第93話 メイスワールド
夏休みの午前、骨橋ダンジョンの施設へ向かう道で、志帆は隣を歩く絵美里を見た。
「本当に来るとは思わなかったわ」
「昨日、私も行きますって言いましたよね」
「言ってたけど。別に護衛が欲しかったわけじゃないのよ?」
「分かってます」
昨夜、志帆がダン活部のグループチャットに、明日は骨橋へ行くと書き込んだ。目的も一緒に、《フィジカルブースト》と《フォースブロウ》を試したい、と。
その直後に返ってきたのが、絵美里の「私も行きます」だった。
「だから、なんで?」
志帆が改めて聞くと、絵美里は少しだけ考えてから答えた。
「見たいので。志帆先輩が、その二つをどう使うのか」
「それだけ?」
「それじゃ駄目ですか?」
「駄目じゃないけど」
志帆は前を向いた。
「じゃあ、付き合ってもらおうかしら」
「最初からそのつもりです」
骨橋ダンジョンへ来るのは、二人とも初めてではない。
受付や入場の手続きをいつものように済ませ、装備を整えて中へ入る。少し湿った空気と凹凸のある岩壁、その先へ続く薄暗い洞窟は、志帆にとって見慣れた景色だった。
今日は五人ではなく、二人だけだ。
前を急ぐ必要も、誰かを待つ必要もない。志帆と絵美里は並んで歩き、曲がり角が近づけば自然に少し速度を落とした。
「先に《フィジカルブースト》だけ使って、どのくらい動きが変わるか見たいの。そのあとメイスを合わせて、《フォースブロウ》までつなげる」
志帆は歩きながら、自分のメイスを軽く持ち直した。
「説明を読んだ感じだと、《フォースブロウ》だけなら難しくないと思うのよ。至近距離まで入ればいいんだから。でも《フィジカルブースト》を使うと、普段と距離の詰まり方が変わるでしょう?」
「十秒だけ身体能力が上がるんですよね」
「僅かに、だけどね。そこが逆に面倒なの。急に別人みたいに速くなるなら最初からそういうつもりで動くけど、ちょっとだけ違う方が、いつもの感覚がずれそうでしょ」
絵美里は何か言いかけたが、口を閉じた。
「何?」
「いえ。先に見た方が早いと思ったので」
「そうね。今日はそのために来たんだし」
しばらく進んだ先で、曲がり角の向こうから低い唸り声がして、二人の足が止まった。
岩壁の陰から現れたのは、一匹のゴブリンだった。前傾姿勢の小さな身体を揺らし、牙を剥いてこちらへ向きを変える。
「ちょうどいいわね」
志帆がメイスを構える。
絵美里も反射的に盾へ手をかけたが、すぐに一歩下がった。
「手は出しません」
「お願い。まずは一人でやってみる」
ゴブリンが地面を蹴る。
志帆は息を一つ吐いた。
「十秒だけ、鎖を外すわ――《フィジカルブースト》」
発動した瞬間、身体が少し軽くなった。普段より速く前へ出られる。それは分かる。けれど、何歩も先へ瞬間移動するような変化ではない。
ゴブリンが爪を振り上げるより先に、志帆は間合いへ踏み込んだ。
「っ!」
思ったより距離が詰まった。
メイスを横から振る。先端がゴブリンの肩口へ当たり、獣じみた身体が横へぶれた。
志帆はそのまま距離を詰める。
「《フォースブロウ》!」
至近距離で魔力が叩き込まれ、ゴブリンの身体が大きく後ろへ弾かれる。
「おお……」
思わず声が出た。
だが、志帆自身も前へ流れていた。
メイスを振った勢いと踏み込みが残り、フォースブロウを放ったあとで一度足を踏み直す。その間に、倒れなかったゴブリンが姿勢を戻した。
「来ます!」
「分かってる!」
再び飛びかかってきたゴブリンを、今度は余裕を持って避ける。
志帆は振り向きざまにメイスを打ち込み、もう一撃を加えた。ゴブリンが消える。
静かになった洞窟で、志帆はしばらくその場に立っていた。
「……できる」
メイスを持ったまま、さっき踏み込んだ距離を目で測る。
「《フィジカルブースト》も、思ったより普通に動けた。《フォースブロウ》もちゃんと崩せる。でも、何か違うのよね」
絵美里は黙って待っている。
志帆は同じ場所で一歩踏み込み、メイスを振る動作だけを繰り返した。
「近づきすぎたのかしら。最初の一歩が速かった気もするし、メイスを振ったあとに身体が残ってた気もする。フォースブロウを撃つタイミングも、もう少し早くてよかったような……」
もう一度、今度はゆっくり踏み込む。
自分の足は見える。メイスの軌道もある程度は分かる。
けれど、実際に敵へ向かって動いているとき、自分の上半身がどれだけ傾いているのか、足と腕がどの瞬間にずれているのかまでは分からない。
志帆はメイスを下ろした。
「絵美里ちゃん」
「はい」
「次は、少しちゃんと見ていてくれる?」
絵美里が瞬きをする。
「足と、上半身。たぶんどこかで崩れてるんだけど、自分だと分からないところがあるの」
「分かりました」
絵美里は短く頷き、理由を聞き返すことも、直し方を口にすることもしなかった。
二人は次のゴブリンを探して、また洞窟を歩き始めた。
少し進んだところで、志帆がメイスを肩に軽く乗せる。
「こういうとき、訓練用の人形でも置いてあれば楽なんだけど」
「それだと向こうから動いてくれませんよ」
「分かってるわよ。だからゴブリンを探してるんでしょう」
「でも、志帆先輩。さっき楽しそうでした」
「新しいスキルよ? 楽しいに決まってるでしょう」
即答してから、志帆は少しだけ口元を緩めた。
「ヒーラーなのに、近距離なのはどうかと思うけど」
「嫌なんですか?」
「まさか」
志帆はメイスを握り直す。
「むしろ、だから試したくなるのよ」
次のゴブリンは、その少し先で見つかった。
今度は絵美里が正面ではなく、志帆の斜め後ろへ位置を取る。
「そこから見える?」
「足も肩も見えます」
「じゃあお願い」
ゴブリンがこちらへ気づき、牙を見せた。
志帆も構える。
「《フィジカルブースト》」
今度は余計な台詞を挟まない。
一度目と同じ感覚を確かめるように、志帆は前へ出た。
ゴブリンが飛びかかる。
半歩ずらしてかわし、そのままメイスを振る。鈍い音とともにゴブリンの身体が傾いたところへ、さらに距離を詰める。
「《フォースブロウ》!」
魔力の一撃を受け、ゴブリンが後ろへ弾かれる。
志帆は追いかけようとして、一瞬足が止まった。
それでも一度目よりは早く動き直し、起き上がったゴブリンへメイスを振り下ろす。
数度の攻防のあと、ゴブリンが消えた。
「今のは?」
志帆が振り返る。
絵美里はすぐには答えず、さっき志帆が動いた場所を目で追った。
「最初に踏み込んだあと、上半身が少し前へ流れてました。メイスが当たったときも、まだ前に進んでます」
「やっぱり」
「あと、《フォースブロウ》が当たったあと、一回止まってます。ゴブリンが離れたのを見てから、追うかどうか決めてる感じでした」
「そこか」
志帆は自分の足元を見る。
「私はフォースブロウを撃つ前ばかり気にしてた。でも、ノックバックするなら、当てたあとの距離も変わるのよね」
「そう見えました」
「じゃあ、一歩目を少し短くして、メイスで全部詰めない。フォースブロウを当てるところまでで一回にすれば……」
志帆は途中で黙り、頭の中で動きを組み直すようにメイスを振った。
絵美里は横から見ているだけだった。
「もう一回やる」
「はい」
二人はさらに奥へ進んだ。
次のゴブリンが見つかるまでの間、志帆は何度か空いている場所で足を運んだ。絵美里は求められない限り何も言わず、たまに周囲を確認している。
「そういえば」
志帆がふと思い出したように口を開く。
「《フォースブロウ》って、名前がそのまますぎるのよね」
「今ですか?」
「今だからよ。使ってみると余計に思うの」
メイスの柄を指で軽く叩く。
「神聖語というものがあれば、単音節で詠唱するのだけれど」
「ないんですか?」
「ないわね」
「じゃあ、フォースブロウでいいんじゃないですか」
「身も蓋もないわね、絵美里ちゃん」
「分かりやすいです」
「そういう問題じゃないのよ」
志帆が笑ったところで前方から足音が聞こえ、二人の会話が止まった。
三匹目のゴブリンが、岩壁の向こうから姿を現した。
志帆がメイスを下ろす。
「じゃあ、今度こそ」
絵美里は少し離れ、全身が見える位置へ移った。
「見てます」
「お願い」
ゴブリンが駆けてくる。
「《フィジカルブースト》」
志帆も前へ出た。
一歩目を小さくする。
さっきより距離を残したまま、ゴブリンの爪を外へかわす。そこで初めてもう一歩入り、メイスを横から打ち込んだ。
ゴブリンの身体が揺れる。
志帆は前へ流れず、足を止めた。そこは《フォースブロウ》が届く至近距離だ。
「《フォースブロウ》!」
魔力が叩き込まれ、ゴブリンが大きく体勢を崩したまま後ろへ弾かれた。
今度は、志帆も止まらない。
相手が離れることを最初から分かったうえで一歩だけ追い、起き直す前にメイスを振る。
ゴブリンが消えた。
志帆はそのまま数秒動かず、自分の足の位置を見た。
「……今のは分かった」
「さっきより、前に流れてませんでした。フォースブロウのあとも止まってないです」
「うん。自分でも分かったわ」
志帆はメイスを持ち上げ、少しだけ満足そうに眺める。
「思っていたよりは動ける。これなら、近くまで来られたときに一歩入るくらいはできそう。でも、前でずっと戦えるほどじゃないわね。十秒だけだし、フォースブロウも倒すための威力じゃないもの」
絵美里が頷く。
「私もそう見えました」
「ヒーラーやめて前衛になる気もないしね。でも、近くまで来られたときに、今までよりやれることは増える。それが分かっただけで十分」
「もう一回やります?」
「やる」
返事が早すぎたのか、絵美里が少し笑った。
「十分って言ったばかりですよ」
「分かったから、もう一回やるの。今度は今の動きを再現できるか確かめたいでしょう?」
「やっぱりやるんですね」
「付き合うって言ったのは絵美里ちゃんよ」
「はい。付き合います」
二人はまた洞窟の奥へ歩き出した。
次に現れたゴブリンでは、志帆が同じ動きをもう一度試した。完全に同じとはいかなかったが、一度目のように身体が前へ流れることはなかった。
その次の曲がり角でまたゴブリンを見つけると、今度は絵美里が先に足を止めた。
「志帆先輩」
「何?」
「次、私が戦っていいですか?」
志帆は少し意外そうに絵美里を見る。
「見に来たんじゃなかったの?」
「見たかったのは本当です。でも、せっかくダンジョンまで来たのに、ずっと見てるだけなのも嫌です」
「それもそうね」
志帆は一歩下がり、メイスを持ったまま笑った。
「じゃあ今度は私が見てる」
「別に見なくていいです」
「見るわよ。せっかくだもの」
絵美里が盾を構えながら、少しだけ口元を緩めた。
その後もしばらく、二人は骨橋を歩いた。
いつもの洞窟で、いつものゴブリンを相手にしただけだった。それでも志帆にとっては、新しいスキルを実際の動きへ変える時間になった。
帰るころには、最初に考えていた動きとは少し違う形になっていた。
ダンジョンを出たあと、志帆は施設の休憩スペースで水筒を開けた。
「今日はありがと。来てくれて助かったわ」
絵美里も隣で飲み物を口にする。
「私が来たかったので」
「ああ、そうだったわね」
志帆は一度頷き、少し考えてから続けた。
「じゃあ、また何か変なのを覚えたら見てもらおうかしら」
「変なの前提なんですか?」
「ヒーラーなのに近距離スキルが来たんだから、次も何が来るか分からないでしょう」
「そのときは見ます」
「頼むわ」
志帆はそう言って、もう一口水を飲んだ。
春休みの4人を描いた短編を公開しています。
ダンジョンへ行く目的は、攻略でもレベル上げでもなく――お花見。
▼短編はこちら
女子高生4人、春休みにダンジョンへ花見に行く。
https://ncode.syosetu.com/n5580mv/




