第89話 あと少しだけ
東骨橋駅で待ち合わせた四人が美部谷駅に着くと、改札を出たところから人の多さが違った。
駅前には大きな建物がいくつも並び、通りの両側には服や雑貨の店、飲食店の看板が途切れず続いている。少し離れたところには、地下へ降りる入口を示すダンジョンの案内も見えた。
「地下都市、あっち?」
みつみが案内へ顔を向ける。
「入口は駅の地下です。施設もそっちですね」
絵美里が答え、そのまま歩き出しかけたところで、みつみの足が別方向へ止まった。
「あ、待って。あそこ見たい」
指した先は、通りに面した服屋だった。店頭のラックに夏物が並び、その奥にはバッグや帽子も見える。
絵美里がダンジョンの案内とみつみを見比べる。
「先にダンジョンでは?」
「まだ午前だし、ちょっとだけ」
「その『ちょっとだけ』、信用していいんですか?」
「たぶん」
千尋が笑いながら、みつみの方へ向きを変えた。
「まあ、時間はあるし。見るくらいならいいんじゃない?」
「私は賛成。あの店、奥に小物もありそう」
志帆まで乗ったので、絵美里は一度だけ地下への案内を振り返り、三人についてきた。
店に入って十分もしないうちに、四人はばらけていた。
みつみは入口近くにあった帽子を順番に被り、鏡を見るたびにすぐ別のものへ手を伸ばしている。千尋は少し離れた棚で薄手の上着を見ていて、志帆は黒と銀を基調にしたアクセサリーの前から動かない。
絵美里は最初こそ三人の後ろをついていたが、やがて自分でも近くのラックを眺め始めた。
「これ、千尋に似合いそう」
みつみが黒いキャップを持ってくると、千尋は受け取って鏡の前で被った。
「普通じゃない?」
「普通に似合いそうってこと」
「それ、褒めてる?」
「褒めてるよ」
志帆もアクセサリーの棚から顔を上げる。
「形は合ってると思う。もう少しつばが短くてもよさそうだけど」
「買わないよ? ちょっと被っただけだから」
「まだ誰も買えとは言ってないでしょう」
千尋は鏡を一度見ただけで帽子を戻した。
みつみはすでに隣のバッグへ興味を移している。
絵美里がその様子を見てから、スマートフォンで時間を確認した。
「……本当に見るだけなんですね?」
「まだ一軒目だよ」
「その返しだと増えるじゃないですか」
結局、服屋を出たあとも一軒で終わらなかった。
通りを歩けば、みつみがショーウィンドウを覗き、志帆が気になる雑貨を見つけ、千尋も面白そうなら普通についていく。絵美里も最初のうちは「入口はあちらですよ」と何度か言っていたが、三軒目を出る頃には言わなくなっていた。
昼が近くなると、今度は食べ物の匂いに足が止まる。
「先に食べない?」
千尋が聞くと、絵美里も今度は迷わず頷いた。
「それは賛成です。中へ入ってから昼食にするより、先に済ませた方がいいと思います」
「そこは効率なんだ」
「お腹が空いたまま入る理由がないので」
四人は駅から少し離れた店へ入り、昼食を取った。
食べ終わってもすぐには席を立たなかった。みつみがメニューのデザート欄を見つけたからだった。
「これ食べたい」
「さっき昼ごはん食べ終わったところだけど」
「デザートは別」
「みつみ先輩、それ夏祭りのときも似たようなこと言ってませんでした?」
「言ったっけ」
「かき氷、食べてましたよね」
「それは別」
絵美里が呆れた顔をすると、千尋が笑いをこらえながらメニューを覗き込んだ。
結局、みつみだけではなく志帆と絵美里も小さなデザートを頼み、千尋は飲み物を追加した。
届いたものを食べながら話しているうちに、みつみが店の外へ視線を止めた。
「あれ」
「何?」
「前に会った人たちじゃない?」
千尋も振り返り、通りを歩く四人組を見る。
一人がこちらに気づき、少し驚いた顔で足を止めた。
「あれ? 前に虎ヶ崎で会った子たち?」
「やっぱりそうだ」
店を出たところで合流すると、向こうの四人もすぐ思い出したらしい。
「あれ? 前も四人だったよね?」
大学生の一人が、絵美里へ視線を向けた。
「この子は新しく入った一年生だよ」
みつみが絵美里を示す。
「久央絵美里です」
絵美里も軽く頭を下げた。
「虎ヶ崎のときにいたもう一人は、今日は別の予定で来てないんです」
志帆が続ける。
向こうの一人が、店と駅の方を見比べた。
「美部谷来たってことは、これから入るの?」
「その予定」
千尋が答えると、大学生たちも同じ方向を指した。
「私たちもこれから。じゃあ中で会うかもね」
「会ったらよろしく」
それだけ話すと、大学生たちは駅の地下へ向かって歩いていった。
みつみはその背中を見送り、店の前からダンジョンの案内がある方を見る。
「そろそろ行く?」
「そうですね」
絵美里が頷く。
けれど、四人が歩き出して数分もしないうちに、今度は志帆が足を止めた。
「待って。あそこ、ちょっと見たい」
「志帆先輩まで」
「見るだけよ」
「今日それ何回目ですか?」
「私は一回目でしょう?」
店は文具と雑貨を一緒に扱っていて、入口から色の違うノートやペン、小さなポーチやキーホルダーが見えていた。
中へ入ると、みつみはすぐ奥へ行き、志帆も目的の棚を見つけてそちらへ向かう。千尋は入口近くのペンを何本か試し書きしていた。
絵美里は少し遅れて店内を歩き、ノートが並ぶ棚の前で足を止めた。
同じ大きさのノートでも、表紙の色や紙の質感が少しずつ違う。絵美里は一冊を手に取り、開いて中を確認してから戻した。隣の一冊も手に取る。
「エミリン、何見てるの? ノート?」
いつの間にか戻ってきたみつみが、隣から棚を覗いた。
「はい。今使ってるのがまだあるので、買うつもりはなかったんですけど……これはちょっといいですね。紙も書きやすそうですし、表紙も好きです」
絵美里は濃い青の表紙を指でなぞり、また中を開いた。
「じゃあ欲しいんじゃん」
「欲しいと、必要は別です。今のがなくなってからでもいいですし」
「でもずっと見てる」
「ずっとってほどでは――」
言いながら、絵美里は棚へ戻したはずのノートをもう一度手に取った。
みつみはそれを見て笑う。
「エミリン、まだ見たいんでしょ?」
絵美里は答えずに表紙を見たあと、少しだけ口元を緩めた。
「……もう少しだけなら」
「じゃあ見よ。これもよくない?」
みつみはノートを買う予定もないのに、隣の棚から別の一冊を持ってきた。
絵美里は受け取って中を開く。
「それは罫線が太すぎます。表紙はいいですけど、使うならさっきの方ですね」
「そこちゃんと見るんだ」
「ノートなんだから見ますよ」
二人で比べているところへ、千尋がスマートフォンを片手に戻ってきた。
「どうする? 今から入る?」
みつみではなく、四人全員へ向けた聞き方だった。
絵美里は時間を見て、それから棚へ視線を戻した。
「今からでも入れますけど……もう少しだけなら、こっち見てからでもいいです」
「じゃ、そうしよっか」
千尋はそれ以上決めず、スマートフォンをしまった。
その「もう少し」が、一回では終わらなかった。
文具店を出たあと、みつみが気になっていた店へ寄り、次は通りの端に出ていた期間限定の売り場を覗いた。絵美里も途中からは入口の方向を気にしなくなり、誰かが足を止めれば一緒に見て、自分から別の棚へ寄ることもあった。
気づけば、思っていたよりずっと時間が過ぎていた。
千尋がスマートフォンで時刻を確認し、駅の地下へ続く入口と三人を交互に見る。
「今から入っても、ちょっと見て出るだけになりそうだけど」
「それなら今日はやめとく?」
みつみが聞く。
絵美里はすぐには答えず、さっきまで見ていた店の方へ一度だけ視線を戻した。
「……そうですね。中級者向けに入って、時間だけ気にしながら歩くのも違いますし」
「じゃあ次こそダンジョンね」
志帆が言う。
「次は最初に入ります」
「ほんとに?」
「みつみ先輩が途中で止まらなければ」
「今日エミリンも止まってたじゃん」
みつみに返され、絵美里は少しだけ黙った。
「……否定はしません」
千尋が吹き出し、志帆も笑う。
四人はそのまま駅へ向かった。
地下へ降りる途中、美部谷ダンジョンの案内がまた目に入る。
絵美里はそれを見上げた。
「……結局、入りませんでしたね」
「美部谷には来たよ」
みつみが答える。
「街の方だけですけど」
「エミリンも結構見てたじゃん」
絵美里は一度みつみを見て、それからさっき歩いてきた通りを振り返った。
「……次は先に入ります」
そう言いながらも、口元には少し笑みが残っていた。
四人はダンジョンの入口を横目に、そのまま改札へ向かった。




