第75話 空へと向かうラビリンス
千葉市通尾区の駅前で少し早めの昼を済ませてから、五人は通尾ダンジョンまで歩いてきた。
目的地が見えてくると、誰からともなく歩く速さが少し落ちる。
そして塔の手前まで来たところで、五人そろって足を止めた。
「……細っ」
最初に出た佳奈子の感想に、千尋が笑う。
「高さよりそっちなんだ」
「だって写真で見るより細くない? これで百三十メートルあるんでしょ」
目の前に立つ通尾ダンジョンは、四角いビルをそのまま細長くした形ではなかった。地面から伸びた塔は菱形の輪郭を保ったまま空へ向かい、幅のわりに高さだけが妙にある。
少し離れた場所から見上げても、てっぺんを見るにはかなり首を反らさなければならない。
みつみはとんがり帽子のつばを片手で押さえ、そのまま一番上まで視線を持ち上げた。
「高い」
「この前から分かってたでしょ」
「数字と見るのは違うよ。百三十メートルって言われても、百三十メートル見たことないし」
「今見てるじゃん」
「だから高い」
佳奈子に返しながら、みつみはまだ上を向いている。
その横で絵美里も塔を見上げていた。
「エミリンも見てるじゃん」
千尋に言われ、絵美里は一瞬だけ視線を止めた。
「初めて来た場所なので、外形は確認します」
「じゃあ同じじゃん」
「確認です。先輩たちみたいに首が痛くなるまで見ません」
言われて、みつみはようやく顔を戻した。首の後ろへ手を当てている。
「ちょっと痛い」
「ほら」
「でも見たかったし」
みつみはもう一度だけ塔の先を見てから、今度は入口へ顔を向けた。
「中行こ」
志帆も頷く。
「外からこれなら、中がどうなってるか気になるわね」
五人は塔の一階へ入った。
◇
施設の中でやること自体は、これまでのダンジョンと大きく変わらなかった。
受付を済ませ、必要な装備を整える。
千尋は共通保管庫から《黒月》を受け取り、腰へ下げると、この前買った小型のバックラーを左腕に合わせた。佳奈子は弓と矢を用意し、自前のクイーバー・ハーネスへ収めていく。
志帆と絵美里もそれぞれ装備を整え、みつみは持ってきた杖をバッグから外した。
「で、それなんだ」
準備を終えた佳奈子が、みつみの頭を見る。
「この前買った」
みつみは待っていたように帽子のつばへ指を掛ける。
「どう?」
「魔法使い感すごい。普通にかわいいじゃん」
「でしょ?」
「それで戦うの?」
「戦うよ。魔法の発動もちょっとだけ速くなるんだって」
「え、見た目だけじゃないんだ」
佳奈子が帽子へ近づき、横からも眺める。
前にその場にいなかった分、みつみも説明する気があるらしく、少し得意そうに尖った先まで見せた。
「ちゃんと探索用。軽いし、上も見えるし、落ちないのも確認した」
「最後の確認、どうやったの?」
「首振った」
「店で?」
「店で」
佳奈子は一度みつみを見てから、志帆へ視線を向けた。
「止めなかったの?」
「落ちるよりいいでしょう」
「そこなんだ」
そのやり取りを聞きながら、千尋はバックラーの固定を確かめていた。
佳奈子が今度はそちらに気づく。
「千尋も増えてる。盾?」
「この前買った。まだ実戦では使ってないけど」
千尋は左腕を前へ出してみせた。
絵美里のタワーシールドと並べると、同じ盾と呼ぶのが不思議なくらい大きさが違う。
「ちっちゃ」
「走るからね。エミリンみたいにずっと受ける用じゃなくて、避ける以外もできたらいいかなって」
「それなら千尋っぽい」
佳奈子は納得すると、もう興味が次へ移ったらしい。案内表示を見上げる。
「で、百メートル上までどうやって行くの?」
攻略エリアへ続く二階には、階段と転送ゲートの二通りが用意されていた。
表示を見た千尋が階段の方へ顔を向ける。
「百メートル階段、ちょっとやってみたくない?」
「やらない」
佳奈子の返事は早かった。
「お昼食べた直後に百メートル分の階段とか嫌。転送でいいじゃん」
「私も転送がいいです。階段を上ること自体が目的でないなら、時間を使う理由がありません」
絵美里まで即答したので、千尋は笑った。
「みつみは?」
「今日は転送。早く上見たい」
「志帆は?」
「同じ百メートルなら、一瞬で上がる方を一回体験してみたいわ」
「全員そっちか」
千尋も特にこだわる様子はなく、五人で転送ゲートへ向かった。
ゲートをくぐった瞬間、足元の感触が変わる。
次に見えたのは、さっきまでの施設ではなく、灰色の石床だった。
◇
「ほんとに、ここ百メートルくらい上?」
みつみは転送ゲートを出てすぐ、天井を見上げた。
石壁に囲まれた通路は、塔の上層にいるという感じがほとんどしない。少なくとも今いる場所からは外が見えず、高さも分からない。
「外見えないと全然分かんないね」
佳奈子も後ろを振り返ったが、そこにあるのは転送ゲートと石壁だけだった。
「さっきまで下から見上げてたのに、今その途中にいるんだよね。変な感じ」
「二階って書いてあるのも変じゃない?」
みつみが壁の案内を指す。
「百メートル上が二階」
「一階が長すぎる」
千尋が笑いながら通路の先へ目を向けた。
五人はそのまま石の通路を進み、最初の分岐まで来た。
志帆がそこで足を止め、左右の壁を見回す。
「外から見た塔、一辺十五メートルくらいだったわよね」
「そうですけど」
絵美里も来た道を振り返る。
「この通路、もうそれなりに歩いてない?」
転送ゲートから最初の分岐まで、それだけでも外から見た塔の幅と比べると妙に長い。
みつみが壁へ近づき、分岐の奥を覗いた。
「こっちもまだ続いてる」
「外から見たより中広くない?」
佳奈子が言うと、千尋も少しだけ戻って壁の向こうを見た。
「広いね。塔の中っていうより、普通にダンジョンの通路って感じ」
「外形と内部が一致しない可能性はあると思ってたけど、実際に入ると変ね」
志帆は楽しそうに分岐の左右を見比べる。
「塔の上なのに、地下遺跡みたい」
みつみが杖を持ったまま一歩進んだ。
「どっち行く?」
「初見なので、片方ずつ確認しましょう。行き止まりなら戻ればいいですし」
絵美里が答える。
「じゃあ右」
千尋が先に右側へ顔を出した。
「理由は?」
「今、右向いてたから」
絵美里が何か言いかける。
その前に佳奈子が笑った。
「左が正解でも、まだ何も分かんないんだから同じじゃん」
「……それはそうですけど」
「じゃ、右で」
千尋が歩き出し、五人も続いた。
石壁の通路はまっすぐではなく、短い直線と曲がり角を繰り返していた。洞窟とは違って足場は平らだが、角を曲がるまで先が見えない。
「外から見たとき、こんなの入ってるように見えなかったなあ」
みつみはまだそれが気になるらしい。
「帰るとき、もう一回外から見ようよ」
「まだ入ったばっかりだよ」
佳奈子が笑う。
「帰りの話早くない?」
「帰るまでが今日でしょ」
「それはそうだけど」
そんな話をしていた千尋が、次の角の少し手前で速度を落とした。
「待って。なんかいる」
五人の足が止まる。
「気配?」
「見えた。脚だけ」
千尋が壁際からもう一度覗き、すぐに顔を戻した。
「でかいカマキリ。たぶんブレードマンティス」
名前を聞いた志帆の目が少し動く。
「通尾にいるって載ってたやつね。人くらいの大きさがあるはず」
「人くらいのカマキリを、さらっと言わないで」
佳奈子はそう言いながら、もう弓を手にしている。
みつみも杖を構えた。
「見たい」
「今から嫌でも見るよ」
千尋が笑った、その直後だった。
曲がり角の向こうから、細長い影が一気に飛び出してきた。
人間ほどの高さがある身体を低く傾け、三角形の頭が千尋を捉える。折り畳まれていた二本の長い前脚が左右へ開いた。
「長っ!」
刃のような前脚が、千尋のいた場所を横へ薙ぐ。
千尋はすぐ後ろへ引いたが、いつもの感覚よりさらに一歩多く距離を取った。鎌の先が目の前を通り過ぎ、石壁を擦る。
「そこまで届くの?」
間を置かず、もう一本が千尋の逃げた先へ振られた。
千尋は身体を沈めて潜り抜ける。横へ抜けようとしたところへ、マンティスが身体ごと向きを変えた。
「近づきにくい!」
千尋が距離を取る。
そこへ絵美里が前へ出た。
タワーシールドが通路の中央を塞ぐように立ち、マンティスとの間へ入る。
「私が受けます!」
飛んできた鎌が盾へぶつかった。
金属を叩く硬い音が響き、絵美里の靴が石床を滑る。
「重っ……!」
続けて二本目が来る。
「《ガード》!」
腰を落とした絵美里が、今度は正面から受け止めた。
「《プロテクション》」
志帆の防護が絵美里へ重なる。
「千尋、右から行ける?」
「やってみる!」
千尋が壁際を走る。
マンティスが絵美里へ鎌を打ち込んだ直後、その横を抜けた。
「《ウィークポイント》!」
《黒月》を振り込む。
マンティスも素早く身体をひねった。刃は胴を斜めに裂いたものの、倒れない。
「硬い!」
長い鎌が千尋を追う。
千尋が後ろへ跳んだ瞬間、佳奈子が弓を引いた。
「《パワーショット》!」
矢がマンティスの胴へ突き刺さる。
身体が大きく揺れた。
それでも前脚は止まらない。
マンティスは絵美里へ向き直ると、左右の鎌を続けて振るった。
一撃を盾で受ける。
もう一撃が盾の外へ回り込んだ。
「みつみ!」
志帆の声より先に、みつみも見えていた。
「《マジックシールド》!」
みつみの前へ魔力の障壁が広がる。
鎌がぶつかり、表面が大きく揺れた。
「うわ、強い!」
みつみが一歩下がる。
それでも杖は下げない。
「《マジックボール》!」
障壁の横から放った魔力弾が、マンティスの胴へ直撃した。
大きな身体が横へ傾く。
千尋がすぐに動いた。
「《サイレントステップ》!」
足音が消える。
一気に距離を詰め、《黒月》を振る。
マンティスが前脚を戻そうとしたが、今度は間に合わない。
先ほど斬った場所へ刃が重なる。
体勢が崩れた。
「千尋、離れて!」
佳奈子の声で、千尋が横へ飛ぶ。
すぐ後ろから矢が通り、マンティスの胸元へ刺さった。
それでも一本の鎌が持ち上がる。
絵美里が前へ出て、タワーシールドで受けた。
「大丈夫です!」
千尋が再び側面へ回る。
佳奈子も次の矢をつがえ、みつみの杖先にも魔力が集まる。
マンティスの頭が左右へ動いた。
「こっち!」
千尋が一歩踏み込む。
鎌がそちらへ振られる。
千尋が外へ避ける。
空いた胴へ佳奈子の矢が刺さり、続けてみつみの魔力弾がぶつかった。
片方の前脚が石床へ落ちる。
それでも身体を起こそうとしたマンティスへ、千尋がもう一度踏み込んだ。
残った鎌が上がる。
今度は動きが遅い。
軌道を外し、そのまま懐へ潜り込む。
《黒月》が胴を斬り抜いた。
ブレードマンティスが石床へ崩れる。
しばらく脚が動いていたが、やがて身体が光へ変わり、消えていった。
五人とも、すぐには武器を下ろさなかった。
千尋が角の先を確認し、佳奈子も弓を構えたまま待つ。
ほかに動くものがいないと分かってから、ようやく空気が緩んだ。
「……でかかった」
最初に言ったのは、みつみだった。
「そこ?」
佳奈子が弓を下ろす。
「だって、近くで見るとほんとに人くらいあった」
「私は鎌の長さの方が嫌だった」
千尋も《黒月》を下げ、最初に横薙ぎされた場所を見る。
「思ってたより全然届く」
「私、後ろにいたのに普通に狙われたし」
みつみは自分の帽子を触った。
ずれていない。
「帽子も大丈夫だった」
「戦った感想それ?」
「魔法もちょっと速かった気がする」
「じゃあちゃんと役に立ってるじゃん」
佳奈子が笑う。
千尋は左腕のバックラーを見る。
「私は使わなかった」
「避けられたならいいんじゃない?」
「うん。でも最初の横薙ぎ、あれならちょっと当てて逸らせたかも」
絵美里がすぐ千尋を見る。
「試すためにわざと受けないでくださいね」
「分かってるって」
千尋が笑った。
絵美里はそれ以上何も言わず、タワーシールドの位置を直す。
志帆は曲がり角の向こうを見た。
「写真で見たときは、塔の中を歩く方が気になってたけれど、ちゃんとモンスターも今までと違うのね」
「次は別のやつがいい」
みつみがすぐ言う。
「もう次?」
「せっかく来たんだから見たい」
「私は次、曲がり角からいきなり出てこないやつがいい」
佳奈子が矢を一本補充しながら言った。
「それ選べるの?」
「選べないから言ってるの」
「マンティスもう一体でも私はいいよ」
千尋が言う。
「今度は盾使えるかもしれないし」
「だから、使うために受けないでください」
「エミリン、それ二回目」
「大事なので」
五人は笑いながら、また歩き出した。
地上百メートルにいる実感は、まだほとんどない。
けれど、外から見た塔には収まりそうもない石の通路も、曲がり角から飛び出してきた人間ほどのカマキリも、ここへ来なければ見られなかったものだった。
みつみは次の角が近づくと、とんがり帽子のつばを少し上げた。
その横で千尋も歩く速さを少し落とす。
「次、何いるかな」
「まず角の向こう見てからね」
「分かってる」
そう答えながら、みつみはもう少しだけ前へ出ていた。




