第98話 寄り道オーダーメイド
加工屋へ装備を預けた翌週、五人は狩造ダンジョンに来ていた。
「やっぱり水辺って、まだ夏みたいだね」
施設を出たばかりだというのに、佳奈子は袖口で額を軽く押さえた。湿った風が葦原を渡り、遠くの浅瀬で光が揺れている。九月に入っても、日差しの下に立っているとまだ十分に暑かった。
「ここ、前に来たときも暑かったよね。でも今日はあっちを歩きたい」
みつみが指した先では、水路の向こうに半分沈んだ石造物がいくつか並んでいた。近くには倒木が一本掛かり、その手前に細い飛び石が続いている。
「いきなりあそこ? 足場、結構悪そうだけど」
千尋が水際へ寄り、地面を覗き込む。
「今日は急いでゴールへ行くわけじゃないし。向こう側、何があるか見たくない?」
「見るのはいいけど、私は濡れたくない」
佳奈子は靴の先で乾いた土を確かめた。
「この前みたいに泥が付いたら、帰ってから洗うの面倒なんだよね。もうちょっと歩けば、浅いところから回れそうじゃない?」
絵美里も周囲を見てから頷いた。今日はいつものタワーシールドではなく、施設で借りた代わりの盾を持っている。自分のものは加工屋へ預けたままだ。
「この倒木を渡る必要はありませんね。先の葦が薄いところまで行けば、足場も見えそうです」
「じゃあ遠回りしよう。どうせ今日は遊びに来たんだし」
千尋はあっさり進路を変えた。
「千尋が言うと、遠回りも普通の遊びに聞こえるわね」
志帆が笑う。彼女も新しく注文したフレイルはまだ手元になく、以前から使っているメイスを借りていた。手首には変わらず、お気に入りの黒銀のバングルが光っている。
「私は飛び石もちょっとやりたかったけどね」
「帰りにまだ元気だったらね」
佳奈子がそう答えると、みつみはすぐに笑った。
「じゃあ帰りもここ通ろう」
「元気だったら、って言ったでしょ」
五人は笑いながら、葦原に沿って歩き始めた。
◇
狩造の水辺は、少し離れただけで景色が変わる。
幅のある浅瀬が続いたと思えば、すぐ脇には底の見えない水路が走っている。地面だと思った場所が柔らかく沈み、乾いた草の陰から急に水面が現れることもあった。遠くの石造物はずっと見えているのに、そこへ真っすぐ行けないのが、このダンジョンの面白いところだ。
「こっちの方が近くない?」
みつみが細い通り道を見つけ、葦をかき分けかけた。
「待って。その先、地面が続いてない」
少し前に出た千尋が、草の切れ目を指す。覗くと、茶色い水が足元のすぐ先まで来ていた。
「あ、ほんとだ。全然分かんなかった」
「草の色と似てるからね。私もちょっと近づくまで気づかなかった」
「そこが面白いのよね。地図だけでは足元までは分からないし、実際に来ないと選べない道がある」
志帆はしばらく水面を眺めてから、細い棒を見つけた。先端で草の陰をつつくと、水を含んだ土が崩れて小さな泡が上がる。
「うわ。そこ踏んでたら完全に濡れてた」
佳奈子が一歩引いた。
「だから、こっちにしようって言ったじゃん」
「今の場所と、さっきの場所は別でしょう」
「結果的には乾いた方が勝ってる」
「勝ち負けなの?」
千尋が笑いながら別の足場を探す。彼女も今日は自分のバックラーではなく借り物を腕に付けていた。形は似ていても、内側のベルトを締めたときの感触が違うらしく、歩きながら一度だけ位置を直す。
「千尋、それ気になる?」
絵美里の視線に気づき、千尋は腕を上げた。
「うん、ちょっと。借り物だから文句はないけど、やっぱり自分のに慣れちゃってるんだね。これだと腕を曲げたとき、端っこが当たる」
「私のも、構える位置が少し違います。今日は無理に前へ出すぎない方がよさそうですね」
「それでも来るんだ?」
佳奈子が尋ねると、絵美里は不思議そうに顔を上げた。
「盾が違うからって、ダンジョンへ行きたくなくなるわけではありませんし。むしろ、普段の装備のどこに慣れていたのか分かるのは面白いです」
「あ、それは分かる。いつもと違うとこ、結構気づくよね」
千尋が笑う。
みつみは二人の腕を見比べたあと、自分の頭を触った。預けたとんがり帽子はまだ戻っていない。
「私も帽子ないと、なんか変。別に歩くのには困らないんだけど」
「目印が減った感じはするわね」
「私の目印?」
「遠くからでも、みつみだと分かるもの」
志帆が言うと、みつみは妙に嬉しそうな顔をした。
「じゃあ早く戻ってきてほしいな」
そのとき、前方の葦が一度だけ大きく揺れた。
千尋の足が止まる。
「何かいる」
言い終えるより先に、浅瀬から水しぶきが上がった。大きなカエル型のモンスター、リードフロッグが葦を押しのけて跳び出してきたのだ。
「そっち来る!」
絵美里が盾を前へ出す。跳びかかったリードフロッグがぶつかり、鈍い音とともに水が飛んだ。絵美里は一歩だけ足を引いたものの、盾を立て直して前を塞ぐ。
「このまま受けます。足元、滑るので気をつけてください!」
「了解!」
千尋は横へ回り、相手が着地したところへ踏み込んだ。《黒月》の黒い刃が斜めに走り、リードフロッグの身体がぐらりと傾く。
しかし倒れず、今度は低く身を沈めた。
「千尋、跳ぶ!」
佳奈子の声に、千尋がすぐ後ろへ退く。跳躍した相手は剣先をかわしたが、横から飛んだ《マジックボール》が脇腹をかすめ、着地したところで体勢を崩した。
「こっちなら当てられる!」
みつみが杖を構え直す。着地して向きを変えたリードフロッグへ、佳奈子の矢が横から突き刺さった。続けて千尋が間合いを詰め、もう一度《黒月》を振るう。
リードフロッグは水際へ崩れるように落ち、そのまま消えた。
「ふう。跳ぶの分かってても、あの距離だと速いね」
千尋が刃先を確かめる横で、絵美里は借りた盾のベルトを締め直していた。
「受け止められはしましたけど、やっぱりいつもの盾とは違います。腕に当たるところも少しずれました」
「加工頼んどいてよかったね」
みつみが言うと、絵美里が頷いた。
「ええ。でも今の攻撃なら、この盾でも十分でした。場所と相手を選べば使えますね」
「新しいのが来るまでは、そんな感じでいいんじゃない?」
千尋も剣を収める。
「今日はシャドウウルフと戦う日じゃないし」
志帆は足元を見て、小さく息をついた。
「それより、ここ。さっきから水が靴のすぐ横まで来ているのよ。ここで休憩するのは落ち着かないから、もう少し先へ行きましょう」
「賛成。水が跳ねて靴下まで濡れたら、帰りが最悪」
佳奈子はすでに乾いた道の方を向いていた。
◇
葦原を抜けた先には、少し高くなった土手があった。
足元の水が見えなくなると、佳奈子はほっとしたように鞄を下ろす。五人で腰を落ち着け、持ってきた飲み物やお菓子を取り出した。そこからなら、先ほど目指していた石造物がよく見えた。
「だいぶ近づいたよね」
みつみが菓子の袋を開けながら言う。
「近づいたけど、行くにはもう一回、水路を越えないといけないわね」
志帆が目を細めた。石造物の周りをゆっくり流れる水は浅く見えるが、途中で色が変わっている。
「今日はあそこまで行かなくてもいいんじゃない?」
佳奈子は飲み物を一口飲み、靴についた乾いた泥を指で払った。
「私、こうやって座って眺めてるのも結構好き。わざわざ水の中に入るほどじゃないし」
「私はちょっと行きたいな。でもあっちまで行くと、戻るのも時間かかりそう」
千尋が時計を見る。
「じゃあさ、次に来たらあの石のとこからスタートしようよ。今日こっち側までは来たんだし、行けそうな道も分かったから」
「それ、いいかも」
みつみは菓子を一つ口へ放り込んでから、石造物へ視線を戻した。
行けるところまで歩くつもりで来たのに、目の前の景色が気に入ったせいか、今は少し止まっていたかった。風が吹くたびに葦の穂が揺れ、細い葉が触れ合ってさらさらと音を立てる。水面には遠くの雲が映り、近くで虫が鳴いていた。
「そういえば、装備ができたら次はすぐ美部谷?」
佳奈子が聞く。
「私は行きたい。でも、完成品を受け取ってから決めてもいいかな。ちゃんと使えるか確認したいし」
千尋が答える。
「私は弓、最初からいきなり本番で使うのはちょっと嫌だな。弓が変わったら、矢の感じも違いそうだし」
「それなら、次のダンジョンで慣らす時間を取ればいいと思います。美部谷だって、入口からすぐボス部屋ではありませんから」
絵美里が言うと、佳奈子は少し考えて頷いた。
「そっか。じゃあ、普通に撃ちながら慣れてけばいいのか」
「私もフレイルを振ってみたいわ。もちろん、使い慣れているメイスも持っていくけど」
「志帆、それ絶対早く使いたいやつでしょ」
「ええ。作ってもらう前から楽しみだったもの」
志帆はあっさり認めた。
「でも、今日は今日で来てよかったわ。何か新しいことをしなくても、水辺を歩くのはやっぱり面白いものね」
「ダンジョンに来てる時点で、普通の休日よりは結構変なことしてると思うけど」
佳奈子の言葉に、千尋が笑った。
「まあ、うちらの普通ってそんなもんでしょ」
五人はもうしばらく水辺を眺め、帰りは来た道を戻った。飛び石のところへ着いたとき、みつみが一度だけ足を止めたが、佳奈子が先に「帰るよ」と歩き始めると、今日は素直についていった。
◇
加工屋から完成の連絡が届いたのは、それから数日後のことだった。
放課後、五人で店へ入ると、作業台の奥に見覚えのある盾が二つ並んでいた。その隣には、細長い包みと黒い革製品、それから大きさの割に部品の多い弓が置かれている。
「あ、できてる!」
みつみが最初に声を上げる。
「ちょっと待って。順番に確認してもらいますからね」
店員が笑いながら、千尋のバックラーを手渡した。
千尋は早速腕へ通し、何度か肘を曲げ伸ばしする。新しく入れた薄い緩衝材が腕に沿い、以前少しだけ引っ掛かっていた端の当たりが変わっていた。
「……あ、これいい。前よりちゃんと腕についてくる感じがする」
「当て革とベルトの位置を合わせています。受けたときの衝撃が全部消えるわけではありませんが、ずれにくくはなったと思いますよ」
「十分。早く使ってみたいな」
そう言って腕を振った千尋の隣で、絵美里は自分のタワーシールドを持ち上げた。こちらは見た目こそほとんど同じだが、内側の金具と革が新しくなっている。
「握る位置が少し変わりましたね」
「前に教えてもらった構えに合わせました。強く押されるとき、腕がずれにくい方を優先しています」
絵美里は盾を身体の前へ立て、重心を移してみる。
「……これなら向きも変えられます。ありがとうございます」
「二人とも、見た目あんまり変わらないんだね」
佳奈子が言うと、千尋が笑った。
「そこがいいんだよ。私、元のバックラーも気に入ってるし」
「私も、この盾を使い続けたいので」
絵美里も頷いた。
次に店員が細長い包みを開くと、志帆が一歩近づいた。
短い柄の先に鎖がつながり、その先端には黒銀色の打撃部がある。鍛造鋼の表面に組み込まれた小さな突起の一つには、持ち込んだスパインスターのトゲが使われていた。
「……いい」
志帆は思わずそれだけ言って、店員からフレイルを受け取った。柄の握り心地を確かめ、鎖が落ち着くように打撃部を片手で支える。
「思っていたより、ちゃんと重いわね。でも、この長さなら……」
「実際に振ると、打撃部は柄から遅れて動きます。最初は周囲に人がいないところで試してください。狭い場所では無理に使わない方がいいですよ」
「はい。まずは動かし方から慣れます」
志帆は真面目に答えたが、その目はフレイルから離れなかった。
胸当ても試着してみる。黒い厚手の革に落ち着いた色の金具が付き、肩と脇のベルトで身体に合わせられる作りだった。腕を前へ出し、軽く身体をひねってから、志帆は鏡の前で立ち止まる。
「……こっちも、すごくいい」
「志帆、顔がもうダンジョンにいるときのやつ」
みつみが笑った。
「まだ外よ」
志帆は答えながら、鏡へもう一度目を向けた。
「分かってるわ。でも、これを着けて歩くところまではもう想像できるもの」
「気に入ったならよかったですね」
絵美里が言うと、志帆は小さく頷いてから、自分のバングルもそっと確かめた。手首の黒銀と、新しい胸当ての金具が似た色で揃っている。
「うん。思っていた通り」
続いて佳奈子が受け取ったのは、小型のコンパウンドボウだった。
レンタル弓より全長は短いが、上下のカムとケーブルの分、手に取ると少し重い。握りの部分には、尾洗町産の流木を加工した木材が使われていた。
「おお……短い。ちゃんと私の弓だ」
佳奈子は持ち手に指を添え、弓をそっと持ち上げた。
「重さは覚悟してたけど、こうやって持つと意外と大丈夫かも。いや、長く使ったら分かんないけど」
「カムの調整は注文いただいた範囲で合わせてあります。引き始めには力が必要ですが、引き切ったところでは保持しやすくなっています。取り回しや矢をつがえる動作も、今までよりしやすいはずです。最初は射場で感触を確かめてください。空撃ちはしないでくださいね」
「はい。そこはちゃんと気をつけます」
佳奈子は弦には触れず、弓の向きを変えて眺めた。
「この持ち手、やっぱりいいな。見本より木目がはっきりしてる」
「それ、尾洗町のだっけ?」
みつみが隣から覗く。
「そう。自分で拾ったわけじゃないけど、行ったことある場所の木っていうのがなんかいいじゃん」
佳奈子はそう言って、小さく笑った。
最後にみつみへ渡されたのは、見慣れたとんがり帽子だった。
「……あれ? 何も変わってない?」
受け取った帽子をくるりと回しても、飾りもリボンも以前のまま。店員が内側の帯を指すと、そこに小さな黒紫晶が目立たないよう留められていた。
「あ、ここか!」
「外見は変えずに取り付けてあります。この黒紫晶は、魔法を使うときの消費をわずかに抑える性質がある個体です。実際の違いはダンジョンの中で確かめてください」
みつみは帽子をかぶり、鏡を覗いた。
「見た目そのままだ!」
「そのままにしたかったんでしょう?」
志帆が横から笑う。
「うん。でも中だけ違う。なんか秘密の改造って感じ」
「魔法使いっぽいですね」
絵美里が言うと、みつみは振り向いた。
「でしょ!」
五人はそれぞれの装備をもう一度確認し、店員に礼を言って店を出た。買ったばかりのもの、前から使っていたものを調整したもの、見た目は変わらないもの。袋や預かり証の扱いまで違っていて、帰り道の話題も自然に別々になった。
「私、次はこのバックラーで一回受けてみたい」
「私は弓を先に慣らしたいかな。いきなり強い相手に撃つのは、ちょっと落ち着かないし」
「私も。フレイルは練習が必要だわ。あの形で狙ったところに当てられるか、ちゃんと確かめたいもの」
「私のは、使ってみないと分かんないや。でも早く魔法撃ってみたい」
絵美里も、袋に収めた盾の内側をもう一度見た。新しい当て革の手触りを確かめたあと、隣を歩く千尋へ顔を向ける。
「次に使うときが楽しみです。でも、その前に日程を決めないといけませんね」
「じゃあ、帰りながら決めよっか」
千尋が頷くと、みつみは早速顔を上げた。
「じゃあ、美部谷?」
「もう行く気なんだ」
佳奈子が笑った。
「だって準備できたじゃん」
「そうね。あとは、いつ行くかを決めるだけ」
志帆がそう言って、フレイルの入った包みを少し持ち直した。
新しく作ったものも、前から使っていたものもある。加工を待つ間に水辺で遊んで、今日は手元へ戻った装備の話をしている。
五人は歩きながらスマートフォンの予定表を開き、次に美部谷へ行けそうな日を探し始めた。




