピースの丈はとても短くて、やっと股まで隠れる程度だった。それでいて下着は身につけるなというのだから、着ているだけで恥ずかしい。
大股で歩くとめくれてしまいそうで、少しずつしか歩けないのに、案内の女の人は早足でズンズンと建物の奥へと進む。おかげで見失わないか不安だった。
儀式場は大きな吹き抜けの空間になっていて、中央には白いブロックで舗装された泉が有った。泉の上には大きな黄橙色の石が釣ってあり、そこからサラサラと泉に向かって水が流れている。
女の人が泉の前で足を止めると言った。
「こちらで水浴びをしていただきます」
「水浴び、ですか?」
そんなことしたら、このワンピース、透けちゃうんじゃ。
私は周りを見渡した。泉の前には私以外にも、案内してくれた女の人とは別に聖職者と思しき女の人が数人、そして、なぜか食堂で別れたはずのアリアとその侍女が立っていた。男の人はいないみたいだ。
案内の女の人が私の横についた。
「これはアーカーシャを受け入れる魂を作るための修行です。神の力への耐性をあげる効果があります。この泉の水は聖水です。剣の乙女だけが、この泉に入ることを許されています。初回ですので私が介助いたしましょう。さあ、つま先から泉に入って」
全員の視線が私に注がれているのを感じる。
足元で泉の水が光をキラキラと跳ね返しながら波打っている。ただの水のような見た目なのに、まるで、幽鬼が現れたときのような威圧感がある。
「……」
ゆっくりとつま先を泉に向ける。指が水面を割った。少しずつ足を入れる。片足が終われば次にもう片方を。
両方の足を入れたとき、ツキン、と体の中央に痛みが走った。
ジワジワと肌の表面が侵食されていくような感覚がする。なんか、これは、ヤバい。これ以上はダメだ。
「あの、これでいいですか? もう出ていいですか?」
焦って女の人を振り返ったけれど、女の人の返事は私を追い詰めるものにしかならなかった。
「まだです。全身に浴びなければ。中央まで行き、水を頭から浴びてください」
「それは、ちょっと」
「できませんか? では仕方がないですね」
そう言って、彼女は手に持っていた手桶で泉の水をすくった。
「私がかけてあげましょう」
「ちょっとまっ……」
言葉を言い終わる間もなかった。手桶の水が肩にかかった。たちまち水は滴り、私の全身を濡らした。同時に、燃えるような痛みが皮膚に走った。
「はぁ!」
あまりの痛みに膝をつきそうになるのを必死で堪えた。泉の中で膝をつけば、さらに体を濡らすことになる。足を引きずり、なんとか泉の縁を跨いで、床に倒れ込んだ。
「あああああ……」
肌が、焼ける。水が当たった場所が赤く腫れている。涙が目に浮かんだ。白い服は心配していた通り透けていたし、スカートは短いから、もしかしたら、色々丸見えになっていたかもしれないけれど、そんなことを気にしている余裕はもはやなかった。
「お願い。助けて……」
「できません。耐えて頂かなくては。アーカーシャに選ばれれば、こんなものではすみませんよ」
なにそれ。それならせめて、全員消えて欲しかった。なんで、私が苦しんで這いつくばっているところを、大勢で見るの?
キャハハハハと嬌声が横から聞こえた。アリアの声だ。
「無様ね。アーカーシャの選定に絶対間に合わないじゃない!」
「うう……」
「あら、唸ることしかできないの? かわいそうね。さっきまで生意気な口を聞いていたのに」
行きましょう、とアリアが侍女に声をかける。
笑いさざめきながら、彼女たちは出ていった。それに聖職者の人たちも続いた。誰もアリアの物言いを諌めようとはしなかった。ただ、冷たい目で私を見下ろしていただけだった。まるで、私を辱めるためだけに立っていたみたいに。
最後に案内の女の人だけが残った。
「更衣室にはシャワーがありますが、聖水を洗い流してはいけませんよ。それでは今日の修行はこれで終わりです。お疲れ様でした」
倒れたままの私を放って、彼女も部屋から出ていった。




