第79話 鏡の奥のラビリンス
次の休日、五人はもう一度、通尾ダンジョンの前にいた。
駅前で昼を済ませ、前と同じ道を歩いてきた。
細長い塔が見えても、今度は全員が足を止めるわけではない。
「やっぱ細い」
みつみだけは立ち止まり、てっぺんまで見上げた。
「そこは二回目でも変わらないんだ」
佳奈子も少し遅れて空を見る。
「中にあれだけ通路あるって知ったあとで見る方が変じゃない?」
「それはちょっと分かる」
千尋が入口へ向かいながら振り返った。
「でも前より見てる時間短いよ」
「そう?」
「前はもっと長かった」
みつみはもう一度だけ塔の先を見た。
「今日は中も知ってるから」
初めて来たときは、外から見た塔と、中に広がる通路がどうしても結びつかなかった。
一度歩いた今でも不思議ではある。
ただ、未知の建物ではなくなっていた。
「行かないの?」
少し先から千尋が呼ぶ。
「行く」
みつみはとんがり帽子を押さえ、四人のところまで小走りで追いついた。
◇
一階で装備を整えたあとは、迷わず転送ゲートへ向かった。
前回は百メートル近く階段を上る案も一応出たが、今日は誰もそちらを見ない。
「階段は?」
みつみが聞く。
「行きたいなら一人でどうぞ」
佳奈子の返事が早かった。
「聞いただけ」
「なら転送ね」
それで決まった。
光を抜け、二階へ出る。
灰色の石床と石壁。
いくつも曲がり角が続く景色も前回と同じだった。
みつみが周囲を見渡す。
「なんか普通」
「この前は百メートル上にこれがあるって騒いでたのにね」
「今も変だよ。でも知ってる変」
「分かるような、分からないような」
佳奈子が言いながら歩き出す。
千尋は最初の角へ近づき、身体を出す前に向こうを覗いた。
その動作も前回より自然だった。
「何もいない」
五人で角を曲がる。
少し先の分岐で千尋が止まると、佳奈子が先に左を指した。
「こっちじゃない? 右、行き止まりだった気がする」
「覚えてるの?」
「この辺でみつみが水飲んでた」
「道じゃなくてそっち?」
「覚えてるなら何でもよくない?」
千尋が右へ少し入って確認し、すぐ戻ってきた。
「ほんとだ。行き止まり」
「ほら」
佳奈子が少し得意そうに歩き出す。
「佳奈子先輩、そういう覚え方なんですね」
絵美里が後ろから言った。
「分岐一とか二とかで覚えるより楽じゃない?」
「再現できるなら有効です」
「難しく言うとそうなるの?」
志帆が笑う。
「でも、私も場所そのものより、そこで何をしたかの方が覚えてることあるわよ」
「じゃあ、お菓子食べた場所なら全員覚えてそう」
みつみが言う。
「私は覚えてる」
佳奈子が即答した。
「昨日の部室のクッキーは?」
「それダンジョンじゃないでしょ」
話しながら二つ目の角を曲がったところで、先頭の千尋が止まった。
声を出す前に左手を上げる。
五人の足も止まった。
「いる。マンティス」
角の向こう。
石壁に半分隠れるようにして、人間ほどの大きさのカマキリ型モンスターが立っていた。
長い前脚がゆっくり動いている。
「また角」
佳奈子が小声で言う。
「そういうやつなんでしょ」
千尋が《黒月》を抜く。
前回は初めて見る姿に目を取られた。
今回は、誰も長く観察しない。
絵美里がタワーシールドを前へ出し、志帆がその少し後ろへ下がる。
佳奈子は矢をつがえ、みつみも杖を構えた。
「行けます」
絵美里が一歩出る。
ブレードマンティスが反応した。
身体を傾け、長い前脚を振り上げる。
刃のような先端が絵美里へ落ちた。
タワーシールドが受け止め、硬い音が通路へ響く。
もう一方の前脚が横から伸びる。
絵美里が盾を向け直すより先に、千尋が横へ抜けた。
マンティスの身体も千尋を追う。
長い前脚が大きく振られた。
千尋は半歩だけ身体を引き、避け切れない軌道へ左腕を入れる。
バックラーに刃が当たった。
小さな盾の表面を滑り、そのまま外へ逸れていく。
「そこ!」
佳奈子の矢が胴へ刺さった。
マンティスが揺れたところへ、みつみが杖を向ける。
「《マジックボール》!」
青白い魔力弾が正面からぶつかる。
志帆の《プロテクション》を受けた絵美里が、再び前へ出た。
マンティスの注意がそちらへ戻る。
千尋は横へ回り込んだ。
「《ブラインドサイド》」
視線の向きが、さっきよりはっきり分かる。
絵美里へ向いたままの頭部を見ながら、その外側へ一歩入った。
《黒月》が胴を斬る。
続けて佳奈子の矢が入り、マンティスの身体が大きく傾いた。
みつみの二発目が当たると、その姿が崩れ、光へ変わっていった。
通路が静かになる。
千尋は《黒月》を下ろし、左腕を一度見た。
「やっぱこれ便利」
「もう普通に使ってるね」
佳奈子が弓を下ろす。
「あるんだから使うでしょ」
「この前はずっと見てたのに」
「買ったばっかだったから」
「今日は?」
「今日もいいけど」
千尋はそれだけ言って《黒月》を鞘へ戻した。
「先行こ」
戦闘の話は、それ以上続かなかった。
◇
三階までは、前回より早かった。
二階で一度だけ行き止まりへ入ったものの、見覚えのある場所も増えている。
三階へ上がっても、誰も足を止めなかった。
「ここも石」
みつみが言う。
「知ってる」
佳奈子が返す。
「前は同じって言った」
「それも覚えてる」
みつみは少しだけ不満そうに佳奈子を見る。
「今日、何でも覚えてるね」
「昨日の数学は忘れたいけど」
「あれ終わったじゃん」
「終わったから忘れたいの」
千尋が前を歩きながら笑った。
通路を二つ曲がったところで、今度は絵美里が足を止める。
「前です」
低い姿勢の影が二つ、奥の通路を動いていた。
ゴブリンファイター。
「二体」
千尋が《黒月》を抜く。
戦闘は長く続かなかった。
絵美里が正面で一体を受け止め、もう一体が横へ出ようとしたところへ佳奈子の矢が飛ぶ。
動きが止まった隙に、みつみの《マジックマイン》が足元で弾けた。
体勢を崩したファイターへ千尋が入り、《黒月》を振る。
残った一体は絵美里の盾へ向いたまま、志帆の支援を受けた四人の攻撃を続けて受けた。
ほどなく二体とも光へ変わる。
「前もいたね」
佳奈子が矢筒を確認しながら言った。
「いた」
「この辺だった?」
「階は同じだけど、場所までは分かんない」
千尋が答える。
「じゃあ覚えてるの敵だけか」
「それで十分じゃない?」
絵美里が盾を戻す。
「先へ行きましょう。今日は四階が目的ですし」
「目的っていうか、続きね」
みつみが訂正するように言った。
絵美里は一瞬だけ考えた。
「……そうですね。続きです」
五人はまた歩き出した。
三階の残りは、それほど時間がかからなかった。
前回入った行き止まりを一つ避け、見覚えのある分岐を抜ける。
しばらくして、四階へ続く階段が見えた。
佳奈子がスマートフォンを確認する。
「早い」
「まだ結構時間あるね」
千尋も画面を見る。
「今日はいっぱい迷える」
みつみが言った。
「迷わないために来たんじゃなかった?」
「迷わなかったら、その分先まで行けるじゃん」
「それはそうだけど」
志帆が階段を見上げる。
「昨日決めた方法が、どこまで通じるかね」
「右側の壁を追うだけです」
絵美里が答える。
「途中で別の道が気になっても、今日は変えない方がいいと思います」
「はい」
みつみが返事をする。
「みつみ先輩、壁はずっと触らなくていいですからね」
「まだ何も言ってない」
「部室で言ってました」
「分かんなくなったら触るだけ」
「やっぱり触るんじゃない」
佳奈子が笑う。
◇
四階へ上がった瞬間、鏡が視界いっぱいに広がった。
前回と同じ景色だった。
正面にも横にも五人がいる。
その奥にも、さらに小さな五人が並んでいる。
「これこれ」
みつみの声が少し弾む。
「写真で見たあとだと、余計変」
「写真も十分変だったよ」
佳奈子は鏡の奥に見える通路を眺める。
「でも今日は、右でしょ?」
「右」
千尋が通路の右側へ寄った。
壁面がどちらへ続いているかを目で追う。
「ここからでいい?」
「はい。右側を切らさずに行きましょう」
絵美里も確認する。
「じゃ、出発」
千尋が歩き始めた。
最初の角を右へ曲がる。
次の分岐では、正面と左の両方に道が続いているように見えた。
みつみが左を覗く。
「こっちも行けそう」
「今日は行かない」
千尋は右側の壁から離れず、そのまま正面へ進む。
「気にならない?」
「気になるけど、今日はこっち試すんでしょ」
「ちゃんとしてる」
「自分たちで決めたんだけど」
みつみはもう一度だけ左を見てから、千尋についていった。
前回は分岐に来るたび、その場でどちらへ進むかを考えていた。
今日は右側の壁を追うと決めている。
鏡のせいで景色そのものは相変わらず分かりづらいが、次にどちらへ進むかで止まる回数は減った。
「これ、楽だね」
佳奈子が言う。
「考えること少ない」
「判断する内容を一つ減らしてますから」
絵美里が返す。
「それを楽って言ってるんだけど」
「なら同じです」
「エミリンって、たまに言い方だけ難しくするよね」
「そうですか?」
「する」
今度は千尋も同意した。
絵美里は少し納得していない顔をしたが、それ以上は言わなかった。
いくつか角を曲がったところで、大きな鏡が正面に現れた。
「あ」
みつみが止まる。
「ここ知ってる」
佳奈子も鏡を見る。
「前回、最後に戻ってきたところ?」
「たぶん」
千尋が近づき、鏡の端を見る。
「ここで『戻ってきた』ってなった気がする」
「私も覚えてる」
志帆が言った。
「ここから帰ったものね」
同じ場所なのに、今日はまだ時間がある。
前回はここで終わった。
今日はここから先へ行ける。
「じゃあ、ここから続き?」
みつみが聞く。
「たぶんね」
千尋が答える。
「またたぶん」
「鏡の中で絶対って言うの怖くない?」
「それは分かる」
佳奈子が頷いた。
みつみはスマートフォンを取り出し、大きな鏡を一枚撮った。
「今度は分かる写真」
「前回もそんなこと言ってなかった?」
「前回は分かんなくなる写真」
「その違い、初めて聞いた」
画面には五人が何組も映っている。
やっぱり一目では何を撮ったのか分かりにくい。
それでも今回は、場所を覚えている。
「これが前回最後のところ」
みつみは満足そうにスマートフォンをしまった。
五人はそこから先へ進んだ。
右の壁を追う。
鏡の中に別の道が見えても、今日はそちらへは行かない。
少し進むたび、みつみは別の通路を覗き、佳奈子が「今日は右」と言う。
そのうち、みつみも道より鏡に映る五人の方を見始めた。
「エミリン、めっちゃいる」
「全員います」
「でも盾が一番分かりやすい」
大きなタワーシールドは、何重に反射しても目立つ。
「千尋は黒いから分かりにくい」
「何が黒いの」
「剣とか服とか」
「みつみは帽子で全部分かるよ」
「便利」
「だから、そのための帽子じゃないでしょ」
同じような話をしながら歩いているのに、前回より足は止まらなかった。
やがて千尋が、細い通路の入口で立ち止まる。
「ここ、知らない気がする」
両側の大半が鏡になっている。
少し先で道が二つに分かれているように見えたが、本当に分岐しているのかは近づかないと分からない。
佳奈子が周囲を見る。
「私も見覚えない」
「私も」
志帆が右側の鏡へ近づき、映り込んだ奥を眺める。
「前回来ていたなら、みつみが何か撮ってそうだけど」
「あ、見る」
みつみは前回の写真を順番に開いた。
画面には、鏡。
次も鏡。
さらに次も、五人が何重にも重なった鏡。
「全部似てる」
「知ってた」
「でも、この細いところはない気がする」
何枚見ても、それらしい場所は出てこない。
千尋が少し先へ進み、振り返った。
「じゃあ、前より先ってことでいいんじゃない?」
「たぶん」
「またたぶん」
「今日はそれでいいでしょ」
みつみは前回の写真を閉じると、今いる通路を新しく一枚撮った。
「じゃあ、これは今日の続き」
「また分かんなくなりそう」
「今日は右の壁追ってきたから大丈夫」
写真の中では、五人の姿が鏡の奥まで何組も並んでいる。
前回とほとんど同じような写真なのに、今度は少しだけ先へ進んだものに見えた。
「続きっぽい」
「っぽいじゃなくて、続きです」
絵美里が言う。
「じゃあ行こ」
佳奈子が先を見た。
右側の壁は、まだ奥へ続いている。
五人はその壁を追いながら、前回より少し先の鏡の中へ歩いていった。




