第84話 そのままが分からない
放課後の部室で、佳奈子が急に「あ」と声を上げた。
向かいでスマートフォンを見ていた千尋が顔を上げる。
「何?」
「写真、多すぎ」
佳奈子は自分の画面を何度かスクロールしてから、少し嫌そうな顔をした。
「また容量減ってる。ダンジョン行くたびに撮ってたら、そりゃ増えるか」
「消せば?」
「だから今それやろうとしてるんだけど、どれ消していいか分かんなくなってきた」
机の反対側では、みつみが宿題を広げていた。広げてはいるが、さっきからシャープペンシルはほとんど動いていない。
「見せて」
みつみがすぐに身を乗り出す。
佳奈子はプリントへ視線を落とした。
「宿題は?」
「今ちょっと休憩」
「始めて十分くらいじゃなかった?」
「十分やったから休憩」
佳奈子は呆れながらも、スマートフォンを机の中央へ置いた。
志帆は読んでいた本に栞を挟み、絵美里も自分のノートから顔を上げる。
五人が一度に覗き込むには画面が小さい。結局、佳奈子が写真を一枚ずつ開き、気になるものが出たらスマートフォンごと見せることになった。
「これ何?」
最初にみつみが指した写真には、石壁しか写っていなかった。
「知らない」
「佳奈子が撮ったんでしょ?」
「たぶん歩きながら間違えて押したやつ」
佳奈子が削除のアイコンを押す。
「こういうのは迷わず消せる」
次は地面だけ。
その次は、千尋の肩と壁。
「待って。なんで私こんな多いの?」
千尋が自分の肩だけ写った写真を見て笑う。
「前歩いてること多いからじゃない?」
佳奈子がさらに送ると、今度は千尋の後頭部だけが出てきた。
「あ、これも千尋」
「それはいらないでしょ」
「えー」
なぜか惜しそうな声を出したみつみに、千尋が振り返る。
「みつみ、何に使うの」
「分かんないけど」
「じゃあいらないじゃん」
佳奈子が迷わず消すと、写真の本人である千尋も特に惜しがらなかった。
何枚か進めるうち、画面に表示される日付が少しずつ古くなっていく。
「あ、これ一年のときだ」
佳奈子の指が止まった。
画面には、四人だけで写っている写真があった。
ダンジョン施設の休憩スペースらしい。テーブルの上には飲み物と菓子があり、みつみは何かを食べながら笑っている。千尋は椅子の背にもたれ、志帆は紙コップを持っていて、佳奈子だけが画面の端へ少し寄っていた。
「懐かし」
みつみが宿題のことを完全に忘れて身を乗り出す。
「これ、いつだっけ」
「冬じゃない?」
千尋が画面を覗き込んだ。
「服厚いし」
「クリスマスダンジョンの頃かしら」
志帆も写真を見て、少し考える。
「その前かもしれないわね。佳奈子、次の写真ある?」
「あるよ」
佳奈子が指で送ると、今度は三人が用品店の棚の前にいる写真が出た。
「あ、これ覚えてる」
みつみがすぐに声を上げる。
「志帆がずっと装備見てた日」
「みつみもずっと杖を見てたでしょう」
「私はそんな長くない」
志帆に返したみつみへ、千尋が横から口を挟んだ。
「長かったよ。一回別の棚行って戻ってきても、まだいたし」
「そんなに?」
「いたいた」
佳奈子まで頷く。
絵美里は四人の会話を聞きながら、画面の中の写真を見ていた。
「この頃は、まだ皆さん一年生ですよね」
「そうだよ」
佳奈子が答えてから、写真の中と目の前の四人を見比べる。
「でも、あんまり変わってないね」
「みつみは髪ちょっと短い」
千尋が写真のみつみを指した。
「ほんと?」
「ほんのちょっとね」
志帆も画面を覗き込む。
みつみは写真の中の自分を見てから、今の自分の髪を触った。
「分かんない」
「本人が一番分かってないじゃん」
佳奈子が笑って、また次へ送った。
写真は、四人でいた時間を順番には並べていなかった。
ダンジョンの帰りに買った飲み物。学校の机に広げた予定表。変な形に崩れた菓子。誰かの装備の一部。意味の分からない壁。
覚えているものもあれば、四人とも思い出せないものもある。
「これ、なんで撮ったの?」
千尋が指した写真には、小さな石が一つだけ写っていた。
「私じゃない?」
みつみが画面へ顔を寄せる。
「なんで?」
「なんか気になったんだと思う」
「何が?」
「それは覚えてない」
「じゃあ写真見ても分かんないじゃん」
千尋が笑う。
「でも残しとこ」
「残すんだ」
佳奈子は削除しようとしていた指を止め、そのまま次の写真へ送った。
◇
さらに少し遡ったところで、志帆の表情が変わった。
「……待って」
佳奈子も同じ写真を見て、口元を緩める。
「あー」
「それ消して」
「なんで?」
「いいから」
志帆が手を伸ばしたので、佳奈子はスマートフォンを少しだけ遠ざけた。
何が写っているのか気になったみつみと千尋が、ほぼ同時に画面へ寄る。
遺跡の通路で撮った写真だった。
中央にいるのは志帆。
戦闘の直後なのか、片手を少し上げたまま振り返っている。黒銀のバングルが照明を反射し、本人の意図とは関係なく、妙に決まった一枚になっていた。
「格好いいじゃん」
みつみが素直に感想を口にした。
「だから消して」
「なんで格好いいと消すの?」
「こういうのは、撮られてると思ってないからいいの。あとから見ると恥ずかしいでしょう」
志帆が再び手を伸ばすが、佳奈子は渡さない。
「私は好きだけどなあ」
「みつみはそうでしょうね」
千尋も改めて写真を眺める。
「これ、志帆が自分で見たら恥ずかしいだけで、他から見たら別に変じゃないよ」
「そういう問題じゃないの」
「なら、どこが問題なんですか?」
それまで黙って写真を見ていた絵美里が、不思議そうに尋ねた。
志帆がそちらを見る。
絵美里はからかう様子もなく、佳奈子のスマートフォンを覗き込んでいる。
「私は格好いいと思いますけど」
「……」
「装備も似合ってますし。先輩、こういう雰囲気が好きなんですよね?」
志帆が返事をするまで、少し間があった。
「……まあ、好きだけど」
「なら、消さなくてもいいんじゃないですか?」
絵美里は、本当にそれだけが疑問らしい。
志帆はもう一度写真を見る。
さっきまでスマートフォンを取り上げようとしていた手を、ゆっくり引っ込めた。
「……別に、残してもいいわ」
「お」
みつみが声を漏らす。
志帆がすぐに睨んだ。
「何?」
「何も」
みつみは素直に引いたが、その隣の千尋は少しだけ笑っている。
「千尋も何?」
「何も言ってないじゃん」
「顔」
「顔は仕方ないでしょ」
二人のやり取りを見ながら、佳奈子は笑いを堪えて写真を残す側へ振り分けた。
絵美里だけはもう次の写真を見ている。
志帆はその横顔を一度だけ見てから、自分の本へ視線を戻した。
栞を抜いたのに、しばらくページはめくられなかった。
◇
「そういえばさ」
何枚か最近の写真まで戻ってきたところで、佳奈子がスクロールを止めた。
「エミリンの写真、少なくない?」
絵美里が自分を指す。
「私ですか?」
「うん。五人で行ってるのに、エミリンだけ単独の写真ほとんどない」
みつみも佳奈子の画面を覗き込む。
「ほんとだ。戦ってるのはあるけど」
「そう。戦闘中の記録じゃなくて、普通の写真が少ないの」
佳奈子が少し探してみるが、出てくるのは遠くに写り込んでいるものや、盾を構えているものばかりだった。
しばらく画面を見てから、佳奈子が顔を上げる。
「じゃあ撮る」
「今ですか?」
「今」
佳奈子はもう立ち上がっていた。
絵美里は少し困ったように周囲を見る。
「何をすればいいですか?」
「別に何もしなくていいよ。そこ座ってて」
佳奈子が机の反対側へ回ると、絵美里は言われた通り椅子に座ったまま、背筋を伸ばした。
佳奈子がスマートフォンを構える。
「……エミリン」
「はい」
「証明写真じゃないんだから」
「普通にしています」
「普通が固いんだよ」
「では、どうすれば?」
「だから何もしなくていいって」
「その『何もしない』が分かりません」
絵美里が真顔で返したので、みつみが横から笑い出した。
「エミリン、写真撮られるの苦手?」
「苦手というほどではありません。ただ、何を求められているのか分からないので」
「カメラ見れば?」
千尋が椅子に座ったまま言う。
「見ています」
「めっちゃ見てるね」
千尋の言う通りだった。
絵美里はレンズへ正面から視線を固定し、姿勢も崩さない。写真を撮られるというより、何かの検査を受けているように見える。
佳奈子が一度スマートフォンを下ろした。
「ちょっと待って。髪ここ跳ねてる」
「どこですか?」
「右」
佳奈子が絵美里の横へ回り、肩の近くで外へ跳ねていた癖毛を指先で軽く整える。
触れられた瞬間、絵美里の身体がわずかに固まった。
「これでいい」
「……ありがとうございます」
「じゃ、もう一回」
「はい」
絵美里が座り直す。
また背筋がぴんと伸びた。
「戻ってるって」
「戻る?」
「固い方に」
佳奈子が笑った。
「もういい。笑わなくてもいいから、そのままでいて」
「だから、そのままが分かりません」
「何もしなくていいの!」
佳奈子自身が笑ってしまう。
それにつられたのか、絵美里の口元もほんの少し緩んだ。
その瞬間、シャッター音が鳴った。
「あ」
絵美里がすぐに佳奈子を見る。
「今の何ですか?」
「今のいい」
「見せてください」
絵美里が立ち上がって佳奈子の隣へ行く。
画面の中では、さっきまでの固さが消えていた。笑顔というほどではない。それでも少しだけ目元が柔らかくなっている。
「これ残す」
佳奈子が即決する。
「私は別に構いませんけど」
「じゃあ決定」
佳奈子が保存しようとすると、隣から画面を見ていた絵美里が指を止めた。
「でも、佳奈子先輩も少ないですね」
「私?」
「はい。最近の写真、先輩が撮っているものが多いので」
「あー。まあ、自分のスマホだからね」
絵美里が佳奈子へ手を出した。
「じゃあ次は先輩です」
「え、いいよ私は」
「私だけ撮られるのは不公平です」
「何その理屈」
「同じ条件にするだけです」
絵美里が佳奈子からスマートフォンを受け取る。
「そこに座ってください」
「急に立場逆になったんだけど」
「早くしてください」
言われるまま佳奈子が椅子へ向かうのを見て、千尋が吹き出した。
「エミリン、ちょっと楽しんでない?」
「普通です」
佳奈子は、さっき絵美里が座っていた椅子へ腰掛けた。
今度は佳奈子の方が妙に姿勢を気にし始める。
「こう?」
スマートフォンを構えた絵美里が、さっき言われた言葉をそのまま返す。
「もっと普通でいいです」
「普通って何?」
「さっき先輩が言っていたやつです」
「分かんないでしょ、それ」
「分からなかったので、今確認しています」
「ずるくない?」
千尋がとうとう声を上げて笑った。
「完全に返されてるじゃん」
「千尋うるさい」
そこへみつみまで割り込む。
「佳奈子、もうちょっと右」
「なんでみつみが参加してんの」
「見えてるから」
「何が?」
「いい感じの位置」
「それ信用していい?」
「たぶん」
「たぶんじゃ――」
シャッター音が鳴った。
佳奈子が目を丸くする。
「待って。まだ喋ってたじゃん」
「その方が自然でした」
「エミリン、それ絶対さっきので覚えたでしょ」
「結果が良かったので」
「学習が早いわね」
志帆も本を閉じたまま笑っている。
佳奈子は絵美里からスマートフォンを受け取り、撮られた写真を確認した。
何か言い返しかけた瞬間の顔で写っている。
「これ嫌なんだけど」
絵美里は佳奈子の肩越しに写真を見る。
「私はいいと思います」
「さっきの返してきた?」
「本当にそう思っただけです」
「その言い方、強いなあ」
佳奈子は少し迷ってから、結局その写真も消さなかった。
◇
「じゃあ私も撮って」
そう言って、みつみが当然のように佳奈子の隣へ座った。
佳奈子が眉を上げる。
「なんで?」
「撮影会になったから」
「なってないよ」
「じゃあ今なった」
「勝手に開催しないで」
文句を言いながらも、佳奈子はスマートフォンを構える。
みつみはすぐにピースを作った。
「普通だね」
佳奈子の感想に、みつみがピースを下ろす。
「じゃあどうすればいいの」
「何もしなくていいよ」
「それエミリンが困ったやつじゃん」
「私はもう分かりました」
絵美里が横から口を挟む。
「何もしない方が自然に撮れます」
「エミリンが写真側に進化してる」
「進化ではありません」
千尋も椅子を引いて、みつみの後ろへ入ってきた。
「じゃあ私も入ろ」
「千尋まで来るの?」
「せっかくだし」
志帆はその様子を少し離れたところから見ていた。
佳奈子がそちらへ視線を向ける。
「志帆も入る?」
「私は――」
「入ろ」
みつみが手招きする。
「さっき写真残したんだから、もういいでしょ」
「何が『もういい』なのよ」
志帆は呆れたように言いながらも、結局本を置いて立ち上がった。
四人が集まったところで、佳奈子がふと自分の手にあるスマートフォンを見る。
「ちょっと待って。これ私撮ってたら入れないじゃん」
「タイマーにすれば?」
千尋が言う。
「あ、そっか」
佳奈子はスマートフォンを机の上の本に立てかけ、タイマーを設定した。
「十秒。いくよ」
佳奈子も急いで四人のところへ入る。
画面の数字が減っていく。
「どこ見ればいい?」
みつみが聞く。
「カメラ!」
佳奈子が答える。
「こっち?」
「そっちそっち」
「エミリン、もうちょっと寄って」
千尋に言われた絵美里が、少しだけ身体を寄せる。
「これ以上ですか?」
「入らないから」
「志帆もこっち」
「分かってるわよ」
後ろから声が重なり、みつみがさらに前へ出た。
「千尋、後ろ隠れてる」
「みつみが前に出すぎなんだって」
「え、あと何秒?」
佳奈子が画面を見ようとした。
「二秒」
千尋が答える。
「待って待って!」
そこでシャッターが切れた。
一瞬、全員が黙る。
真っ先にスマートフォンへ向かったのは佳奈子だった。
「絶対変なの撮れた」
五人がまた画面へ集まる。
みつみはカメラではなく佳奈子を見ている。
千尋はみつみを押し戻そうとして片手を伸ばした途中。
志帆は何か言いかけていて、絵美里は千尋に押されたみつみにぶつからないよう少し身体を引いている。
佳奈子だけは、タイマーを気にしていたせいか妙にちゃんと笑っていた。
「……これ、いいじゃん」
最初に言ったのは千尋だった。
「どこが?」
佳奈子が聞き返す。
「全員ちゃんと撮れてないところ」
「それ、いい写真って言う?」
「私は好き」
みつみも画面を覗き込む。
「なんか今日っぽい」
「今日ずっとこんなだった?」
「だいたい」
千尋が答えると、佳奈子は少し嫌そうな顔をした。
「それは嫌なんだけど」
志帆まで笑う。
絵美里はしばらく写真を見ていた。
「消すんですか?」
その言葉に、佳奈子が絵美里を見る。
「エミリンはどうする?」
「私は残していいと思います」
「じゃあ残す」
決まるのは早かった。
佳奈子がその一枚と、今日撮った何枚かをまとめてグループへ送る。
少し遅れて、部室のあちこちで通知音が鳴った。
「来た」
みつみがすぐに開く。
「私も保存しよ」
千尋が画面をタップする。
志帆も同じ写真を開き、少しだけ拡大してから保存した。
絵美里のスマートフォンにも、さっき自分が撮られた一枚と、佳奈子を撮った一枚、それから最後の五人の写真が並んでいる。
「エミリン、それ自分の写真保存した?」
佳奈子が尋ねた。
「しました」
「気に入った?」
「別に」
「じゃあなんで?」
「消す理由もないので」
「それ、気に入った人の言い方じゃない?」
「違います」
絵美里の返事は早かった。
みつみが横から絵美里の画面を覗こうとすると、絵美里は少しだけスマートフォンを自分の方へ引いた。
「先輩、自分のを見てください」
「同じ写真じゃん」
「なら、そちらで十分でしょう」
「見せてよ」
「同じです」
「ケチ」
そんなやり取りの間にも、五人それぞれのスマートフォンには同じ今日の写真が増えていた。
佳奈子はようやく写真整理を再開したものの、一覧を見たところで手を止める。
「……減らすつもりだったんだけど」
千尋が画面を覗き込んで笑う。
「増えたね」
「まあ、いいか」
佳奈子はそう言って、削除画面を閉じた。
次回から第8部です!
第8部からは更新ペースを変更し、**毎日12:20に1話更新**となります。
これからも、みつみたちのダン活をよろしくお願いします。
第7部、最後まで読んでいただきありがとうございます。
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