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第76話 前衛は並ばない

 ブレードマンティスを倒してから、千尋は曲がり角の少し手前で一度だけ足を緩めるようになった。


 慎重になった、と言っても大げさなものではない。


 角の向こうを少し覗いて、それから歩き出す。それだけだった。


「さっきより警戒してる?」


 佳奈子が後ろから聞く。


「人くらいあるカマキリが飛び出してくるって分かったからね。次も何かいたら嫌じゃん」


「嫌っていうか、普通に怖い」


「でも見たい」


 みつみは千尋の後ろから顔を出そうとして、とんがり帽子の先を壁にぶつけた。


「あ」


 柔らかい先端がぺこんと曲がる。


 絵美里がそれを見る。


「みつみ先輩、それだと顔より先に帽子が見つかりますよ」


「敵に?」


「敵にもです」


 みつみは帽子の尖った部分を片手で後ろへ押さえ、そのままもう一度覗こうとする。


「これなら?」


「そこまでして自分で見なくても、千尋先輩が見てますけど」


「自分でも見たいじゃん」


 千尋が笑って壁から少し離れた。


「じゃあどうぞ。今は何もいないよ」


 みつみは満足そうに角から顔を出した。


 本当に何もいない。


 灰色の石床と石壁が、その先でも二度ほど曲がりながら続いている。


「なんかさ」


 佳奈子が後ろを振り返った。


「これ、本当にあの細い塔の中なんだよね?」


「そのはず」


「絶対入ってないでしょ、この広さ」


 千尋も来た道を見る。


 もう入口の転送ゲートは見えない。


 何度か曲がり、一度行き止まりに当たって戻り、また別の道へ入ってきた。外から見た塔は細長かったのに、中では普通に迷えるくらいの広さがある。


「外より中が広いダンジョンって、考えたら変よね」


 志帆が壁へ手を触れた。


「今までの洞窟や遺跡は、そもそも外から全体が見えなかったから気にならなかったけれど」


「これ、外から見えてるもんね」


 みつみが言う。


「帰ったらもう一回写真見たい」


「なんで?」


「どこに今の場所が入ってるのか考える」


「分かるわけないじゃん」


 佳奈子が笑う。


 そのまま五人で進んで、また一つ角を曲がった。


 今度は千尋がすぐに止まった。


「いる」


 声が少し低くなる。


「三体」


 通路の少し先に、これまで見たゴブリンより大きな個体が一体。その後ろに、低い姿勢の二体がいた。


 一体は太い前肢に大きな防具板をつけている。


 残りの二体は、片方の前肢に短い刃物、もう片方には小さな盾を固定していた。


「ガードとファイターだと思う」


 志帆が言う。


「前の大きいのがガードね」


「三体かあ」


 佳奈子はそう言いながら、もう弓を手にしていた。


 さっきまで帽子を押さえていたみつみも杖を構える。


 絵美里が前へ出た。


「来ます」


 三体のゴブリンもこちらに気づいた。


 二体のファイターが左右へ開き、中央をガードが進んでくる。


「《プロボーク》!」


 絵美里の声が通路に響いた。


 三体の視線が一度に絵美里へ向く。


 すぐに志帆が黒銀のバングルへ手を添えた。


「《プロテクション》」


 薄い光が絵美里を包む。


 次の瞬間、大きな防具板がタワーシールドへぶつかった。


 重い音が響く。


 絵美里は一歩下がったが、盾は崩れない。


 そこへ右側のファイターが抜けようとする。


「そっちは私!」


 佳奈子が弓を引いた。


「《ダブルショット》!」


 二本の矢が続けて飛ぶ。


 一射目はファイターの小さな盾に弾かれたが、その盾が戻るより早く二射目が肩口へ刺さった。


「一発目、防ぐんだ!」


 佳奈子はもう次の矢へ手を伸ばしている。


 ファイターが佳奈子へ向きを変えようとした。


 その足元で青白い光が弾ける。


「《マジックマイン》!」


 みつみが少し前へ置いていた魔法だった。


 小さな爆発でファイターの身体が横へ傾く。


 そこへ千尋が走る。


 絵美里の横を抜け、《黒月》を脇腹へ振り込んだ。


 刃が入る。


 けれど倒れない。


「やっぱ硬い!」


 ファイターが低い位置から刃を振り上げる。


 千尋は一撃目を身体を引いて避け、そのまま横へ抜けようとした。


 小さな盾が進路を塞ぐ。


「うわっ」


 続けて刃が横から返ってきた。


 後ろへ飛べば避けられる。


 けれど、千尋は左腕を上げた。


 硬い音が鳴る。


 刃が小さなバックラーの縁へ当たり、そのまま外へ滑った。


 腕に衝撃は来た。


 それでも足は止まっていない。


「いけた!」


 そのまま一歩入る。


「《ウィークポイント》!」


 ファイターの胴が開いている。


 《黒月》を振り抜いた。


 二度目の斬撃を受けたファイターが倒れ、光へ変わる。


「千尋、そっち終わった?」


「終わった!」


「じゃあこっち!」


 佳奈子の声で振り返る。


 もう一体のファイターが、絵美里の横を抜けようとしていた。


 みつみの《マジックボール》が横からぶつかる。


 身体が揺れる。


 そのまま前へ出てきたところへ、佳奈子が矢を放った。


 小型盾で防がれる。


「それ邪魔!」


「私もそう思います!」


 絵美里がガードを正面に残したまま、タワーシールドの端だけを横へずらした。


 抜けようとしたファイターの肩が盾へぶつかる。


 一瞬止まった。


 志帆がすぐに言う。


「今ならいける!」


「《パワーショット》!」


 佳奈子の矢が胸元へ突き刺さる。


 ファイターが後ろへ倒れ、そのまま消えた。


 残ったガードが防具板を前へ出す。


 佳奈子の矢を正面から弾いた。


「こいつは前からだと面倒」


 千尋はもう横へ走っている。


 ガードがそちらへ顔を向ける。


 絵美里は何も言わず、一歩前へ出て盾を押し当てた。


 ガードの身体が止まる。


「《サイレントステップ》」


 千尋の足音が消えた。


 壁際を抜け、防具板のない側面へ回る。


 《黒月》が脇腹へ入った。


 ガードが千尋を追おうとする。


 その動きを絵美里の盾が止める。


 そこへ佳奈子の矢が刺さり、みつみの魔力弾が続いた。


 大きな身体が傾く。


 最後に千尋がもう一度斬り込み、ガードも石床へ崩れた。


 光へ変わるまで、五人ともその場を動かなかった。


 千尋が奥を見る。


 佳奈子も弓を下ろさない。


 もう何も来ないと分かってから、ようやく絵美里が盾を下げた。


「……三体は三体だね」


 佳奈子が息を吐く。


「一体より忙しい」


「当たり前じゃん」


 千尋は笑いながら左腕を見る。


 バックラーの縁に細い擦り跡が残っていた。


 指でなぞる。


「これ、いい」


 みつみがすぐ覗き込む。


「盾?」


「うん。さっきの、前なら避けるしかなかったけど、一回受けたらそのまま行けた」


「買ってよかったじゃん」


「今の一回で結構満足した」


「早い」


 佳奈子が笑う。


 絵美里も千尋のバックラーを見る。


「その大きさなら、千尋先輩には合ってると思います」


「エミリンのと交換する?」


「しません」


「即答」


「私がそれ使ったら、何も守れないですから」


 千尋は絵美里のタワーシールドを見る。


 自分のバックラーと比べると、同じ盾という名前なのが少し面白い。


「同じ盾なのに全然違うね」


「使い方も違いますし」


「エミリンは前にいるし、千尋は気づくと横にいるもんね」


 みつみが何気なく言った。


「気づくとって何」


「さっきまでそこにいたのに、次見たら横にいる」


「だって横空いてるし」


「私はあんまり動きたくないですけどね」


 絵美里が盾を持ち直す。


「それ持って走るの大変そう」


 佳奈子が言う。


「慣れてます」


「私なら三分で置きたい」


「三分も持てます?」


「それはちょっと分かんない」


 話しながら歩き出す。


 さっきまで戦っていた場所は、角を一つ曲がればもう見えなくなった。


     ◇


 その先でも、通路は何度も曲がった。


「こっち来たっけ?」


 みつみが立ち止まる。


「来てない」


 千尋が答える。


「本当に?」


「たぶん」


「たぶんじゃん」


 佳奈子が笑う。


 志帆が壁を見回した。


「同じような石壁ばかりだから、分かりにくいのよね。二階でこれなら、この先の鏡のところは相当面倒そう」


「それちょっと楽しみ」


「みつみは迷うのも楽しそうだよね」


「帰れなくなるのは嫌」


「そこは嫌なんだ」


「お腹空くし」


 その一言で、佳奈子が時間を確認した。


「あ、結構歩いてる」


「何時?」


「一時ちょい」


「もうそんな?」


 千尋もスマートフォンを出す。


 外が見えないせいか、塔へ入ってから時間の感覚が少し薄い。


「お昼食べてから来て正解だったね」


「だから言ったじゃん」


 佳奈子が少し得意そうに言う。


「ダンジョン入る前に食べようって」


「エミリンだけ、早く入りたそうだったけど」


 千尋が言うと、絵美里が視線を逸らした。


「別に急いでたわけではありません」


「店出てから歩くの一番速かったよ」


「……早く見たかっただけです」


 みつみが絵美里を見る。


「エミリンも楽しみにしてた?」


「初めての中級者向けですから、それは多少は」


「じゃあ同じじゃん」


「みつみ先輩と同じではないです」


「どこが?」


「かなり違います」


 言いながらも、絵美里は少し笑っていた。


 さらにしばらく歩くと、通路の先が少し広くなった。


 その奥に、上へ続く石の階段がある。


「あった」


 みつみが先に近づく。


「三階」


 佳奈子は階段を見上げ、それから近くの壁際を見た。


「ちょっと休まない?」


「賛成」


 誰からともなく、五人は階段の手前へ寄った。


 武器を邪魔にならない位置へ置き、それぞれ飲み物を出す。


 佳奈子がバッグから小さなお菓子の袋を取り出した。


「いる人」


「いる」


 みつみの手が一番早い。


「私も」


 千尋が続く。


 志帆も一つ取り、絵美里だけ少し迷ったあとで手を伸ばした。


「ありがとうございます」


「エミリン、こういうの持ってこないの?」


「水と必要なものは持ってます」


「お菓子も必要なものだよ」


「ダンジョンでは必須ではないです」


「でも食べるんじゃん」


 佳奈子に言われ、絵美里は手の中のお菓子を見る。


「いただいたので」


「次は自分で持ってきたりして」


「それは分かりません」


 みつみが笑いながらもう一つ取ろうとして、佳奈子に手を叩かれた。


「一人一個」


「まだあるじゃん」


「帰りの分」


「帰りも食べるの?」


「帰りまでダン活なんでしょ?」


 みつみが一瞬止まった。


「……そうだった」


「自分で言ったんじゃん」


 五人で笑う。


 千尋は飲み物を一口飲んでから、何となくスマートフォンを開いた。


「そういえば」


 探索者向けのアプリを表示する。


「あ」


「何?」


 みつみが横から覗く。


「十三になってる」


「いつ?」


「知らない」


「さっき?」


「たぶん。マンティスかもしれないし、今のゴブリンかもしれない」


「適当ね」


 志帆も少し覗いた。


「スキルは?」


「あ、増えてる」


 千尋が画面を読む。


「《ブラインドサイド》。相手がどっち向いてるか分かって、死角に回るときちょっと動きやすくなるって」


 佳奈子が千尋を見る。


「今の千尋にぴったりじゃん」


「ね。横行けってことかな」


「ダンジョンからも言われてる」


「じゃあ従うしかないね」


 千尋は笑ってスマートフォンを閉じた。


「もういいの?」


 みつみが聞く。


「何が?」


「新しいスキル」


「次、使えそうなら使うよ」


 それだけだった。


 千尋は飲み物をしまい、立ち上がる。


 佳奈子もお菓子の袋を閉じてバッグへ戻した。


「じゃ、三階行く?」


「行く」


 みつみが真っ先に階段へ向かう。


「今度は何いるかな」


「二階と同じのもいるんじゃない?」


「それでもいい。でも違うのも見たい」


「マンティス二体とかだったら?」


 佳奈子が聞く。


 みつみは少し考えた。


「それは一回見てから決める」


「何を?」


「うれしいかどうか」


 千尋が吹き出した。


 五人はそのまま階段を上っていく。


 みつみが先に上がり、そのすぐ後ろを千尋が追う。志帆と佳奈子が並び、絵美里は大きな盾が壁に当たらないよう少し間を空けてついていく。


「三階もこんな感じかな」


 みつみが上を見ながら言った。


「まだ着いてないよ」


「もうすぐじゃん」


「着けば分かるでしょ」


 そんな話をしながら、五人は三階へ上がっていった。


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