第86話 武装海遊団
夏休みに入って最初の週末。
尾洗町ダンジョンの砂浜へ出たところで、みつみは海へ向かって両腕を上げた。
「海ー!」
「入口入ったときにも言ってなかった?」
隣を歩いていた千尋が笑う。
「だって、ちゃんと目の前に来たらまた海じゃん!」
「何回来ても海は海でしょ」
佳奈子はそう言いながら、砂の上へ大きめのバッグを下ろした。中からレジャーシートを引っ張り出し、風でめくれないよう四隅に荷物を置いていく。
前にここへ来たときも、同じ海を見た。
あのときは海岸線の先へ何があるのかが気になって、砂浜は通っていく場所だった。今日は違う。五人が来たかったのは、その先ではなく目の前の海だ。
「早く入ろ」
佳奈子がシートの上へサンダルを脱ぐ。
三人とも、いつものダンジョン装備ではない。
みつみは明るい色のラッシュガードにショートパンツ型の水着。千尋は黒を基調にしたシンプルな水着に薄手のパーカーを羽織り、佳奈子は淡い色の水着の上から大きめのTシャツを着ている。
一方、最初に浜へ残る志帆と絵美里は、いつものダンジョン装備のままだった。
海で遊ぶ三人と、荷物を見ながら周囲を警戒する二人。交代するときは、先に遊んだ三人が装備へ戻ってから、志帆と絵美里が着替えることになっている。
「じゃ、行ってくる」
千尋がパーカーを脱いでシートへ置く。
「いってらっしゃい。あまり沖まで行かないでね」
「分かってるって」
志帆に返しながら、千尋はもう波打ち際へ向かっていた。
みつみも追いかけ、寄せてきた波へ片足を入れる。
「冷たっ!」
「まだ足首じゃん」
「足首が冷たいんだよ!」
千尋はその横を抜けて膝のあたりまで入っていく。佳奈子も続いたものの、最初の波が来たところで一度だけ足を止めた。
「……思ったより冷たい」
「ほら!」
「でも入れる」
「裏切った!」
笑いながら三人で少しずつ深いところへ進む。
腰のあたりまで水につかる頃には冷たさにも慣れた。
少し大きな波が来る。
「来た!」
三人でタイミングを合わせて跳んだはずが、みつみだけ半拍遅れた。顔から波をかぶり、両手で目元を拭う。
「ぶっ……今の絶対おかしい!」
「波に文句言う人、初めて見た」
佳奈子が笑った直後、次の波が来る。
今度は三人ともきれいに越えた。みつみが得意げに振り返ったところへ、佳奈子が両手ですくった海水を軽く飛ばす。
「ちょっ!」
「今のは波じゃないよ」
「分かってる!」
みつみがすぐにやり返すと、避けた佳奈子の後ろで千尋がまともに水をかぶった。
千尋は濡れた前髪をかき上げ、みつみを見る。
「佳奈子狙った?」
「うん。事故」
「じゃあこっちも事故で」
「待って待って!」
千尋が両手で水を払うように掛け返し、今度は佳奈子まで巻き込んだ。
そこからは誰が最初だったかも関係なくなった。波が来れば跳び、近くに誰かいれば水を掛け、少し離れたら泳いで追いかける。
前に来たときと同じ海なのに、やっていることが違うだけで別の場所みたいだった。
「ちょっと待って。あれ持ってくる」
しばらくして佳奈子が浜へ戻り、バッグから膨らませてきたビーチボールを抱えて戻ってきた。
「ほんとに持ってきたんだ」
「みつみがやるって言ったんでしょ。ほら、いくよ」
佳奈子が投げたボールを千尋が片手で受け、そのままみつみへ返す。
「うわっ」
みつみの手を抜けて、ボールが後ろへ飛んでいった。
「取って!」
「今の私じゃないでしょ!」
「一番近いじゃん!」
振り返って追いかける。あと少しというところでまた波に逃げられ、二度目でようやく胸の前へ抱え込んだ。
「次、絶対佳奈子が取れないところ投げる」
「それやったら私、取りに行かないから」
「行ってよ」
「投げた人が回収するルールにしよ」
「今作ったでしょ、そのルール」
千尋が笑う。
「でも合理的」
「エミリンみたいなこと言ってる」
砂浜まで聞こえたらしい。
「私、そんなこと言いませんよ」
絵美里の声が飛んできて、三人が一斉に浜を見る。
「聞こえてた!」
「聞こえる距離ですから」
志帆も隣で笑っていた。
そのあともボールは何度も海へ落ちた。千尋が少し遠くへ投げればみつみが追い、みつみが力を入れすぎれば佳奈子の頭上を越え、佳奈子は自分の番になると急に届かないふりをする。
最後には、投げている時間より拾いに行っている時間の方が長くなっていた。
「疲れた。戻ろ」
最初に言ったのは佳奈子だった。
「もう?」
「海って普通に疲れるんだって。それに喉渇いたし、お腹空いた」
「まだお昼前だよ」
「海はお腹空くの」
「何でも海のせいにしてない?」
千尋が笑い、三人で浜へ戻る。
タオルで髪と身体を拭き、水筒の飲み物を飲んで少し休んだあと、三人は順番に、着替えに使っている岩陰へ向かった。
水着からいつものダンジョン装備へ着替え、みつみは杖、千尋は《黒月》、佳奈子は弓とクイーバーを準備して戻る。
それを確認してから、今度は志帆と絵美里が岩陰へ向かった。
「交代ね」
「こっちは任せて」
みつみが杖を軽く持ち上げると、志帆が頷いた。
戻ってきた二人を見て、佳奈子が「おー」と声を上げる。
「何よ」
「いや、水着だなって」
「水着なんだから当たり前でしょう」
志帆は黒を基調にした水着の上から薄手のラッシュガードを羽織っている。
絵美里は青系のシンプルな水着だった。普段とは服装が違うせいか、同じ癖のあるダークブロンドの髪まで少し違って見える。
「エミリン、なんか雰囲気変わるね」
みつみが言うと、絵美里は自分の格好を見下ろした。
「水着だからじゃないですか?」
「たぶんそれ」
「そのままじゃないですか」
絵美里が少し笑う。
「じゃあ行きましょう」
「待って。準備運動くらいしてから」
「もうしました」
「いつ?」
「着替える前です」
志帆は一瞬だけ絵美里を見て、それから笑った。
「そういうところは抜けないのね」
二人が海へ向かう。
残った三人はシートの近くに座り、荷物と周囲を見ながら二人を眺めていた。
「なんか変な感じ」
みつみが杖を膝へ置く。
「何が?」
「水着の二人を、こっちは武器持って見てるの」
「ダンジョンの海なんだから、そこは仕方ないでしょ」
佳奈子はそう言って、お菓子の袋を開けた。
海では志帆と絵美里が足首ほどの深さからゆっくり入っていく。腰までつかったところで波が来て、二人とも揃って跳んだ。
次の波は少し大きかった。
今度はタイミングがずれ、二人ともまともに水をかぶる。
志帆が顔についた水を拭いながら笑った。絵美里も濡れた髪を耳へかけ、つられるように笑っている。
「エミリン、普通に楽しそう」
みつみが言うと、千尋が海を見たまま返した。
「そりゃ遊びに来たんだから、楽しむでしょ」
「そうなんだけどね」
絵美里が海水をすくい、志帆へ軽く掛けた。
志帆は目を細めて絵美里を見る。
「今の、わざと?」
「はい」
「素直ね」
志帆も同じくらいの水を返す。
「先輩」
「先にやったの、絵美里ちゃんでしょう」
「そうですけど」
「ならお互いさまね」
そこから派手な水の掛け合いにはならなかったが、どちらかが忘れた頃に少し掛け、やり返されて笑うのを何度か繰り返していた。
やがて二人は少し深い場所へ移り、並んで泳ぎ始める。
志帆も普通に泳げていたが、絵美里の方が少し速い。絵美里が先へ出て振り返り、志帆が追いつく。
「絵美里ちゃん、速いわね」
「先輩も普通に泳げるじゃないですか」
「普通に、は余計よ」
今度は二人でゆっくり浜と平行に泳いで戻ってくる。
足のつくところまで来ると、絵美里は身体を浮かせて波に揺られた。志帆も隣で真似をし、二人で何か話している。
浜までは聞こえない。
けれど、時々笑っているのは見えた。
「平和だね」
「そういうこと言うと、なんか出そうなんだけど」
佳奈子がお菓子を一つ口へ入れる。
「出ないって」
みつみが笑った、その少しあとだった。
「痛っ!」
海から絵美里の声が上がった。
三人が同時に立ち上がる。
絵美里が水を蹴って浅瀬へ戻り、志帆もすぐ後を追った。
「絵美里ちゃん?」
「足、何かに刺されました」
海から上がった絵美里の右脚、ふくらはぎのあたりに細い跡がついていた。その周囲が、みるみる紫色へ変わっていく。
志帆が隣へしゃがむ。
「座って。見せて」
絵美里がシートの端へ腰を下ろす間に、千尋は海へ視線を戻していた。
少し沖の水面近くに、半透明のものが浮かんでいる。
透けた傘のような丸い身体。その下から、細い触手が何本も水中へ伸びていた。
「いた。クラゲみたいなの」
千尋が《黒月》へ手を掛ける。
絵美里も海を見る。
「《スティングジェリー》です。毒があります」
志帆は紫色へ変わった箇所を確認すると、迷わず手をかざした。
「《キュアポイズン》!」
淡い光が絵美里の脚を包む。
紫色が引いていくのを確認しても、志帆は手を離さなかった。
「《ヒール》!」
続けて柔らかな光が刺された箇所を包み、残っていた痛みも薄れていく。
千尋が一度だけ二人へ目を向けた。志帆がもう処置を始めているのを見て、それ以上は近づかない。
「志帆、そっちお願い」
「うん」
短いやり取りのあと、千尋は海へ向き直った。
そのときには、みつみも杖を構えていた。佳奈子はお菓子の袋をシートへ置き、すでに弓へ矢をつがえている。
「《マジックブースト》」
みつみの周囲で淡い魔力が揺れた。
《スティングジェリー》はまだ少し沖にいる。千尋も水際から踏み込んでいない。
みつみはその身体へ杖先を合わせた。
「《ファイアボール》!」
火球が海面の上を走り、半透明の身体へぶつかった。
炎と衝撃が弾け、《スティングジェリー》の身体が大きく揺れる。
ほとんど間を置かず、佳奈子が弦を放した。
「《ダブルショット》!」
二本の矢が続けて飛び、一射目が傘の端へ、二射目が中央近くへ突き刺さる。
《スティングジェリー》はそれでも消えず、波に揺られながら浅い方へ寄ってきた。水中の触手が広がるのを見て、千尋が《黒月》を抜く。
「《ウィークポイント》」
一瞬、千尋の視線が半透明の身体へ集中する。
次の瞬間には砂を蹴っていた。
「《サイレントステップ》!」
水際を横へ抜けるように一気に距離を詰め、伸びてきた触手を避ける。そのまま《黒月》を振り込み、傘の下側を深く斬った。
《スティングジェリー》が大きく傾く。
みつみは千尋との距離を見て、《ファイアボール》ではなく杖をまっすぐ向け直した。
「《マジックボール》!」
青白い魔力弾が千尋から離れた側へ当たり、身体を押し戻す。
「次いく!」
佳奈子が矢をつがえ直す。
「《パワーショット》!」
強い一射が半透明の身体を貫き、水面が大きく跳ねた。
シートのそばでは、志帆が絵美里の脚から手を離していた。
「どう?」
絵美里は刺された箇所へ軽く触れる。
「もう大丈夫です。痛みもほとんどありません。でも、今日はもう入らないでおきます」
「そうして。無理に戻る必要ないわ」
「はい」
絵美里は頷いたあと、すぐに海へ視線を戻した。
「千尋先輩、右、触手!」
揺れる水面の中から、細い触手が千尋の右側へ伸びる。
千尋は声に反応して横へ跳び、触手をかわした。
「ありがと!」
志帆も立ち上がった。
水着のままだったが、海へ戻るのではなく浜から千尋へ手を向ける。
「《プロテクション》!」
淡い光が千尋を包む。
千尋はそのまま《スティングジェリー》へ向き直った。
みつみもすぐに次の魔法を放つ。
「《マジックボール》!」
魔力弾が傘の中央へ当たる。
佳奈子の矢が続き、半透明の身体がさらに崩れた。
残った触手が千尋へ向く。
千尋は真正面から踏み込み、一本を《黒月》で払いながら身体の横へ回った。
「《ウィークポイント》!」
一瞬、視線が半透明の身体の一点で止まる。
そのまま黒い刃を振り抜いた。
斬られた《スティングジェリー》の身体が大きく歪む。
そこへ、みつみの《マジックボール》と佳奈子の《パワーショット》がほとんど続けて突き刺さった。
半透明の身体が形を保てなくなり、淡い光の粒へ変わって消えていく。
あとには、いつもの波だけが残った。
「……終わった?」
みつみが杖を下ろす。
「終わった」
千尋も《黒月》を収め、すぐに浜へ戻った。
さっきまでの勢いが消えると、五人の視線が一斉に絵美里の脚へ集まる。
「エミリン、大丈夫?」
「大丈夫です。毒は抜けてますし、痛みもほとんどないです」
みつみの問いに答えながら、絵美里がふくらはぎを見る。
紫色だった部分は元へ戻り、刺された跡もほとんど目立たなくなっていた。
志帆ももう一度確認してから頷く。
「うん。大丈夫そうね。でも今日はもう入らない方がいいわ」
「分かってます」
絵美里は素直に答えたものの、海へ一度だけ目を向けた。
「……もう少し泳ぎたかったですけど」
「楽しかった?」
みつみが聞く。
「思っていたより」
「思ってたよりなんだ」
「ダンジョンの海で泳ぐって、もっと落ち着かないと思ってたんです。でも普通に海でした」
「モンスター出たけどね」
佳奈子が言うと、絵美里も少し笑った。
「そこは普通じゃなかったです」
志帆は濡れたラッシュガードの袖をつまみ、海を見る。
「私ももう少し入りたかったけど、今日はここまでね」
「また来ればいいじゃん」
みつみが言うと、志帆は少し考えてから頷いた。
「それもそうね」
海で使ったものを乾かしながら、五人で片づけを始める。
佳奈子はビーチボールの空気を抜きながらスマートフォンを開き、何となく周辺の地図を眺めていた。
しばらくして、指が止まる。
「あれ?」
「何?」
「尾洗って、普通の海もあるじゃん」
みつみが佳奈子の画面を覗き込む。
「ほんとだ」
千尋も横から地図を見る。
佳奈子はしばらく画面と、目の前のダンジョンの海を見比べた。
「……海で遊ぶだけなら、普通の海でよくなかった?」
一瞬、誰も答えなかった。
最初に吹き出したのは千尋だった。
「それ、帰るときに気づく?」
「話してるとき、尾洗のダンジョンの海しか頭になかったし」
「でも、こっちも楽しかったじゃん」
みつみが言う。
「エミリン刺されたけどね」
「それは……そうだけど」
みつみが言葉に詰まり、今度は志帆まで笑った。
絵美里も海を振り返る。
「私は、来てよかったです」
そう言ってから、少し間を置いた。
「でも次は、普通の海も行ってみたいです」
「じゃあ今度はそっちね」
志帆が返す。
「今度こそ、武器いらない海で」
「普通の海でもクラゲはいるよ」
千尋が言うと、佳奈子が空気の抜けたビーチボールをバッグへ押し込んだ。
「少なくともモンスターじゃないでしょ」
五人で笑いながら、砂浜をあとにした。




