第94話 流れ流れて
佳奈子が前に友達と行ったという、隣町の市民プール。
夏休みの午後、施設へ着いたみつみは、入口の前で足を止めた。
「……混んでる」
「夏休みだからね」
千尋が、受付へ続く列の先を見る。
家族連れが多い。小学生くらいの子どもを連れた人たちに混じって、中高生らしいグループも何組か並んでいた。
入口横の案内板には、二十五メートルプール、遊泳プール、流水プール、ウォータースライダー。
みつみの視線が最後の一つで止まる。
「佳奈子、スライダーあるって言ってた?」
「聞いてない」
「私も聞いてないわね」
志帆まで案内図を見る。
「普通の市民プールって言ってましたよね」
絵美里が言う。
「市民プールではあるけど」
「私、もっと泳ぐだけのところ想像してた」
みつみはウォータースライダーの絵を指した。
「これ滑ろ」
「まず入ろうよ」
千尋が笑う。
受付の列はなかなか進まなかった。
四人で少しずつ前へ動きながら、日陰の向こうに見えるプールを眺める。
流水プールには、浮き輪に身体を預けて流れている人がびっしりいた。ウォータースライダーにも、階段の下まで列が伸びている。
「スライダーも混んでる」
みつみが言う。
「一回は滑りたいけど、何回も並ぶのは嫌かも」
千尋が列を見る。
「とりあえず入ってからね」
ようやく受付を済ませ、四人は更衣室へ向かった。
今日はみつみ、千尋、志帆、絵美里の四人。
佳奈子は少し前にここへ来たばかりで、今日は別の予定もあるらしい。誘ったときも、「私はこの前行ったから、みんなで行ってきて」と普通に断っていた。
着替えを終えてプール側へ出ると、四人の水着は見事にばらばらだった。
みつみは明るい水色のタンキニに、同系色のショートパンツ。小柄なみつみにはよく似合っていて、そのまま走り回れそうな格好だった。
千尋は黒のスポーツビキニ。飾りの少ないシンプルなもので、健康的に締まった千尋が着ると、いかにも動きやすそうに見える。
志帆は黒地に深い紫のラインが入ったハイネックのビキニだった。
「志帆、それ絶対色で選んだでしょ」
「何か問題でも?」
「ないけど。めっちゃ志帆っぽい」
すっと立っているだけで妙に様になるのも、いつもの志帆だった。
最後に出てきた絵美里は、濃い青のハイウエストビキニ。白いラインだけが入った、すっきりしたデザインだった。
みつみが絵美里を見る。
「……エミリン、スタイルいいね」
「急に何ですか」
「いや、水着になると分かるなって」
四人の中でも一番背が高い絵美里は、制服姿のときより全身のバランスの良さが目立っていた。細すぎるわけではなく、肩まわりもしっかりしているので、シンプルな水着がよく似合う。
千尋も絵美里を見る。
「確かに。こうして並ぶと背高いね」
「先輩たち、そんなに見ないでください」
「褒めてるだけだよ」
「分かってますけど、二人で見ないでください」
絵美里が少し居心地悪そうに言う。
志帆が小さく笑った。
「みつみ、そろそろその辺にしてあげなさい」
「はーい」
「志帆先輩も笑ってるじゃないですか」
「私は見ていただけよ」
「それが今一番信用できません」
今度は千尋が吹き出した。
それから四人で荷物を持ったまま、プールサイドを歩く。
すぐに泳ぎ始めるわけにはいかなかった。
「空いてないね」
みつみが周囲を見る。
屋根のある休憩スペースはかなり埋まっている。
レジャーシートを広げた家族やグループが並び、完全に空いている場所はほとんどなかった。
「向こう、少し空いてない?」
千尋が指す。
四人で行ってみると、屋根の端にちょうど荷物を置ける程度の場所が残っていた。
「ここにしよ」
「四人なら十分ね」
志帆も頷く。
シートを敷き、バッグと飲み物、タオルを置く。
「先に場所取らないと駄目なんだ」
絵美里が周囲を見る。
「これでも取れてよかったんじゃない?」
千尋が言う。
「あと十分遅かったら無かったかも」
「市民プール、思ってたより本気だね」
「何の本気ですか?」
「夏休みの」
「意味分かりません」
絵美里が笑った。
◇
浮き輪へ空気を入れてから、四人は流水プールへ向かった。
プールへ入る前から人が多い。
水へ入ると、そのまま流れに乗せられるように前へ進んだ。
「おお」
みつみが浮き輪へ身体を預ける。
「何もしなくていい」
「それが流れるプールだからね」
千尋も隣で浮いている。
最初は四人で近くにいたが、人の間を流れているうちに自然に位置がずれた。
みつみと千尋が前へ出て、その後ろに志帆と絵美里。
カーブを一つ曲がったところで、今度は絵美里が千尋の隣まで流れてきた。
「結構速いですね」
「場所によって違うね」
「何もしなくても抜かしました」
「誰と競ってるの?」
「競ってませんよ」
絵美里はそのまま流されていく。
少し後ろでは、みつみが志帆の浮き輪へ手を伸ばしていた。
「志帆、待って」
「何?」
「離れる」
「流されてるんだから仕方ないでしょう」
みつみが浮き輪の端をつかむ。
「これでいい」
「私まで引っ張らないでよ」
「引っ張ってない。ついてってる」
「それを引っ張ってるっていうの」
二人の横を、千尋と絵美里が先に流れていった。
「先行くよ」
「あとで会うでしょ」
みつみが返す。
実際、一周するころにはまた四人が近くにいた。
そのまま上がる者はいない。
「もう一周?」
千尋が聞く。
「うん」
「私も」
志帆もそのまま流れへ戻る。
二周目。
三周目。
最初のうちは周囲を見たり、話したりしていたが、そのうち四人とも浮き輪へ身体を預ける時間の方が長くなった。
人が多いので、四人がずっと固まって流れるわけでもない。
離れて、また近づく。
二人ずつになることもあれば、一人だけ少し前へ流されることもある。
それでも誰かが待つことはなかった。
一周すれば、だいたいまた会う。
「これ、ずっといられる」
みつみが浮き輪に顎を乗せた。
「分かる」
千尋も同じように流されている。
「でも日焼けしそうね」
志帆が腕を見る。
「休憩する?」
「もう一周したら」
「結局もう一周するんだ」
絵美里が笑った。
◇
四人で日陰へ戻ったのは、それからしばらくしてからだった。
タオルを肩へ掛け、飲み物を出す。
「涼しい」
みつみがシートへ座った。
「さっきまで水の中だったでしょう」
「日陰の涼しさは別」
「今日そればっかりね」
千尋も隣へ座る。
志帆は髪の水気をタオルで押さえ、絵美里はスマートフォンを確認していた。
四人とも、しばらく何もしなかった。
すぐ近くを子どもが走っていき、少し離れたところからウォータースライダーへ並ぶ列が見える。
みつみがそちらを見た。
「スライダー行く?」
千尋も列を見る。
「さっきより増えてない?」
「増えてる」
「結構並びそうね」
志帆も眺める。
みつみは少し考えた。
「でも一回は滑りたい」
「それは滑りたい」
千尋が立ち上がった。
「じゃ、一回だけ滑る?」
「私は行きます」
絵美里もスマートフォンをしまう。
三人が志帆を見る。
「分かったわよ。行くわ」
四人で列へ向かった。
◇
近くまで行ってみると、見た目以上に並んでいた。
「長いね」
みつみが列の最後尾を見る。
「戻る?」
千尋が聞く。
みつみはウォータースライダーを見上げた。
「いや。一回は滑る」
「私もそれでいいです」
絵美里が後ろへ並ぶ。
結局、四人でそのまま待つことにした。
列は少しずつしか進まない。
最初の数分は上を見たり、滑ってくる人を眺めたりしていたが、そのうち誰も気にしなくなった。
「そういえば志帆、昨日どうだった?」
千尋が聞いた。
「昨日?」
「骨橋。新しいスキル試しに行ったんでしょ」
「ああ。使えたわよ」
志帆が答える。
「思ってたよりは動けた。ただ、自分だと分からないところがあったから、絵美里ちゃんに見てもらったけど」
「へえ」
みつみが絵美里を見る。
「エミリン、何したの?」
「見てただけですよ」
「それで分かるの?」
「志帆先輩が、自分で分からないところを教えてほしいって言ったので」
「今度見せて」
「何を?」
「殴るヒーラー」
「その呼び方やめなさい」
「みつみ先輩、前もそれ言ってましたよ」
四人で話しているうちに、列は思っていたより進んでいた。
やがて順番が来る。
千尋、絵美里、志帆、みつみ。
一人ずつ滑る。
下で待っていた千尋たちのところへ、最後のみつみが大きな水しぶきを上げて落ちてきた。
顔を出す。
「楽しい!」
「それは分かった」
千尋が笑う。
みつみはすぐにウォータースライダーの入口を見る。
「もう一回――」
言いかけて、階段の下まで伸びている列を見る。
「……流れるプール戻ろ」
「判断早いですね」
「またあれ並ぶのはいい」
「私も」
志帆が髪を整えながら頷く。
「一回で十分だわ」
「楽しくなかった?」
「楽しかったけど、待ち時間込みでもう一回は別問題でしょう」
「分かる」
千尋も同意する。
四人はそのまま流水プールへ戻った。
◇
午後の大半は、結局そこで過ごした。
浮き輪へ身体を預けて何周か流される。
疲れたら上がる。
日陰へ戻って飲み物を飲む。
スマートフォンを見る。
少し喋る。
誰かが暑くなってくると、また水へ戻る。
「入る?」
「入る」
それだけで、また四人で立ち上がった。
次に流水プールへ入ったときは、千尋と絵美里が先に流れていった。
みつみは志帆の隣。
その次の周では、みつみと絵美里が近くなり、千尋は少し前。
志帆は一人で後ろから流れてくる。
「志帆ー」
みつみが振り返る。
「聞こえてるわよ」
「遅いよ」
「何もしてないもの」
「それでいいの?」
「流れるプールでしょう?」
「正しい」
みつみも再び浮き輪へ身体を預けた。
そのまま流れていれば、カーブの先でまた四人が近くなる。
何をするか決めなくても時間は過ぎた。
◇
もう一度休憩スペースへ戻ったころには、四人とも最初より長く座っていた。
みつみはタオルを肩へ掛けたまま、スマートフォンを触っている。
千尋は飲み物を片手に、流水プールをぼんやり眺めていた。
志帆も隣で座り、絵美里は少し離れたところで髪を乾かしている。
「スライダー、もう一回滑る?」
みつみが聞いた。
誰もすぐには立たなかった。
千尋が列を見る。
「まだ並んでるよ」
「さっきより長いかも」
絵美里も見る。
「私は流れるプールでいいです」
「私も」
志帆が言う。
みつみは少しだけ考えてから、スマートフォンをしまった。
「じゃ、流れる方」
「結局そこに戻るんだ」
「楽だから」
「最初からそれでよかったんじゃない?」
千尋が笑った。
「スライダーも一回滑れたからいいの」
四人はまた立ち上がった。
◇
着替えを済ませて建物を出るころには、日差しが少しだけ傾いていた。
「疲れた」
みつみが言う。
「ほとんど浮いてただけなのにね」
千尋が返す。
「浮いてても疲れるよ」
「スライダー並んだし」
志帆も歩きながら髪を整える。
絵美里は一度、後ろの施設を振り返った。
「普通の市民プールって聞いてたので、もっと何もないと思ってました」
「私も」
みつみがスマートフォンを取り出す。
「佳奈子に言お」
グループチャットを開き、短く送る。
『スライダーあるじゃん』
少しして既読がついた。
『あるよ』
「知ってた!」
みつみが画面を三人へ見せる。
続けて佳奈子から届く。
『普通の市民プールって言ったじゃん』
「佳奈子の普通には入ってるらしい」
千尋が笑う。
みつみが返す。
『先に言ってよ』
『聞かれてないし』
「強いですね、佳奈子先輩」
絵美里が笑った。
その下へ、みつみはもう一つ送る。
『普通に楽しかった』
今度の返事は早かった。
『でしょ』
「やっぱり勝ち誇ってる」
「最初に教えた人だからね」
千尋が言う。
「また来てもいいかも」
「次は佳奈子も来るかな」
みつみが聞く。
「そのとき予定が合って、本人が来たければ来るでしょう」
志帆が答える。
「そっか」
みつみはそれで納得してスマートフォンをしまった。
四人はそのまま、駅へ向かって歩き始めた。
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